26 狂気の訪れ
「魔族だけでなく獣人どもが人間を襲い始めたと?」
グラーフ王国は人口も多く、水路を利用した工業が盛んな国だ。兵も多く、精強だ。やがて来る魔王軍に備え、今まさに防備を固めているところだった。そんなとき、諸国連合の使者が来た。
「はい、すでに諸国連合の三つの国が獣人の蹂躙により滅んでしまいました」
「なんと…」
グラーフ王国国王アルシュベルツ三世は絶望した。魔王軍に加えて獣人とのいくさなど、とても防ぐことはできない。
「そこでわが王の提案です。われら諸国連合とともに一大決戦を、と」
「アルデンスタイン王が?決戦とな…」
「人間族の意地と力を見せるときだと」
「意地、ねえ…」
不確かな情報だが、こちらに迫る魔王軍は百万。しかし遥か北の報せでも百万の魔族軍が出現し、すでにいくつもの人間国が襲われ、壊滅しているという。さらに南の果てからも同じような報告がされている。いったい魔王軍はどれだけの戦力なのか、もはや見当がつかなくなっている。それに加えて世界中の獣人が加わったら、もはや人類に未来はない。もはや狂気が訪れたのだ。
「今や迷われる時ではありません」
「そうだな…。決断する時が来たのかも知れん。ところでそなたの国にいる魔導師どのはいかがしておる?まさか傍観しているわけでもあるまい?かの百年戦争の最強魔導師が」
「その存在は秘密、です」
「公然の秘密であろう?いまさら隠さなくてもいいだろう」
使者はふっと、あきらめたような顔をした。
「もうすべて包み隠さずお伝えするべきと判断いたします。かの魔導師エルガはわがアルデアン王国内の某所にて構えたる居城にありましたが、わが王の意を受け、魔王に単独挑んでございました」
「ほう。して首尾は?」
「行方不明とのこと。恐らく魔王に相当の痛手を受け、生死すら不明になりましてございます。生きていれば何らかの報せも参りましょうが、いまのところ音沙汰もなく、王も絶望視されております」
「なんと…」
人類最強、いや世界最強と謳われたかの魔導師が生死不明…いや、魔王はその力を凌ぐというのか?信じられん。
「われわれ諸国連合は、貴国の後ろ盾となり、ここを人類の防波堤として互いに協力し合いたいと」
ルーデリア山脈…。大陸を東西に隔てる長大な山脈。その麓にこの国はある。まったく忌々しいことを考えるものだ。人類の防波堤と聞こえはいいが、何のことはない、この国を盾に使おうって腹じゃないか。
「わが国に選ぶ方策はまだある」
「ほう?まさか…」
「さよう、そのまさかです。魔王に下る。恭順すれば、いくらかの人間は生き残れよう」
「ばかな!魔王に隷属など」
「出来ねばみな死ぬ。わかっているはずだ」
「わかってないのは王、あなただ」
そうだ。いままで恭順した国々はあった。だがひとりの人間も生き残ることはなかった。たとえ魔王がそれを認めても、そもそも魔族の中に、武器も持たずか弱い無防備な人間を放り込んだら、どうなるかは子供でも分かることだ。
「もうどうすればいいというのだ…」
「われわれも戦う。この国を盾にはさせん。ただ、この国を足場にして魔王軍を押し返す。どうか協力してください」
しばしの沈黙が続いた。それはとても長い時間にお互い感じた。
「わかりましたサリアン伯爵。アルデンスタイン王の右腕のあなたがそう申されているです。信じましょう」
「かたじけない。しかしまったく勝機がないわけではありません」
「と、言うと?」
「勇者です。魔王を打ち破れる人間がおります」
「それは…まことか」
「はい、わが国の西方、ユルゲンスという商業都市に住んでいると聞きます。いま使いが迎えに」
「それは朗報。いくばくかの光明が見えた気がします」
こうして人類の未来をかけた未曽有の防衛線が築かれることになった。それは勇者とともに、魔王を迎え撃つために。