59 魔王降臨
つかつかと女の子が歩いてくる。剣も何も持たず、ただ花を入れた籠を腕に下げていた。
「なんだお前は!どこから来た?」
石垣や廃材を利用したバリケードの向こうから見張りの兵がそう言った。見張りに落ち度はない。こんな見晴らしのいい場所で、その少女の来ることに気がつかなくても、けっして責められるべきことではない。少女は魔族なのだ。
「お花を差し上げようと思って」
少女はちょこんとお辞儀をした。それはとても美しい仕草だった。いやおかしいだろと、多くの兵が気がついた。こんな夜更けに、たった一人現われるなんて、そいつはもはや物の怪の類…。
「アルメイダ将軍を呼べ!」
盗賊たちはそう口々に言い、後方に伝えたようだ。やがて恰幅のいい、立派な鎧を着た男が数人の騎士とともに現れた。
「お前は何だ?魔族か?魔族がなんでこんなところにいる。魔族はもうとっくに西の果てに逃げ散っていったぞ!」
そういうと黒衣の男を前に引き出した。どうやら魔法使いらしい。それなりに立派な杖を構えている。人間は生身では魔法を操れない。触媒としての器具が必要なのだ。杖や剣、あるいは鏡などがそれだ。そいつで魔素を自在に魔力と結合させる。結合されたそれは魔法となり、さまざまな力や物質に影響を与える。
その黒衣の男が杖を少女に向けた。ガルアリという魔石が嵌め込まれたそれは、彼が低級魔法使いではないことを示していた。
「ゲラーゲル・ライフォル…」
詠唱をはじめると明るい光の輪が現われ、それは魔法陣に変化する。魔法の種類によって色が変わる。いまの色は白色。重力を操る魔法だ。
「詠唱なんて古臭い。それに呪文だって魔族のパクリじゃない。よくそれで魔族と戦ってたわね」
黒衣の男の後ろにいた将軍と呼ばれる男が一歩出てきた。
「お前が何であろうとどうでもいい。だが魔族なら聞いておけ。あの魔王の部下の将軍、アストレルとファリエンドを討ち取ったのがわれらだ!」
それは魔族に対してのハッタリだろう。だが言う相手を間違えた。魔王に向かってそれは言ってはならないことなのだ。
「『暴風の青髪』と『赤髪の竜人』を討ち取っただと?それは真実か?なんという…」
どうしてここに魔族の、いたいけな少女がいるかはわからなかった。だが、あの恐ろしい魔族が、多少なりとも動揺したそぶりを見せたことで、この黒衣の魔法使いが必ず殺すか、それとも生け捕りにして、慰み者として将軍の前に引き出されるのは間違いないと、そう確信できた。
「…メンディション・アラフォルト!」
詠唱が終わり光の輪が輝いた。一気に重力が強烈にのしかかってくる。辺りの木々がへし折られていく。
「ふうん…つまらないわね」
少女はため息をつき、チラと空を見た。
「兄さんが殺すなっていうからあんたたちは殺さないけど、だけどあんたとその魔法使いは別。わが部下にして友にして同胞たる魔族の戦士の死を冒涜した。許されない。いい?ふたりの戦士を殺したのは、わが兄マティム。またの名を下川勇児。世界最後の勇者にしてわが愛する人。覚えておくのよ。その二人以外わね」
「ば、ばかな!この重力魔法が効かない?ありえん!」
黒衣の魔法使いは狼狽し始めている。きっと自分の最高位の魔法なんだ。それが効かないなんて、もう絶望的になるわね。
「その魔法はもとは魔族のもの。そんなもので押しつぶされる愚かな魔族はいないわ」
「なんだとこの小娘!」
こんどは赤い光の輪だ。火属性の魔法か。つまらない。まあしょせん盗賊あたりにお抱えになる魔法使いなんてこんなレベルなのかな。
「燃やし尽くせ!」
温度は…そうね、千度くらいかしらね。ぬるいわ。
「な…なんだこいつ!平然と…」
「なにをやっている!さっさと殺せ!」
「おバカさん」
あたしはそっと花をつかんで、そしてかざした。一瞬で黒衣の魔法使いは粉砕された。
「ひいっ!」
「動かないで、おじさん。集中するのが大変なのよ。怒りでみんな殺しちゃわないようにしてるのよ」
「バケモノめ!」
盗賊たちは一斉にかかってくるそぶりを見せた。これだけの実力差を見せつけてまだ挑んでくるおバカさんどもは、きっと兄の足手まといにしかならない。いない方がいいわね。
瞬間で数百の人間が灰になった。これこそ暗黒魔法なのだ。原子を繋ぎとめている力をなくす。ただそれだけだ。
「さて、あんたたち。どうするか決めなさい」
なんて言ってすぐに決断できるほど頭のいい人間は、ここにはいないんでしょうね。
「剣をみな降ろせ。われわれは触れちゃならないものに触れたんだ。どのみち殺される。せいぜい見苦しくないようにしよう。この魔族のねえちゃんに笑われないようにな」
失礼な言い方だったが悪意はないようだった。その男の声に呼応する者、逃げだす者、そしてなお生きあがこうとする者…それはしょせん寄せ集めの軍ということを露呈させた。もちろん後者のふたつは瞬時に排除された。
「あんた名前は?」
「もともとここにあったベルガーダ王国の騎士長、ドリューグという。国は魔王軍に滅ぼされ、このざまだ」
「それは気の毒ね。そん時死んでりゃ、よかったのに」
「そういうことだな。なああんた魔族なんだろ?魔族が人間に容赦しないのはわかっているが、あんたを見てるとなんか交渉できる気がするっていうのか、話をわかってくれそうな気がするんだが」
「どうだかね。でも聞くだけは聞いてあげるわ。それが兄の言いつけだから」
ほう、という顔をしてその騎士は剣を少女に投げてよこした。
「なら聞くだけ聞いてくれ。この俺の命と引き換えに、みなをここから逃がしてくれ。もちろん俺の身に合わない願いだとは思うが、そこをまげてお願いする」
「逃がしてまた盗賊させるの?殺してあげた方がみんな迷惑しなくていいわよ?」
「全部が全部盗賊に戻るわけじゃない。ほとんどがいやいや盗賊をさせられていた。みな生まれた村に戻り、そこで畑を耕し子を作る」
「村なんかどこにももうないわよ?」
「わかっている。だからまた村を作り直す」
それが人間というものだ。どんな逆境でも復活し再生する。綿々と続く営み。だがそれは…。
「そうして村を大きくし、やがて町になり国になる。そして他国を攻め、滅ぼす。人は集まれば欲望も膨らむ。膨らみ切ったそれは悪臭を放つ膿みのように破壊と殺意にまみれ、果ては自身を滅ぼす。まったく愚かなことだ」
「あんたの言う通りかもしれん。人間は愚かでバカな生き物さ」
騎士はうなだれていた。ここに残った千人足らずの盗賊兵も、みなうなだれた。
「まあそれでもあたしには関係ない。人間同士殺しあうのなんか、どうでもいいことよ」
「それじゃあ…俺の命と引き換えで…いいのか?」
「あんたのそのチンケな命なんてどうでもいいし興味もない。いま結界を解いてやる。好きに逃げなさい」
「かたじけない。みな、ここから離れろ。急ぐんだ。この人の気が変わらないうちに」
そう言っても、逃げて行くのはほんの数人で、かなりの盗賊兵が残っていた。
「なにやってんだお前ら!」
「騎士長こそなぜ逃げないんですか?」
「俺は…どうしていいかわからないんだ。死ぬべきときに死なず、生きるべきときにそれを躊躇する。臆病者なんだよ、俺は。だからこの人に殺してもらうのさ」
「だったら…お供します…いえ、させてください」
どうやら元騎士の部下のようだ。この国がなくなって、それでもお互い支えあってきたんだと思った。
「おまえら…」
「で、どうすんの?また戦う?無益な死を与えられたいの?」
「仕方ありません。ですからお願いです。どうかひとおもいに…」
「あほくさ」
何を言うかと思ったら、何のことはない、自決集団の介錯をしろってか。まったくドン引きだわね。ほんとくだらないやつらだわ。ああ、兄さんと出会う前にとっとと滅ぼしてりゃこんな嫌な思いはしなかった。だあれもいなくなった世界で、兄さんと二人っきりで過ごせたのに。まったくあたしってドジね。もっとも、兄さんがこの世界にいるなんて知らなかったから、なかば八つ当たり気味に人間を滅ぼしてたんだった。仕方ないか。
「あの…」
「ふん、あんたたちをどうするかは、あたしの兄さんが決めるでしょう。もうすぐ兄さんがここに来るわ。気の利いた命乞いのセリフでも考えとくのね」
「それはまさか…魔王、ということですか?」
「まさか!」
「で、すよね…。確か魔王は勇者によって相撃ちとなり、滅んだと聞いています」
「まあそういうことにしてあるからね」
「はい?」
「あたしの名はメティア・ドーゼス。魔王よ。それで兄さんはマティム。勇者よ」
「か、からかってんのか?」
「信じなくてもいいけど」
「い、いや信じるよ…。うわさはあったんだ。魔王と勇者は戦ったが、お互い死んではいない。わけあって身を隠したって…まさかと思うけど、でもこうやってあんたの力を見たら、信じざるを得ないだろ?」
その場にいた全員がへなへなと座り込んだ。こんな絶望があるだろうか?目の前に、あの魔王がいるのだ。なぜか少女の姿をしているが、いや、確かに魔王は少女の姿をしていると聞いた。それはたった一人の帝国の生き残りだった男が言っていた。
そうするうちに少年が現われた。ぞろぞろと盗賊兵を引き連れていた。みなボロボロでひどい格好になっていた。