22 獣人族の王
恐ろしい戦いをするものだ。物見の者たちが震え上がっていた。
「獣王さま、いかがいたします?もうじきリザレリア王国が消滅いたします。さすれば魔王軍は次にこの獣王国ギガ・グリアへと侵攻して来るでしょう」
すでに獣王国との国境線に魔王軍は迫っている。国境に配置している獣王軍の各砦は、魔王軍の小型翼竜たちがもたらす火焔魔法や爆炎魔法ですべて壊滅し、大型翼竜に乗った魔族軍が降下して制圧していた。物見の獣人たちがそれを目撃し、それを先ほど報告してきた。
「戦うか逃げるか、だが…逃げるところはそうないぞ?」
獣王ガシム。獣人族の#長__おさ__#であり獣王国の王でもあった。
「どちらを選択するにせよ、獣人一千万はあなたにみな従いまする」
そういって豹族の長老が平伏した。宰相グーガ。父の代から仕えている信義厚き家臣だ。
「逃げるのは本意ではないが、かの者たちの力を見れば、そうせざるを得んな。グーガよ…長老たちをまとめ、北の果てにあるわが母の祖国ビリディアンにみなを連れていけ。了解は取ってある。かの国の国王、ハイスマンは快く引き受けてくれた」
北の果ての亜人国。道のりは遠いが、何割かはたどり着けるだろう。
「王はどうされる?」
「近衛とともにここに残り、魔王とやらに獣人族の意地を見せてくれよう」
「なりませぬ、とは言えないのですね…?いえ、お父上ならきっとそうされたでしょう」
「グーガよ、頼む」
「わかりました。ご武運を…」
今生の別れとなる。しっかりとグーガのその手を握ると、王は頭を下げた。グーガはこうべを垂れ、涙した。
「あらあら、なかなかいい場面だったのに、邪魔しちゃったみたいね?」
女人の声だ。振り向くと、薄緑色の皮膚をした美しい女が立っていた。真っ赤な軽鎧を体のところどころにつけているだけで、身体の線は妖艶なほど露出している。
「誰だきさまは!」
「これは申し遅れました。わたしは魔王軍近衛軍団長ファリエンドと申します。この度は魔王メティアさまのお言いつけで、かしこくもその伝言を持ってまいりました」
「魔王、からだと?」
魔王はメティアという名前なのか?うかつにもそれは知らなかった。知るはずもない。魔王が進撃をはじめて何か月も経っているわけでもない。情報などないに等しいのだ。
「慈悲深き魔王さまはおっしゃられました。降伏せよ、と。汝の臣民のすべての命を差し出すように。さすれば汝と汝の妻子は生かそうと」
「馬鹿か?そんなことはできぬ。逆ならまだしも」
「受け入れぬ時はひとりも残らず殺すことになるわ」
どのみち皆殺しにする気なんだろう。獣王ガシムは湧き上がる怒りの炎に焦がれそうになった。だがここはこらえなければならない。
「ファリエンドさまとおっしゃいましたな?どうかわが命をもって魔王さまに、いえ、魔王メティアさまにおとりなしをお願いできませんか?」
「魔王さまに何を?」
「しばしのご猶予を、と」
「猶予していかがする?」
魔王にもはや嘘偽りは通用しないだろう。すべて見通している。もはや駆け引きの段階ではない。
「わが臣民一千万を北の果てのわが親族の国に逃れさせます。その時間的ご猶予を賜りたいと」
「お前ひとりの命で、か?」
「厚かましきことは重々承知しております」
「獣人族を束ねる獣王ガシムは偉大だ、と聞いたことがある。まったく眉唾だったな。こんな弱腰の王に魔王さまはお心を砕いておられたのか…なぜわたしが遣わされたのか、わけがわからない」
なぜ?そうだ。一飲みにできるのに、なぜわざわざ使者を寄こしこっちの腹を探ろうとする?魔王の腹はなんだ?どうしたいんだ?
「いつまでも遅いから来ちゃった」
「ま、魔王さま!」
ふっと現れたその姿に獣王ガシムは畏怖とも羨望とも言えない不思議な気持ちになった。魔族の少女は、美しい姿と引き換えに、そのあたりの空気を恐怖によって凍らせていた。魔王が?魔王が何でここに?
「ファリエンド、話は進んでる?」
「魔王さま、それが…話す相手が愚物ではいかんともしがたく…」
「まあ、バカだったの?それはあたしのミスね」
「ひっ!ま、魔王さまのミスなどと…けっして…」
人間の自分がわかるほど、このファリエンドという魔族の女が青ざめたのを、ガシムは何か恐ろしいものが起きる前兆だととらえた。もう呼吸さえままならない、そんな気がした。
「自分はいくらでもなじられましょう。魔王さまにおかれましては、どうか穏便に…」
「へえ、まんざらおバカさんでもないみたいじゃない」
魔王は真顔で言った。美しい顔だった。こんなときにおかしいが、心の底からそう思ってしまった。
「それで、わたしになにか?」
「ちょっと話がしたかったの。ねえ、あんたたちがあてにしてるビリディアン王国ね、あれ、潰しちゃったよ?」
「な、なんですと!」
「うちの別働軍百万がね」
「別働?魔王軍はほかにも?」
「当り前じゃない。ほかにもまだいるわ。あんたあたしの軍がそんなもんだと思っていたわけ?ウケる」
そう言って魔族の少女は笑った。