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葦洲における陰陽師の歴史
極東の大海原に浮かぶ島国、葦洲。又の美称、大和日本千五百秋穂太八原中津国にて、陰陽師なる者達が存在する。
丹日時代にて東奥大陸より取り入れた仏教、そして密教が古来の葦洲神道と混合し、稀代の呪術師、山岳行者がそれを修験道として泰明時代に確立した。
後に聖護院が作られ修験者または山伏と呼ばれる者達は呪術師と共に泰明の世の平穏を守ってきた。
しかし泰明後期にて、突如として帝の命により修験道は廃止され、聖護院は取り壊された。
それからしばらくして、東奥大陸東南部、龍土より陰陽五行説が伝来し、山岳行者の子孫達は陰陽五行説を基盤に、仏教、密教、儒教、道教、神道を合習し、陰陽道なるものを誕生させた。
彼らは、藤宮氏を授かりて朝廷に従う。
ある年に、さる下級貴族の少年が藤宮の当主にその才能を認められ、師弟の関係となる。少年が十二を数えた時に、史上最凶の百鬼夜行が起こり、彼は十二体の式神と己の陰陽術のみでそれを鎮滅し、世を救った。
その後、彼の子孫は家名を五御門に変え、藤宮家と共に陰陽道の宗家となる。