婚約破棄? 私、影武者ですよ?
「侯爵令嬢、ナタリー・マクガーヴェイ! 彼女との婚約を破棄する!」
「な……!?」
貴族子女が集う学園のパーティーで、第三王子・ヴィクター様の声が響く。
突然の婚約破棄。
他の令息令嬢も戸惑いの声を上げている。
そしてその中心にいるのは私、ナタリー・マクガーヴェイ。
目の前にいる第三王子様の婚約者だ。
「ヴィクター様……本気なのですね……?」
「すまない。既に国王様達も了承の上だ。それにお互いのためにも、身分を偽る婚約を続けることはできない」
「!?」
「君はナタリーではない! 容姿が同じ、全くの別人なのだから!」
いきなりそう宣告され、身構えていた筈の背筋が凍る。
もしかして、バレていたのか。
気付かない内に冷や汗が流れる。
いつから、何処から気付かれていたのか。
そう、私は確かにナタリー・マクガーヴェイを名乗って学園生活を送っていた。
その正体は影武者。
主であるナタリー様と瓜二つの別人なのだ。
私は声を震わせてヴィクター様に問う。
「そんな……一体、いつから……」
「誤魔化す必要はない。君の身分は、この場にいる全員が知っている筈だ」
ヴィクター様は既に確信を抱いているようだった。
そのまま彼は、パーティーにいた一人の令嬢を指差す。
「お前は、かつてのナタリー・マクガーヴェイをどんな人間だと思っている?」
「れ……冷酷非道な悪女かと……」
「そこのお前はどう思う?」
「血も涙もない、女であると……」
酷い評判である。
同級生からここまで言われるとは、相当な事をしでかしたのだろう。
私とは似ても似つかない。
と、そこまで考えて私はハッとする。
その変化を感じ取り、彼は続けた。
「この通りだ。ナタリー・マクガーヴェイは、己の邪魔をする者は実力行使で排除するという人物なのだ。この学園でも、その脅威に屈した生徒は数知れず。教員ですら、侯爵令嬢という立場ゆえに口を挟めない事態が続いていた。だというのに、君の今までの言動は何だ?」
「……!?」
「君の行動は清廉潔白! 弱者に手を差し伸べ、いたぶる強者を良しとしない! まさしくそれは貴族としてあるべき姿! 例え容姿や言動が似ていようとも、ナタリー・マクガーヴェイとは似ても似つかない! 真っ赤な偽物だ! そして王子である俺に影武者を差し向ける行為、それは決して看過できない事だ! 故に君……いや、ナタリーとの婚約を破棄する!」
「ヴィクター様……」
「最早、疑う余地などないだろう」
まさか、それが破棄の原因だったのか。
私が他の人達に卑劣な行為をしなかったから、偽物だと思われたと。
確かにそんな真似は一切しなかったし、するつもりもなかった。
でも、それはあまりに不条理だ。
私は俯きながらも答える。
「異論はないな? ならば今度は、俺から明かすべき事が……」
「異論は、あります」
「な、何だって?」
「なぜなら、私は……」
思い切り顔を上げる。
その勢いのまま、私は大声で言った。
「あんな非道な事! 私にはどうしても出来なかったのです!」
「!?」
「下剤を仕込んだり! 階段から突き落としたり! 他のご令嬢の品々を廃棄するなどと! 私には、到底出来ませんでした! あんな卑劣な事をするくらいならば、貴方に失望されるくらいならば、舌を噛み切って死んでいます!」
「えっ……ちょっ……き、君……?」
ヴィクター様は動揺しているが、最早止まらない。
そう、本物のナタリー様は本当に酷い方だった。
第一に自分を考える人で、邪魔立てする人には一切の容赦がなかった。
今言った事も、所詮は序の口。
口では言えないような非道も軽々やってのける。
侯爵令嬢である事を理由に、あのお方は一線を踏み越えてしまったのだ。
影武者として成り代わっていた私も、どうにか同じ言動をしようと努めた。
でも、出来なかった。
従者である私には、どうしても出来なかったのだ。
「私は確かに、ナタリー様の影武者です。しかし、それは全てナタリー様がしでかした汚名を返上するため。現状を嘆いていらしたお館様からの意向もあって、私はこの学園に身分を偽って潜入したのです」
「な、ならば、本物の彼女は何処に……?」
「何者かに仕込まれた変身薬を飲んで……豚の姿に……」
「えぇ!?」
「それだけ恨まれていたという事でしょう。ですから私は、影の者としての使命を全うしようと……」
未だナタリー様は豚の姿のまま、屋敷で保護されている。
強力な変身薬だったようで、ようやく解決の糸口が掴めるかどうか、といった段階。
見込みではあと数年は要すると聞いている。
だからこそ私はそれまでの間、ナタリー様に成り代わり、今まで重ねてきた悪評を晴らそうとしてきた。
でもそれも、全て無駄だった。
自分の失態が原因の婚約破棄など、取り返しがつかない。
そう思っていると、取り巻きにいた令嬢の一人が私の傍に並び立つ。
彼女の視線は、ヴィクター様を真っすぐに見ていた。
「ヴィクター様、私はナタリー様……いえ、このお方に命を救われました。足を滑らせて階段から落ちた時、この方は治癒魔法で重傷だった私の傷を必死に癒してくれたのです。かつてのナタリー様ならば、私のような地位の低い男爵令嬢など気にも止めなかったでしょう。このお方が影武者であろうと関係ありません。彼女はまさしく、模範となるべきお方」
私を庇ってくれるのか。
思わず見上げると、ご令嬢は私に微笑みかけてくれた。
温かな笑みだった。
それを始まりに、他のご令嬢達からも次々と声が上がる。
「そもそも、清廉潔白なら別に良いんじゃない?」
「確かに……前のナタリー様が戻ってくるくらいなら、今の影武者ちゃんの方が何億倍もマシだわ」
「わ、私もそう思います。ナタリー様に壊された人形を、あの方は手ずから直してくれました。私には、あの方を断罪するなんてとても……」
「というか、豚になっていたのね……気の毒だけど、因果応報というか……」
皆、影武者である私を擁護している。
私は皆を騙していたというのに、貴族ですらないのに、誰も非難しようとない。
思わず目頭が熱くなる。
するとヴィクター様は慌てふためき始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 例え潔白であろうと、皆を騙していたことは事実! それは国の決まりに従えば、婚約破棄に至るには十分なもので……!」
「騙していた……騙していた、ですか……」
「!?」
「それは本当に、私だけに言える事でしょうか。ヴィクター様」
皆の声を受けて私はもう一度、顔を上げた。
ヴィクター様がそう言うなら、私からも言いたい事がある。
それは前々から気付いていたもの。
影武者である私だからこそ、直ぐに分かった真実。
此処まで来たのだ。
もう恐れるものはない。
私は自爆覚悟で、狼狽える彼に向けて重大な秘密を打ち明ける。
「隠す必要はありませんよ。貴方も私と同じ、影武者なのでしょう?」
「なッ!?」
告げられたヴィクター様は、思わずひっくり返りそうになり、寸前で踏み止まった。
分かりやすい反応である。
「ば、馬鹿な!? 一体、いつからそんな……!」
「でしたら、この場にいる方々にお聞きしましょう」
そう言って、私は他のご令嬢へと振り返る。
この場にある確かな証言を見せつけるように。
「かつてのヴィクター王子は、どのような方でしたか?」
「天性の女たらし……」
「そちらの貴方はどう思いますか?」
「女遊びに耽っていた、だらしのないお方です……」
酷い評判である。
同級生からここまで言われるとは、相当な事をしでかしたのだろう。
今のヴィクター様とは似ても似つかない。
と、そこまで聞いて彼はハッとする。
その変化を感じ取り、私は続けた。
「この通りです。本来のヴィクター様は、美しい女性を見ては口説いて回る残念なお方でした。その毒牙にかかり、枕を涙で濡らした女性は数知れず。影武者である私にも、その知らせは確かに届いておりました」
「……!?」
「ですが、今までの貴方の行動はどうでしょうか? 学園での貴方の言動は、まさしく清廉潔白! 武芸を嗜み、驕る事も一切なく謙虚であり続けていました! 例え容姿が似ていようと、かつてのヴィクター様とは似ても似つきません! それはこの場にいる者全員が、理解している事でしょう! 騙していたというならば、貴方も同じことです!」
「ぐッ……!」
「異論は、ありませんね?」
私を影武者として断罪するならば、その逆も然りだ。
貴族の令息令嬢を騙し、学園生活を送っていたのだから。
所謂、同罪である。
私が高らかに宣言して以降、重い沈黙が続いていく。
すると不意に彼は、身体を震わせた。
「異論なら、あるさ」
「えっ」
「俺も……俺だって……!」
彼は思い切り顔を上げる。
そしてその勢いのまま大声で言った。
「あんな非道な事! どうしても出来なかったんだ!」
「!?」
「逐一女性を口説いて回るなんて、そんな学は俺にはなかった! キザな台詞を吐いて、元から興味などなかったと言い捨てたり……。自分の欲求のためだけに多くの女性を泣かせるなど、君に失望されるなど、どうしても出来なかった! それに王宮には学ぶべき、彼以上の好色家はいなかったから!」
「で、でしたら、本物のヴィクター様は……?」
「以前、旅する魔女を口説いた事があって……。それでいて別の女性に現を抜かしたモノだから、その魔女の呪いを受けて豚の姿に……」
「えぇっ!?」
私だけでなく、周りの人々も驚きの声を上げた。
彼が影武者である事は分かっていたので、何かよっぽどの事情があるのだと思っていたが。
まさかヴィクター様まで豚に変えられていたとは。
つまりナタリー様と同じ状況。
前後不覚で婚約を続けられる状況ではない。
まさか、それ故にこの場で破棄の宣言をしたのだろうか。
令息の方々がヒソヒソ話を始める。
「確かに第三王子の素行は、オレから見ても酷かったぜ」
「まさに女の敵、だったよな」
「それに嫉妬深いし、今の影武者くんの方が何億倍もマシだよ」
結果的に貴族の皆を騙していたのだが、誰も責めようとはしない。
今まで積み上げてきた彼の王族らしい行動力が、そうさせていたのだ。
周りの声を聞き、彼は目元を抑える。
これは、目頭が熱くなっている。
既視感を覚えた私は、自分と同じ状況なのではないかと推測する。
そして影武者として成り代わっていた理由を尋ねた。
「つまり、貴方もヴィクター様の名誉を取り戻すため、成り代わっていたのですね?」
「その通りだ……すまない……」
脱力しながら、彼はそう言う。
やはりだった。
無類の女好きであるヴィクター様の評判は、王族であっても中々に悪かった。
魔女の呪いで豚になっている間、その評判を覆すために彼は影武者として抗っていた。
同じ苦労を、同じように背負っていたのだ。
私に彼を責める事は出来なかった。
互いに歩み寄り、今までの苦労を無言の中で分かち合う。
本当の意味で、彼と分かり合えたような気がした。
「ええと……それで結局、どうなったの……?」
すると何処からか聞こえた呟きが響き、うーん、と言いたげな沈黙が続く。
確かに結局の所、どう収拾を付ければ良いのか。
お互いに影武者であると分かった以上、婚約も何もない。
皆が私達二人に視線を向けると、彼がそれに応えるように思い切り頭を下げた。
「皆さま、申し訳ありません。これは全て、私達が仕える主の失態によるものでございます。既に気付いている方々もいらっしゃるようですが、これ以上、影武者同士の婚約を続けるわけには参りません。改めてこの場をお借りして、両名の婚約破棄、ならびに事情説明とさせて頂きます」
元からこう言うつもりだったのだろう。
先程の戸惑いとは打って変わって、スラスラと言葉が並んでいく。
直後、会場の奥の扉が開き、複数の料理人が現れた。
更にパーティーに相応しい、豪華な料理の数々が運ばれてくる。
「本日のパーティーは、国王様が学園の皆様へのお詫びとして、最高級の品々を用意しました。今までの出来事は小話として受け止めて頂き、ささやかな時間を楽しんで頂ければ幸いです」
彼は国王様達の了承の上、婚約破棄を宣言したと言っていた。
婚約破棄は既に既定路線。
険悪な雰囲気も一切ない。
珍しい料理の数々など前にして、文句を言う人はいなかった。
「まぁ、最初から分かってたし……ねぇ?」
「流石に私達も、責める気にはなれないわ」
「影武者くんと影武者ちゃん、良い意味でお似合いだったのになぁ。残念」
彼が再開の合図を見せた事もあって、皆が各々に談笑を始め、そこからパーティーは続いた。
軽いネタばらし程度の認識のまま、収まっているようだ。
特に騒ぎも起きる心配はない。
私が胸を撫で下ろしていると、暫くして彼が申し訳なさそうに歩み寄ってきた。
「本当は婚約破棄宣言と一緒に、自分も身分を明かすつもりだったんだ」
「そう、だったんですね」
「すまない、あんな大袈裟な立ち回りをして。今まで皆を騙していた事実は、こういった場で告げるべきだと国王様に言われてね。後であの方も直々にお見えになって、この事態を大々的に公表するつもりなんだ」
「国王様が、いらっしゃるんですか?」
「このパーティーを開催した本人だからね。でもやっぱり、先に自分の正体を明かすべきだったよ。先に封書で送っていた通りだが、結果的に君を酷く傷つけてしまった」
「いいえ、構いません。私の方こそ心構えはしていたのですが、正体が明かされただけで酷く取り乱してしまいました。申し訳ありません」
もしかすると、動揺させたことを心苦しく思っているのか。
私は小さく首を振る。
元々、このパーティーは仕組まれたもの。
私も事前に送られてきた封書で、パーティー内で婚約破棄されるという事を知った上で臨んでいた。
尤も、影武者だとバレていた所までは知らなかったので酷く驚いてしまったが、それは恐らく彼も同じなのだろう。
どうにも、お互いに間が抜けている。
そんな気がした。
「お互いに影武者で、本物も前後不覚の状態だ。婚約破棄は、致し方のない事だと思う」
「はい……」
「だが、言わせてほしい。俺は君に惹かれていた。君を偽物だと思って調査を進める度に、君の健気さが清廉さが、どうしても引っ掛かっていった」
「それって……?」
私は思わず顔を上げる。
彼は緊張した面持ちで私を見つめていた。
「俺は君の事を慕っていた」
「!」
「互いに主に仕える従者。婚約を結べない身分であるのは分かっている。だがそれでも、この関係を続けることは出来ないだろうか?」
「……私、影武者ですよ?」
「それでもだ。それに、俺だって影武者だからな」
彼は照れくさそうに微笑むが、それは私も同じだ。
影武者としてナタリー様のフリをしている間、婚約者として共にいたのはヴィクター様ではなく彼だった。
かつて皆からも恐れられていた私に、常に手を差し伸べてくれた。
形式上の関係ではなく、たった一人の恋人として。
それが分かっていたからこそ、私も前に進んで、皆からの信用を得ることが出来たのだ。
だから答えは決まっていた。
私は彼を見つめ、微笑み返す。
「私で良ければ、お付き合い致します」
貴族ですらない従者の、平民同士の約束。
だというのに、周りの皆から歓声が上がった。
それは自分達が偽りではなく、確かに結ばれているという証明。
私達は目元を拭いながら互いに笑い合うのだった。