ただ美しい情景が書きたかった〜光に焦がれ闇に囚われた私の話〜
「ああっ」
私の瞳から勝手に涙が溢れでる。胸が痛い。もうあの人に会うことは——出来ない。
——魔王様が敗れた。
風が吹き、花が舞い、喜びの声が上がった。
その知らせを喜んだのは、人間だけではない。魔族もまた、喜んでいた。
別に自分が魔王になろうとかそう言った話ではないのだ。
魔王、それは全てを生み出す闇の象徴。彼、もしくは彼女は代替わりする。
それを喜んでいるのだ。
私は人型がやっと取れる程度の下級魔族だった。魔物と精霊の混ざったような力のない。
何を悲しむことがあろうか。否、悲しむことなど許されていない。
魔王は代替わりするごとにその力は強くなる。
それなのに。
周りの魔族たちは憤慨した。
そうして、あっという間に私は捕まった。若草色の髪を掴まれて新しい魔王様の前に跪かされる。
「どうか、この不届きものに粛清を」
居丈高に言い放ったその男は、次の瞬間、肉塊と化した。
「うるさい。黙れ」
魔王様の些細な感情が刃となって襲ったのだ。
地の底から響くような声に、見世物のように集まっていた魔族たちが散っていく。
その場には、転がされた私だけが残った。
私は起き上がり、魔王様を不躾に観察する。
どうせ、彼の機嫌を損ねれば、この首は飛ぶ。
「どうして泣く、娘よ」
漆黒を纏った彼は落ち着いたらしく、思いの外その声は優しげだった。
「もう会えない人のために泣くのはおかしいでしょうか」
「おかしくはないな」
彼は静かに答える。
「私には、お慕いしている方がおりました」
「死んだのか? ならば忘れればいい」
私は首を振る。
「別の娘と結ばれたのか? それなら仕方あるまい」
私は首を振る。
「それでは、遠くに行ったのか? そもそも想い合っていたのか?」
「どうこうなろうと思いません。ただ近くにいるのに、会えないから苦しいのです。その方は死んでしまったのでしょうか?」
「謎かけか?」
要領の得ない話だ。それに、魔王様は食いついてくださったらしい。
「私は、死にたいのです。魔王様の手で」
「理由を話せ」
「私のお慕いしている方の名は、アレクシスと」
魔王様の目が見開かれた。
「……お前が言うアレクシスとは人間か? なぜ、魔族であるお前が人を愛す?」
「私は、ほんの少し遠見をする力があります。その力を使い先代の魔王様に仇なす者を見ておりました。そのうちに気づいたのです。私は、ずっと彼のように生きたかったと」
続けよ、と魔王様は言った。
「私は、強く生きたかった。たとえこの身が魔の者だとしても、誰かのために、手を差し伸べられる者になりたかった。流れに逆らってみたかった。そして何より後悔しているのです」
「後悔?」
「私が、命を捨てて彼に会いに行ったなら、何かが変わっていたのではと」
魔王様は沈黙した。頭を押さて何やら考え込んでいる。
「過ぎたことだ。それに、私の魂は喜んでいる。お前が生きてこの場にいることを」
「それは……」
魔王というのはこの世の真理の一つなのだ、と彼は言った。
「真理に近づいたからこそ、受け入れられる真実もある。かつてのアレクシスはお前の愛を理解しなかっただろう」
目を伏せれば呼びかけられた。
「お前、名は?」
「リーンと申します」
リーン、と魔王様は噛みしめるように呟いた。
「リーンよ。お前に興味が湧いた。私はお前を殺さない。代わりに庇護を、祝福をやろう」
「……ありがたき幸せ」
「この世の終わりのような顔をするでない。アレクシスを愛してくれてありがとう」
魔王様は微笑んだ。その顔は、色彩は違えども、ずっと想っていた勇者の笑顔と同じに見えた。
私は、ただ涙を流した。
「アレクシスは、たった今救われた。お前によってな」
魔王様は言葉を紡ぐ。
「終わりの次にくるのは、始まりだ。だから先に終わりの話をしよう、アレクシスの話だ」
聞きたいか、と問われて頷く。
「あれは、全てを恨み、今まさに闇に堕ちるところだった。私も然り、私の一部である魂が堕ちればこの身も危うい。またしても暴走し、人を殺めるために指示を出すところだった」
「あなた様は、その……」
どのような存在なのですか? という言葉は形にならなかった。けれど、察してくれたらしい。
「魔王とは、そもそもが何者で合ったのかは知らぬ。ただ、神の端くれであり、この身は魂が混じりあっている」
「魂が混じる?」
さよう、と彼は続けた。
「自我を保つのが難しいのだ。私が誰であるか、私が一番知りたい」
「だから人を襲うのですか?」
否、と彼は首を振る。
「それは違う。この身に宿る先代の勇者、先先代の勇者、そしてアレクシス……彼のものたちが、憎悪に染まった時、破壊のみしか考えられなくなる」
私は身を震わせた。
「恐ろしいか」
「とても悲しいことです」
魔王様は目を伏せた。その口元は微笑んでいる。
「お前は優しい。私は賢王でありたいと願う。この願いが誰のものであるかはわからない。ただそう思う」
この魔王様は優しくて悲しい。
「そんなことを仰らないでください。誰のものであるかなんて。それが、それこそがあなた様なのではないのですか?」
気がつけば私の口から言葉が零れ落ちていた。
「少なくとも、私には、あなた様がとても優しい方に思えてなりません」
これは、本心だった。
始まりの話をしよう、と彼は言った。
「私はお前を、リーンを慈しもうと思う。祝福を与え、傍に置く。自らが狂わないために、リーンを利用するのだ。アレクシスが好きであったお前には酷な話だろうがな」
いいえ。私は首を振った。
「ならば私は、アレクシスの魂ごと、あなた様を愛しましょう」
この言い方は良くない。
「私は、少しお言葉を頂いただけで、あなた様に惹かれております。そこにアレクシスの魂があるからではなく、目の前にいるあなた様の力になりたいのです」
「ありがとう」
彼は、私を手招きする。
私は涙でぐちゃぐちゃだった顔を擦り、どうにか身を整えようとする。
「擦るでない、跡になる」
彼は、私の手を引き剥がした。
「美しい色だ。私の失った色」
魔王様は私の金色の瞳の縁を愛しげに撫でる。
彼の髪も瞳も今は闇を体現している。
「魔王様……」
「感傷ではない。嫉妬していた。この瞳が金に焦がれたことを思い知らされたようで、な。だがそうでなくばリーンはここにはいなかった。そう思えばこの色も悪くない」
「前向きなのですね」
さもあらんと彼は笑った。
「でなければ、愛そうなどとは言わないさ」
「リーン」
その低い声が名前を呼んで、額に口付けが落ちる。
「リーン」
彼は呼ぶ。その声はさらっとしているのに焼けつくようだ。すがるように、甘えるように、慈しむように、どこまでも追いかけてくる。
逃げられないと想った。
胸がキューっと切なくなって、いっぱいになる。
「魔王様」
きっと私はこの人を愛するようになる。これは予感であって確信でもある。
「私はあなた様に、幸せになって欲しいのです」
彼は、驚いたような顔をして、それから笑った。
私は、その日、優しい闇に囚われた。