64 終末兄妹
きみはだれ
きみはぼく
きみはあたし
だからなに
だからみんな
しねばいい
ポー・シャルル・ポーの町の城壁は、古く太い枯れた蔦が生い茂げり、よじ登るには簡単すぎた。
「こんなのは城壁とは言わないよね。手入れ悪いし」
クス笑いしながらぼくは城壁を登った。さすがに四か所ある警備厳重な町の城門から入る気はなかったからね。
「巡回の兵も少ないなあ。まあ、悪魔がいるって噂されている町だからな。盗賊なんか入り込まないか」
そうぼくはぶつぶつとつぶやきながら、物陰から物陰に身体を寄せて移動する。男爵の居城は町の中心部にあり、そこだけはきちんと整備され、兵士の数も多くみられる。が、どうにも隙だらけで、ぼくにどうぞ入って来てと言わんばかりだ。
「まーた見え透いた罠だなあ…。まあ、遠慮なくお邪魔するけどね」
笑いをこらえながら城壁をよじ登ると、なかなか立派な城郭と四隅の塔が目に入ってくる。一番奥の塔の窓から明かりが漏れていて、なんだかそこから嫌な気配がするから、きっとそこにはあまりいいものがいないとぼくは思った。
「どこか入り込めそうなところは…っと」
立派な城塞だって中で生活する人間がいる限り、そこには生活の根拠が必ずある。ぼくらの時代の一戸建てならさしずめ勝手口、というとこだろう。城塞の下にうず高く積もれたゴミの山。その真上の壁のところに小さな木戸があった。そこからゴミを放り出すんだな。
ふつうは町の業者が定期的にゴミを処理するんだろうけど、男爵がケチなのか、いいように放置されている。まあ今はぼくにはおあつらえ向きの進入路、だね。もっとも、誰がそんな罠っぽいところに入り込むんだって話。あえて飛び込んで、男爵を一瞬でもいい気持ちにさせる、それからそいつを突き破って見せる、なあんてこともありっちゃありなんだけど、そんなめんどくさいこと、ぼくはやりたくないし。
「まあ普通に玄関からかな…」
ある程度警備の兵はいるだろうけど、正面から入ってくる敵はいないだろうという思い込みをぼくは期待しながらそっと正面に回り込んでいく。ああ、巡回の兵がたまにぽつぽつ歩いている。ふたり連れなんてまったくなめているとしか思えない。そんな少人数じゃどうにもなんないぞ。侵入させていただくぼくには好都合だけどね。
ドン、と音がした。城の大広間にいた男爵が飛びあがった。
「な、なんだいまの音は!」
「て、天井付近からです」
甲冑を着た兵が上を見上げながらそう言った。
「誰か見て来い!」
数人の兵が急いで広間を出ようとしたとき、なにかかわいらしい声が聞こえた。
「その必要はないわよ。もう来ちゃったから」
「はあ?」
男爵があたりを見回していると、いきなり広間の壁に大きな穴が開き、そこから真っ白なドレスを着た若い娘が出てきた。
「誰だきさま!」
「答える必要性を感じないわ」
そう言って少女は片手を突き出し、あたりにいた兵たちに向けた。それは何も光や音も発せず、ただ静かに兵たちを消した。
「なっ?」
「あんたも死ね」
「ま、まて!なんだ?何を言っている」
「死ねと言っている。自分で死にたきゃそうしな」
「い、いやそうじゃないだろ!何か言いたいことがあるんでここに来たんじゃないのか?」
「べつに」
わけがわからなかった。こいつはわたしをただ殺しに来たというのか?おまえのここが気に食わないだとか、おまえの所業が許せないとか、そういうなにかがあって殺しに来たんじゃないのか?男爵は混乱した。
「そ、そうか…誰かに頼まれたんだな?おまえは殺し屋なのだな。あまりにも若いので見誤ったが、いかにもお前は殺し屋なのか」
「面白い発想ね。陳腐だけど」
男爵はそれでもまだ余裕があった。空から降ってきたように天井を突き破り、広間の分厚い壁に大穴を開け、十人以上いた重装備の甲冑兵を一瞬で消し去った。そんな少女の力を見ても、男爵は動じなかった。いや、考えが及ばなかった。悪魔という存在が、いつでも自分を助けてくれるだろうという安心感が男爵の想像力をかき消していた。
「小娘の分際で生意気な」
それは禍々しい気配とともにやってきた。いま少女が開けた広間の壁の穴から、のっそりと黒いものが這い出てきたのだ。
「やれやれ騒がしい。いったい何をやっているんだ」
真っ黒い大きな体のそれは、つまらなそうにそう言った。だが少女はそちらを見ることなく、ただ黙って男爵を見ている。
「おい!無視すんなよ」
「待ってバルドーク。あたしがやるわ」
「なんだよ、復讐のつもりか?」
「ええ。あたしの手足のね」
黒い霧に包まれたその真っ黒で巨大な体の何かの横で、胴体は人間の女、手足は醜い魔物のおかしなものがそう言った。
「まだその手足になれてないだろ?やつは強いぞ」
「バカ言ってんじゃないわ。もうあたしは立派な魔人よ。あんな人間のガキに負けるわけないじゃない」
「まあそうだな…」
黒い霧の、真っ黒な巨体の悪魔バルドークはそう言って笑った。手足をもがれた翡翠の眼の魔女カルタリアをすんでのところで救い、手下の魔人の手足をもいで彼女にくっつけてやった。おかげで力は数倍になり、彼女は人間をやめた。
「見ていて胸糞が悪くなる」
男爵がそうつぶやいていた。娘だがとくに愛しているわけでもなかったが、血を分けた娘は娘だ。なんだか自分自身が変質したような気分になったのだ。
「それもすぐ終わるわ」
ようやく少女がそう口にしたとき、魔人となったカルタリアが動いた。四肢がさらに醜い姿に変わり、まるで巨大な昆虫のように見えた。男爵はあまりにおぞましい娘の姿を見て、思わず目をそらしたほどだ。
「てめえ誰に向かってそんな口きいてるんだよお!てめえごとき、もう敵じゃねえんだよ!」
すごい速さでそれは動き、その手で一瞬のうちに少女の首を跳ね飛ばした。ように見えた。
ゴロンと落ちたのはカルタリアの首だった。すでにカルタリアが動いたときに、もうその首は落されていたのだ。
「カルタリアっ!」
そう男爵が叫んだのと同時に男爵の首が落ちた。ゴロンゴロンと転がりながら、カルタリアの首に向かって行き、それは二人見つめ合うようにきちんと並んだ。
「おいおいマジかよ」
悪魔は呆れたようにそう言った。何の躊躇もなくよくそうやって殺せるもんだと感心してしまった。少女の美しくかわいい顔からは想像もできなかったからだ。
「まあお前は俺の餌になるんだがな」
黒い霧からハッキリと姿を現したそれは、真っ黒い顔に真っ青な舌を舌なめずりさせ、ニヤリと笑った。笑った途端、悪魔の視界が傾いた。そのはずだ。ゆっくりと悪魔の首が落ちていくからだ。
「あれ?」
そう首は言って床に落ちた。
「兄さん、遅かったわね」
「あのね、これでもぼくは急いで走って来たんだぜ。おまえみたいに空飛んできたんじゃないんだからな」
「兄さんも飛んで来ればよかったじゃない」
「そんなことできるか」
「勇者のくせにできないの?」
「勇者だってできることとできないことがあるんです。だいいちぼくは勇者として何の訓練も受けてないんだからね」
「そんなのに魔王のあたしが倒されかけたんだから、やっぱり勇者って凄いのねー」
「褒められてるのかバカにされてるのかわからない言い方だな」
「ううん、褒めてんの。あたしたちは何人もの勇者を殺してきたけど、やっぱり兄さんが一番強いわ。さすがあたしの兄さんだわ」
悪魔はまだ生きていた。首を落とされただけじゃ死なない。だがどういうわけだか身動きが取れない。本来動くべき身体が動かず、首だけでも体が再生するはずなのにその力が出せなかった。焦る悪魔の耳に、そんな会話が流れてきた。
「勇者?魔王…だと?」
「あらやだ、まだ口きけるのね」
「教えてくれ。おまえらは何なんだ?兄さんだと?おまえら兄妹なのか」
「教える義務はないのよ?もちろん言うつもりもないけど」
「待ってくれ。このまま冥府に帰ってもみっともないだけだ。誰にやられたのかハッキリさせとかないとな」
「帰るって、兄さん」
「バカだなこいつ。ここが終着点なのに」
「終着点?バカはおまえらだ。悪魔は死なんぞ。消えても冥府に戻るだけだ。いくらでも復活できるぞ」
「なら帰ってみろよ」
「忌々しいガキどもめ!覚えているがいい!」
そう悔しそうに悪魔が言うと、その首は黒い霧に包まれた。
「あれ?」
霧に包まれてはいるが、悪魔の首は消えなかった。
「どうしたおっさん」
「冥府に戻れん」
「だから終着点だと言ったんだけど、理解できなかったんだね。気の毒に」
「小僧、てめえ何をした!」
「何もしないよ。ただぼくのこの暗黒の力ってやつでお前をそうしたいと思っただけだよ」
「あ、暗黒…暗黒魔法か!な、なんでお前ごときが!なんで神を越える技を!」
「さあね」
悪魔は自分の魂を、何か冷たい手で直につかまれた気がした。いや実際そうだったから。マティムの暗黒の手は、悪魔の魂を握りつぶした。断末魔の声もあげられず、一瞬で悪魔はその場に腐り落ちていった。
駆けつけていた何人もの兵がそれを目撃していた。もっともあまりにも恐ろしく、手も出せずただ傍観していただけだったが、男爵とその娘の魔女と、そして悪魔が息絶えたところを、彼らはしっかりと見た。やがてそれぞれ持っていた武器を放すと、みなその場に膝まづいた。
「どうかわれわれとこの領地の者たちを殺すことだけはお許しください。いえ、どうかお助けを」
男爵の悪行につき従って来た者の言い分らしい、至極厚かましい願いだとマティムは思った。
「どうする?兄さん」
「いままでさんざんひどいことをしてきたおまえらとその領民を助けろと?」
「それは充分に反省しております」
「まあそれは評価するよ」
「兄さん」
妹がムッとしている。またぼくの甘さを憤ってるんだろうけどね。
「評価はするけど、きみたちの罪が消えたわけじゃないよ」
「え?」
兵たちは一斉にたじろいだ。まあそうだろう。何人かは死ななくてはならないだろう。男爵につき従い、兵に命令した少なくても隊長クラスは断罪されるべきだと思った。
「では隊長を差し出しましょう。先ほどみんな逃げだしましたが、そう遠くへは行っていないでしょうから」
「それには及ばないよ。もう彼らは一足先に死んでいるからね」
「一足先?」
兵たちは見ていた。涼しい顔をしている少年と少女を。悪魔は言っていた。兄妹だと。兵たちは知った。これこそ終末だと。そしてこのふたりこそ、その終末の兄妹だと。ゆっくりと消える視界の中で、兵たちは少女の楽しそうな歌を、聞いた。