2 魔王誕生
「姫さま、お湯のお加減はいかがでしょうか?」
「いいお湯よ。熱くもないしぬるくもない。それにとっても香りのいい入浴剤。どこでこんなもの手に入れたの?」
「人間の町を先日襲いまして、そこで手に入れたとゴリエス将軍が献上のとき言っておりました」
「ふうん」
あたしが特段興味を示さないので、メイド頭のジョリエンはもうそれについて言ったりはしなかった。人間の町を襲う、か…まあ、魔族なら当然よね。ちょっとは心の痛みもあるけど、もう慣れた。仕方ないんだ。あたしは転生者としてこの世界に生まれた。大魔導師にして魔族の王ドーゼスの娘がいまのあたし。もうすぐ十五歳…あたしが死んだ歳だ。もう元の名を思い出すこともなくなった。下川真希…いまはメティア姫と呼ばれてる。
「王がお呼びだそうです」
「父上が?」
「はい」
「わかったわ。ジョリエン、服を」
「甲冑は?」
「いやよそんなもの」
「お父上様は喜ばれます」
あーあ、めんどくさ。魔法の鎧に魔法の剣。女の子のあたしにそんなもの着せて、なにが嬉しいんだろう。まあしかたないか。父は魔族の王。人間を滅ぼすため執念を燃やしている。そんなところに生まれたあたしの運命に従うしかないか。
「イプシスの鎧を」
「かしこまりました。転移魔法付与の鎧ですね」
父のところまでは遠い。ここは壮大な魔族の王の居城なのだ。しかも迷宮という凝った造りだ。あたしが小さいころ何度遭難しかけたか。この鎧なら問題ない。
目の前に父の寝台があった。父は病に伏せって長い。いかに魔族であろうが大魔導師であろうが、病には勝てないのだ。なぜかはわからない。ただ父は、ある時ひとことだけこう言った。「宿業」だと。それがどういう意味なのかは分からないが、母を幼き日になくしたのもおそらくその「宿業」のせいなのだ。
「メティアか…よく来た」
「昼間も来たわ」
「いやそれ言うかな?なんかこういう切ない場面で」
「それより何よ?あたし忙しいのよ」
「あのね、わしがどう見てももう死にそうなときにね、忙しいのよはないだろう?」
「何言ってんのよ。年がら年中呼び出して、それいったいいつまでやんの?いつになったら死ぬのよ」
「ひどい、おまえ。ひどいよ、それ」
まったくわがままな父だ。寿命は当に尽きておる、とかなんとか言っちゃってもう何年になるかしら。いい加減聞き飽きたわ、その死にそうって言葉。母もこんな父だから早死にしたんだわ、きっと。
「いいから用件」
「んもう」
まあ父に愛情はないとは言わない。少なくともこの恐ろしい世界であたしを守り育て、そして強大な力を与えてくれた。魔族の魔力は強大だ。そして魔族最高の魔導師が父なのだ。父は、いまやあたしが父以上の魔導師だと言った。それがどういうことかわからないけど、あたしはもう、父にとって代わらなければならない時期だと自覚している。
「われわれは常に人間どもを根絶やしにすることに想いを馳せてきた。いにしえより人間は魔族を憎みそして常に滅ぼそうとしてきたからだ。そうしてわが魔族軍は強大になり、いまや人間の世界に攻め込んでいるところだ」
心はちょっと痛むけど、それがあたしたち魔族の宿命だもんね。受け入れているよ、父上。
「恐れていた勇者もほとんどを倒した。まあ、おかげでこんなになってしまったがな。しかしわたしは後悔していない。愛するお前に、何の脅威もない世界を与えるため、わたしはどんなこともすると、死んだ妻と誓っていたからだ」
泣かせる話ね。これが人間の普通の王さまで、美しい森に囲まれた真っ白なお城でそう言われたら、あたしは感激して泣いてしまうところよ。まあ、おかげさまで窓の外には魔の森や魔獣や翼竜が飛び交っている景色のせいで、涙腺なんかとっくに干からびているわ。
「そしてその願いは叶うだろう…。お前がなるからな」
「なるからって…何に?」
「魔王だよ。おまえにはその力がある。何せわたし以上の大魔導師にして魔族最強の力を持つものだからな!」
こうしてあたし下川真希、いえメティア・ドーゼスは魔王になった。