序 晴天にて、少年少女希う その二
思業の儀を終わらせた惟幸は、陰陽寮内へと足を運ばせた。
陰陽寮の中に入って見ると、和風の外見とは裏腹に西洋的な内装となっていた。和洋折衷、やや洋が強めと言った所だ。
洋式帳場へ向かい受付の栗色髪の妙齢の女性に声をかける。着物姿のその女性は頭上に猫耳が生えていた。獣人という知識を持たない人から見たら、きっと猫又に化かされたと考えるだろう。
「あの、すみません」
「はい、どうかしましたか?」
「任務の斡旋をお願いしたいのですが………」
「? もし、親御さんの代わりに来たのでしたら、申し訳ありませんが、受注は本人のいない所では出来ない決まりなのです」
………ああ、これは良くない流れだ。
意思のすれ違いを察した惟幸は、直ぐに訂正しようとする。
「私は両親の使いで来たわけではありません。受けるのは私です」
「でしたら、尚更、お引き取りたくお願いします。坊やの様な子供に受けられる仕事はありません」
そこから、平行線の会話が少し続く。
正直、女性の言い分の理解できるが、惟幸としても引き下がる訳にはいかなかった。
七草童はほっぺを膨らませて抗議の意を顕にするが、女性から完璧に無視されている。
「ですから、私はもう正式な陰陽師です。今日、此方で思業の儀も終わらせました」
「………正式な陰陽師の定義、と言うものはまだ存在しません。ですので、受注の許可はその場の担当の判断によって決められます。私は坊やに任務の遂行は可能ではないと判断しました。どうかご理解頂きたく存じます」
礼儀正しく、頭を下げられる。しかし、惟幸の言い分は何一つ受諾されてはいなかった。
これでは話が終わらない、面倒臭いが一旦引き帰って出直そうかとしたその時だった。
「少し待ちなさい、シャーナ君」
聞き覚えのあった声、振り返ればいつの間にか厳つい顔立ちの男が立っている。それは先程の思業の儀を統率していた壮年の陰陽師であった。
「寮長、如何なされましたか?」
男は此方を一瞥すると、女性の方に顔を向けた。
「シャーナ君、昨日きた物怪の依頼があったはずだ。それをこの子に受けさせなさい」
「はい!?し、しかし、寮長………!」
「シャーナ君の言い分もよく分かる。だが、年齢のみでその者の能力を推し量るのは、やや早計だと言わざるを得ないな」
「早計って………、分かりました。では幾つか質問をさせて頂きます。
まず、護符は幾つ持っていますか?」
「十、です」
「では、符術は如何程まで?」
「火符、水符、木符、金符、土符………、五行符は全て作れます。それと特殊派生を少し」
「………本当ですか?見栄を張っても何も良いことはありませんよ」
「見栄なんて張っていません」
女性の疑いに少し苛立ちを覚える。何とか顔に出さないようにしたが、惟幸の心情を察した童達はムッと分かりやすく憤慨の意を示した。
「次に、陰陽術は?」
「呪力の基本と五行運転は完璧に会得しました。九字切り、そして祝詞を三つ、真言を九つ」
女性が少し目を見開いたのが見えた。無理もない、惟幸が口にしたのは殆どの十二歳には出来ないことであった。それは同年齢の最高水準、一部の天才にしか到達し得ない芸当。
事実、惟幸はその年齢の最高峰に位置する少年である。天性の非凡にも胡座をかかず、並ならぬ努力で其処に至った。
そこに、驕りがないと言えば嘘になってしまう。女性の様子を見て密かに天狗になっていた。そして、童達は自分の事のように鼻を高くしていた。
「最後に、式神について。其方の七体以外に何かを従わせていますか?」
「鎌鼬を三体、土蝦蟇を一体、それと父から管狐を一体預かっております」
「………成程、分かりました、任務の受注を認めます。資料書を持ってきますので暫くお待ちを」
そう言って、そそくさと女性は奥へ向かって行った。
女性が見えなくなってから、惟幸は男に向かって礼を言う。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「いや、礼はいい。
それよりも、紀朝は元気か?」
五御門紀朝、惟幸の父親の名である。
「父のご友人でしたか。はい、父は元気ですよ」
「………そうか、元気ならばいい。しかし、見るに奴の家の教育方針は変わらない様だな」
「ええ、不可能と無茶の狭間を要求してきて、正直骨が折れますよ。今日も『思業の儀を終わらせたら、そのまま任務も貰ってきなさい』って………」
惟幸の苦言を聞いた男は豪快に笑った。
「がはははは!そうか、そうか、変わらないようで何よりだ!ははははは!」
「寮長、お静かにお願いします」
いつの間にか帰っていたシャーナが男を諌めた。
「す、すまん………」
「もうっ………、こちらが任務の資料で御座います、どうぞ」
資料を受け取って、目を通す。物怪退治とは聞いたが、既に目星は付いているようだ。浄伐対象は人に害を為すが弱い物怪のようだ。
危険度は今の自分にとってちょうど良いものであった。
静かに資料を読んでいる時も、二人は話している。
「ううむ………、臨機応変、と言うのも限界があるようだな」
「ええ、そうですね。それに最近、一定の金額でしか受けようとしない、実力に見合っていない任務を受けようとする傾向が顕著に出てきています」
「むむ、そうだな………。以前、シャーナ君が言っていた“らんく”なる制度を取り入れるべきか………」
「はい、私もそう思います。ですが、また批判が起こり骨の折れる仕事になりそうですね」
「ああ、陰陽寮の改装もそうだったからなぁ………」
何やら、難しい話をしていたようだ。話を割るならここだろう、と資料を読み終えた惟幸が差し込んだ。
「資料は読み終わりました。すみませんが、呪符用の和紙を一枚頂いても良いですか?それから、筆と墨も」
「構いませんよ、こちらをどうぞ」
差し出された和紙に文字を書く。そして、出来たそれを指先で摘む。
己の気を紙に流した。
「『飛べ』」
言霊を込めて命ずる。すると、その紙は瞬く間に猛禽に変化し、扉を抜けて飛んでいった。
「ほう、その年で………。見事だな」
「お褒めに預かりありがとうございます」
「今のは紀朝への手紙のようだな、一旦家に帰らなくても良いのか?」
「先程、拝見した資料に書かれていた目的地が家と丁度反対側にあったんです。
此処から家に帰るにもそれなりの賃金が必要になってしまいます。ならば、このまま行った方が節約になると思いまして………」
「………その貧乏根性も変わらないようだな」
準備も整いこれ以上此処にいる理由も無くなった。
童達と陰陽寮を出ようとしたその時、惟幸が思い出したように振り返る。
「申し訳ありません、助けて頂いたのにお名前を聞くのを忘れてしまいました」
「ん、ああ、私の名は隆広だ。大野隆広」
もう一度、ぺこりとお礼をしてから、陰陽寮を後にした。
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陰陽寮を去った惟幸が次に向かったのは駅。
こちらは先程の陰陽寮と比べると完璧な洋式建築となっていた。
彩色豊かなる異国情景。光沢ある木材、褐赤誇る煉瓦、黒鉄に彫刻が芸術性の衝撃を目に与える。
信じられないかもしれないが、これで葦洲は鎖国中である。それも一年や二年などではない。それこそ、初代鹿賀将軍が今重幕府を開かれて以来ずっとである。
では何故このように西洋文化が流れ込んできたのか、それは十四年前、三十二年前に“異界迷い”が起こり、迷い人が葦洲に現れたからに他ならない。
ちらり、横方の人に目を向ける。
褐色の肌に、隆々たる矮躯。謂わば“ドワーフ”と呼ばれる人種であった。
盗み聞きするつもりはさらさら無かったものの、どうしようもなく耳に入ってしまう。
「よお、今日もダンジョン潜りか」
「ああ、ニックのやつと三郎助も呼んだぜ!
ギルドで集合する約束したから、さっさと行こうや!」
異界迷い。
三十二年前、葦洲各地に突如ダンジョンなるものが現れた。
それは、異界より流れ着いた神跡。尽きぬ資源を蓄えた無窮の秘境。
その中に、迷い人達は居た。
最初、彼らも何が起こったか分からなかったようだった。その後、迷い人達は幕府と一悶着起こったが、朝廷の介入もあって、今の状態に落ち着いた。
迷い人の間には、このような噂話がある。
曰く、ダンジョンの最深部にはどのような願望も叶えるアイテムがある、と。そのために、迷い人達はギルドなる組織を作り、ダンジョン潜りを生業にしている。中には、現地の葦洲人もいるそうな。
乗車券を買って、駅に乗り込む。初めての体験だったが、やり方は既に父親から教わっていたため、思いの外すんなりと終わった。
「もう出てきていいよ」
そっと、声をかける。
ポンっと、七草童達が虚空から出てきた。
無駄に列車賃を取られない為に隠形させていのだ。
違法では無い………、と信じたい。いや、実際七草童は人ではないし。
(ダンジョンか………、行った事ないな。どんな所なんだろう?)
父に連れられて山で修行したことは、今でもよく覚えている。しかし、鍛錬にダンジョンが使われることはなかった。話を聞くに、父は行ったことがあるらしい。
………。
『お父様、何時になったら山を下るのですか?』
『三日後だ、お前が大物を仕留めたらもう少し早く下りれる』
『………そもそもどうして山で修行しなくちゃいけないんですか。物怪なら街の外れでも出ますよ』
『駄目だ、そういった物怪は負の思念によって生まれた弱いものばかりだ。鍛錬にならない』
『………それならダンジョンはどうです。彼処の物怪なら手強いと聞きますが』
『………駄目だ、危険すぎる』
『ふーん、珍しいです。何時も無茶を要求してくる父様が危険と言うとは。そんなに危ない場所なんですか?』
『危ないかどうかと言うと、そうでも無い。だが、そうだな………色々あるが、これだけは言っておこう。決して一人で深部に潜るな、決してだ』
………。
「う、うーん………。はっ!」
昏睡の中から起こされた。何時の間にか眠ってしまっていたようだ。
周りを見るにもうすぐ着きそうで、外は既に薄らと茜色に染まっていた。
どうやら隣に座っていた七草童達が起こしてくれたらしい。
「ありがとうね、お陰で助かったよ」
惟幸のお礼に、童達は満面の笑みで返す。
この子達はどうやら、あまり隠形をしたがらないらしく、惟幸が眠っている間はずっとその姿をあらわにしていた。そのため、視線が集まってしまうのは仕方のないことだった。
視線に気づいた惟幸は少し取り乱す。変に目立ってしまうのは不本意であった。
列車が駅に着いてからは平然を装い、ほんのちょっと急いで出ていく。
ーー佐田藩、方緒村。
「………君たちには、ちゃんと隠形の仕方を教えないとだね」
「「「「「「「???」」」」」」」
全く同じ理解できてない顔が此方を見てくる。
はぁ、と溜息が出そうになったが、堪えることにした。
何せ、これから初仕事なのだ。幸先は良いものにしたかったのである。
………さて、まずは依頼者探しだ。
頭に入っている番地を頼りにしながら、目的地へ向かう。
夜になる前には詳細を聞き終えたい。新しい風を感じながら、惟幸は七草童と共に駆け出した。