章弘に会う資格
その翌日、銀行預金には8000円が振り込まれていた。非現実的な労働をした結果のような気がする。僕は、章弘が持っていた、ショパンの前奏曲を聞きながら、8000円の預金をを何時迄も眺めていた。ドアをノックする音が聞こえた。エリだと思った。
「お兄ちゃん?」
「はい」と僕はドア越しに言う。
エリはそっとドアを開ける。エリは、深刻な顔をしながら、部屋の中に入ってくる。
「お兄ちゃん。私、不安なの」
とエリは言う。僕は、エリの心境を計り兼ねて、
「なにが?」
と言う。エリは「お兄ちゃんが何処かに行ってしまいそうで」と言う。
「僕は何処にも行かないよ」と言うけれど、エリは、怪訝そうな顔を崩さない。
僕は黙りこむ。不安感が心の底から起こってくる。僕は急に寒さを感じ、がたがたと震えだす。エリは僕を抱きしめる。エリの優しさが伝わってくる。
「何処にも行かない」僕は自分に言い聞かせるように言った。
夜、夢を見た。
僕は螺旋階段を降りていく。暗い螺旋階段は、闇に包まれている。隣にはエリがいる。エリは松明を持っていて、火は揺らめきながら、辺りを照らす。エリはにっこり笑いながら、僕を勇気付ける。僕は正直、怖かった。この奥には、章弘がいる。章弘は何を考えているのだろう? 何をしているのだろう?不安が僕の心を支配している。エリは僕の前を行く。エリのスニーカーの音がキュと鳴る。
エリは不安がないのだろうか、先に降りて行くことに躊躇は無い。前に夢に見たときのようなサイレンは鳴らない。エリは僕の手を握る。手の温もりを感じつつ、ゆっくりと降りていく。松明の火が揺らめく。
やがて、ある木製のドアに辿り着く。エリは、
「さあ、お兄ちゃん。開けて」
と言う。僕はドアノブを開けようとするが、鍵が掛かっていて、開かない。僕はドアノブを押したり、引いたりする。が、ガチャガチャと音をたてるだけで、開かない。
エリは言う。
「お兄ちゃんには、まだ章弘お兄ちゃんに会う資格がないのよ」
「資格?」
「章弘お兄ちゃんは危険よ。お兄ちゃんはまだ現実でしなければならないことがある」
「僕は章弘に会うべきなのだろうか?」
「会うか、会わないかはお兄ちゃんが決めることよ」
松明の火が次第に弱まっていく。
「今日は終わりね」
エリが言った途端、目が覚めた。




