自分の中の世界
新谷の家にいってから、僕は塞ぎこむようになった。元也と名乗りでても、信じてはもらえないし、僕はもう章弘なんだと言い聞かせる。いや、元也だと思い返す。その繰り返しだった。しかし、自分の中の乖離している二重性が段々一つに収束する感じはあった。それが何処に向かうかは僕には分からなかった。ノックの音がする。ノックの音から、エリだと思う。
「お兄ちゃん?」
とエリはドアを開ける。
「ちょっと話があるの」
とエリはクラブ帰りのジャージのまま言い、僕の部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、夢を見たんじゃない?」
とエリは窓から見える月を眺めながら言った。僕は心臓の音が聞こえる。
「私も夢を見たの。お兄ちゃんは章弘お兄ちゃんに会おうとしている夢。私は、そこでお兄ちゃんを助けに行った。章弘お兄ちゃんは危険なの。章弘お兄ちゃんはもう感情が死んでるの。お兄ちゃんは章弘お兄ちゃんに会うべきじゃない。お兄ちゃんは感情豊かな人だし、これからの事もある。お兄ちゃんはお兄ちゃんの道を歩むべきなの」
とエリはこちらに振り返る。エリは涙を流していた。エリは嗚咽を漏らす。
「章弘はもう感情がない?」
僕が聞くと、エリはしゃくりながら答えた。
「そう。章弘お兄ちゃんは自分の中に入っていってしまった。誰の言葉も聞こうとしない。私はお兄ちゃんに会った。あの人は危険よ。自分の世界の中で生きているの。永遠に」
僕はなんて言っていいか分からず、戸惑う。エリは、泣いている。僕はエリを抱きしめた。
エリの涙が僕の右胸の服を濡らす。
何分そのままでいただろう? 僕はエリを抱いたまま、窓から覗く月を眺めていた。赤くく光る月は不気味さを秘め、僕達を食おうとしているかのようだ。エリは落ち着いたようだ。途切れ途切れだった息が次第に整っていくのを感じる。
「ありがと。お兄ちゃん」
と僕の右胸に埋めたまま、エリは言う。「いいよ」と僕はエリを抱きしめながら言う。
「僕は危険かも知れないけど、章弘に会わなくちゃならない。どうしてか分からない。章弘が何故、自分の世界だけに入っていってしまったのか知らなくちゃならない。僕は現実の世界に繋がりつつ、生きなくちゃならないんだ」
エリは僕の胸に顔を埋めたまま、何も言わなかった。
朝、いつもの光景が目に映る。父が、新聞を読み、母が朝食を作る。エリはまだ起きていない。僕は、目の前のコーヒーを啜りながら、昨日の事を思い出していた。章弘の事が気にかかる。章弘にはまだ会えていない。章弘は感情が死んでしまったとエリは言う。感情が死んでしまったとはどういう事だろう? 僕はまたコーヒーを啜る。父がうんと一声頷いた。




