不確かな存在なんだ
ノックの音が聞こえる。
「お兄ちゃん」
とエリの声がした。僕は、ベッドから起き上がり、電灯を付け、ドアを開けた。エリは、学校帰りだろうか? 制服のままで、くりくりとした目を瞬かせながら、そこにいた。
「なに?」と僕が言うと、うーんとエリは唸って、僕の部屋に潜り込む。本棚の本を眺めながら、「お兄ちゃんって言ったけど、まだ、慣れないや」と言った。「そっか」と僕はぼんやりした頭で言った。
「お兄ちゃんと私って生まれた時から、全然違ったのね。性格なのかなあ。私が外で友達と遊んでいる時も、お兄ちゃんは本ばかり読んでたし、私がバドミントン部に入った時も、お兄ちゃんは数少ない友達と話ばかりしていたし。でも、お兄ちゃんは優しかった。いつも私の話を聞いてくれて、的確なアドバイスをくれたし。勉強もできたしね」
と、エリは、ぺろっと舌を出した。
「今のお兄ちゃんって他人なんだよね。でも、お兄ちゃんの匂いや仕草が残ってるし、複雑な心境なんだ」
僕は黙って聞いていた。月光が窓から、闇を照らすように入ってきている。
「私、お兄ちゃんの事知っているようで、知らないかもしれない」
エリは言った。僕は何も言えず、椅子に座って、ただ天井を眺めている。
「貴方の話を聞きたい」
僕はエリの目を見る。エリの目はいつも僕の目を捉える。僕は暫く考えた後、話始めた。
「僕は新谷元也。理学部で、量子力学を専攻していた。公式を理解したり、プログラミングを主にしていた。家族は母と、弟と3人家族で、父は幼い頃、死んでしまった。僕が物心つく前に。母は女で一つで僕達2人を育ててくれた。僕は母に感謝している。辛い時も、なにも言わず、優しい目で僕達2人を見守っていてくれていた。でも、僕は、本当に父を求めていた。高校入試の時も、大学入試の時も、就職活動の時も。父なら、アドバイスをくれると思っていた」
僕は一呼吸置く。エリは黙って、僕の目を真剣に見詰めている。
「今の僕の環境は、清水章弘としての環境は、僕にとって……うまく言えない。父さんもいるし、妹もいる。まだ、不確かな存在なんだ」
と僕は言った。
「分かる気がする」
とエリは言った。「私もお兄ちゃんをどう扱って……どう捉えていいのか分からない」
「でも、ありがとう。正直な気持ちを言ってくれて」と、エリは微笑んだ。「行くね」
と言って、エリは僕の部屋から出て行った。誰かの不在の感覚が、寂しさへと変わった。
僕は月を見上げる。満月だった。僕はなんとなく月へと手を伸ばした。そうすれば、月に届くように感じられた。僕は、これからどうしよう、と思った。




