28、忘れていた夢
「ケイト今日は俺と居てくれ。」
そう言って舞踏会の次の日早朝からホランドに連れ出された。朝の支度もできないまま馬車に乗せられ止まったと思ったらこれに着替えてくれって言われてホランドは馬車を降りていくし着替えるとリネン生地の水色のワンピースで扉の前に置いてあったサンダルを履いて外に出るとそこは海だった。
キラキラと朝日が海面に反射し潮風が鼻をくすぐる感覚は久しぶりですっかり忘れていた。海かぁだからホランドも会った時から麻のシャツに麻のズボンだったんだ。
「子供の頃以来ね。」
「ああ好きだろ?」
「言った事ないでしょ。」
ホランドの方を見上げると眩しそうに、
「でも好きだろ?」
とイタズラな笑顔で笑っている。
「ええ、好きよ。」
私もきっと同じ笑顔で笑った。ホランドの手を引いて波打ち際まで走って手で海水をすくってホランドにかけた。
「おいやめろ子供か!」
「あははは意外と水が冷たいわね!」
「ああだから本当にやめろ。」
「嫌よ。びしょびしょにしてやるから。」
と言って思いっきり両手で海水をすくってホランドにかけた。顔からザバーっと胸までかかりシャツは完全に濡れてしまった。ホランドが呆れたように肩をすくめる。
「おい。お前なぁ。」
「ふふふっ。ざまあないわね。」
ホランドはびしょびしょにされたのに怒る事もなく楽しそうに笑っている。
「さあ何か食おうか。レストランもそろそろ開いただろう。」
「良いわね。でもそれで入るの?」
私はびしょびしょのシャツを指さした。ホランドは呆れたとでもいう風に肩を竦めて言った。
「誰のせいだ誰の。着替えを持ってきてある。一度馬車に戻ろう。」
「分かったわ。」
ホランドの後に続いて馬車に入る。もうホランドが着替えるのも見慣れてきた。
「それにしても海が好きだとよく知ってたわね。」
ホランドがシャツのボタンをとめながら私を見た。ついさっきまで楽しそうにしていたのになんだか悲しい目をしている。ホランドはふっと私から視線を逸らして話し始めた。
「昔、一度だけ海に来た時さっきみたいにお前はとてもはしゃいで俺だけじゃなく自分の服もびしょ濡れにして駄目にしたんだ。大人達はいつもわがままを言わず手がかからないお前がそんな事をするとは思わなくて替えの服を持って来なかった。それで仕方なく家に帰る事になった。」
そういえばそうだったかも。私はあの日、初めての海にはしゃいで騒いで楽しかった事は覚えてる。ホランドはシャツを着替え終えて私の隣に座り話を続けた。
「それでさ皆が帰る準備を始めてその間、お前と2人で砂浜に並んで座って海を見てた。そしたらお前が呟くように小さな声で言ったんだ。綺麗だなぁいつか海の近くに住みたいなぁって。俺はとても驚いたよ初めてだったからな。お前は物心ついた時から何がしたいとか何が欲しいとか一度も言わなかったのに。後にも先にもあの時だけ初めてそんな事を言ったんだ。ああ湖を見る事と二つか。」
付け足すようにホランドが言う。今ホランドに言われて思い出した。私の1番最初の夢、海の近くに住むこと。穏やかな波の音で目覚めて砂浜を散歩して海に沈む夕陽を眺めて一日を終える。そんな穏やかな生活を夢見ていた。思い出して顔が綻ぶのが分かる。
「ホランドありがとう覚えててくれて。そうだった私の夢だった。」
もう過去の話になってしまったけど。ホランドが少し微笑みながら、でも真面目に私の目を見て話す。
「今からでも遅くない海の近くに家を建てて穏やかに暮らしたっていいんだ。色んな選択肢がある事どうか覚えていてほしい。家族の為とか人の為とか今まで色んな事を諦めてきただろそれがお前の普通だからこんな大事な事も忘れてたんだ。」
ホランドは昔の事なのに子供の戯れ言だと馬鹿にせずしっかりと話してくれた。私も強く頷いて言葉を返す。
「そうね分かった。ちゃんと覚えておく。それにしてもよく覚えていたわね私でさえ忘れていたのに。」
「(お前の事は全部覚えてるんだ。本当に全部覚えてる。)それより聞きたい事があったんだ。」
急にボソボソと下を向いて話したので最初の言葉は聞こえなかった。その後聞きたい事があると元気よく顔をあげた。
「何?」
「どうして男になったんだ?ギルドに入るなら名は変えても性別はそのままで良かっただろう?」
急に何を聞いてくるかと思えば。2人だけだしホランドは大切な幼馴染みだから誠実に向き合おう。
「ケイトを捨てたかった正反対の人間になりたかったの。自分の意思で行動して誰にも何にも縛られないそんな人物になりたかった。ケイトのまま全てを変える事は難しかったから。だからケイトの要素をできるだけ減らしたの。」
「そうか。」
「ええ急に聞くからびっくりしたわ。」
なんの気なしにホランドを見て少し後悔した。私には彼が怒っているように見えた。両手で拳を強く握り軽く歯を食いしばる彼の前髪の奥の瞳には確かに怒りが見てとれた。すぐに私に気付いてふっと笑ったけれど気の所為だと済ませる事ができない程印象に残った。
「そうかありがとう話してくれて。さあ食いに行こう。朝食は食べそこねたし。」
いつものホランドに戻ったのであえて突っ込まずに話を続けた。
「朝食を食べそこねたのはホランドのせいでしょうが。」
「そうだったな悪い悪い。」
ホランドが笑って私の頭をぽんぽんと叩く。なんだか子供をあやすような仕草に少し苛立ちを覚えた。
「絶対に悪いって思ってない言い方。」
「さあ行こうか。あのレストラン結構良さそうだろ。ワインでも飲むか?」
海辺にあるテラス付きの白い壁のレストランは窓も大きくどの席に座っても海が見られそうだ。
「お酒なんて嫌いなくせに。」
「お前もだろ。」
「私は飲まないだけ。それよりご飯をたくさん食べたいから…って財布持ってきてない。」
そうだいきなり馬車に乗せられたから何もかも持ってきていないし化粧もしていない。
「俺が払うからたくさん食えよ。」
「それもそうね。」
冗談っぽく笑って言うとホランドも笑って言う。
「ああ気にせず食えよ。」
ホランドからさっきの怒りの表情は嘘のように消え違和感だけが私に残った。
「姉さん!今日は僕です!」
やっぱり来たか。ホランドと海に行った次の日、朝からタイムが現れた。もう1週間過ぎているので家に来ても追い返されはしなかった。タイムを横目に父上は何故か朝から王に呼ばれ母上にグチグチと文句を言いながら城へ向かった。
「ええいいわよ。」
「とりあえず朝の鍛錬に付き合ってください。」
「分かったわ。」
タイムは既に着替えているので私も着替えて庭におりた。
「最近上手く踏み込めなくてどうしてだかサッパリで。見ていただけますか?」
「ええどうぞ。」
そうしてタイムの鍛錬にひたすら付き合っているともう昼になっていた。
「姉さんありがとうございました。昼食にしましょう。」
「そうね。」
「実は市場で色々買ってきたんです!ここで座って食べませんか?」
「良いわね。」
「じゃあ姉さん旅での出来事を最初からもらす事なく全てを教えてください!何故僕ではなくホランドと行ったのか理由も含めて全て!」
圧がすごい。そうだタイムはこういう子だった。タイムを置いてどこかに行けばいつもこうだった。説明し始めて私が少しでも言い淀んだらそこをついてしつこく追及し必ず答えさせる。黙ったら圧力をかけてくる。ニコニコと聞いてはいるが目は全く笑っていない。
結局、旅での出来事を話終えるのに夜までかかりすっかり辺りは暗くなっていた。
「どう?これで満足?」
タイムはツヤツヤとした顔で元気よく、
「はい!」
と叫びその後不穏な事を言い出した。
「でも夢の話引っかかるんですよね。」
「夢?」
夢の男に現実で会った事もタイムには話した。
「ホランドの発言です。だって夢に出てきただけの男にいきなりそいつは魔物だって言います?とりあえず最初はただの夢だから気にするなって言いません?魔に魅入られた夢の話だって実際に長を見る前ですよね。それなのにどうしていきなり姉さんの夢に出てきた人物の特徴を聞いただけで魔物だって分かるんですか?姉さんは現実に会ったから魔物だと分かりその発言をそこまで気にしなかったんだと思いますけどよくよく考えたらおかしくないですか?」
「うーん?」
「夢に知らない人とか魔物とか出てきますけどただの夢じゃないですかどうせ夢は夢なのに。何故いきなり現実と結び付けるんです?だから。」
タイムはわざわざ焦らすように口を閉じ私を見た。言葉を促すように聞き返す。
「だから?」
私の反応に満足そうに笑い口を開いた。
「ホランドはそいつを以前から知っていたと言うことになります。」
言った後に大事だと気付いたのかタイムが急に真面目な顔付きになった。
「えっ嘘だぁ。」
私は子供のようにタイムを肘でつついた。タイムは真面目な顔を崩さずに淡々と言う。
「旅を続けるならこれまで以上に気を引き締めてください。ホランドは姉さんを絶対に守ります。ですが守る為なら手段を選びませんそういう奴です。どうかあいつが道を外し最悪の手段を選ぶなんて事が起きないように気を付けてください。」
「タイム…分かったわ。気を付ける。」
タイムは子供の頃から心が見えるのかと思う位、他人の気持ちを理解し次の行動を言い当てた。だからタイムが真面目な顔で話す事は絶対に守る必要がある。
「ええ姉さん本当に気を付けて。僕は今まで通り周りを揺さぶり反応を見て危ない奴がいないか確認を続けます。」
ええっいつの間にそんな作戦を?
「そう、そうなのね?お願いね。」
「ええ、でも結婚はしましょうね姉さん。」
急に笑顔で手を握ってくるお前が一番危ない奴の気もするが言わない事にした。急にタイムが距離を詰めてきてどうしようか悩んでいると朝に出た父上が帰ってきたので声をかける。
「おかえりなさい遅かったですね。」
「ああ休みだったのに最悪だ。お前達も夜は冷えるそろそろ家に入りなさい。」
「「はーい。」」
家に入る前にタイムが立ち止まったので私も止まる。父上はもう入ってしまった。
「姉さんは人を疑いませんよね。というより他者に興味がないから姉さんにとって嘘でも真実でもどちらでも構わないんですよね興味が無いから。今まではそれで良かったんです目の前の仕事をこなしていただき父上や僕が姉さんの周りを警戒していましたが旅に出てしまえばそれも不可能です。だからこれは警戒してくださいという警告です。お分かりですか?」
タイムが横目で私を見た。タイムは私に対してだといつもニコニコしているのに今は冷えきった瞳でこちらを見ている。
「ええ肝に命じる。」
「それに自分に興味を持ってくれないという事実が面白くない者もいます。気取られぬようにお願いいたします。」
「はい。」
「じゃあ姉さん入りましょう!」
いつもの笑顔に戻ったタイムに手を引かれて中に入った。今日は色んな意味でとても勉強になった。




