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 神崎さんの会社には、午後三時過ぎに到着した。パンフレットやガイドブックで見かける、たこ焼き屋や通天閣のコテコテしたイメージとは裏腹に、梅田から難波に向かって伸びる御堂筋の周辺には、近代的なオフィスビルが建ち並んでいる。神崎さんが勤めるコンピュータのソフトウェア開発の会社は、その御堂筋を横切るように流れる堂島川沿いに、ひときわ高く聳え立つ高層ビルの二十四階にオフィスを構えていた。

 オフィスの入口には、受付の代わりに内線用電話が一つ置いてあり、それを使って内部の人間に取り次いでもらう仕組みになっていた。私達はどきどきしながら電話を手に取り、村山 茂之の名前を使って、神崎さんに用事のある旨を伝えた。すると、中から事務職と思われる女性が顔を出し、

「すいません、神崎は今、外出しておりまして、中の方で少々お待ちいただけますか?」

と言って、思いがけずすんなりと私達を中へ通してくれた。

 私はあまりにうまく事が運ぶことに拍子抜けしてしまった。仕切りで区切られた簡易な来客用スペースに通された時は、万引きで捕まった中学生のように、懇々と説教をされるのかと思わず身構えたが、相手は全く疑う様子など見せず、私達に温かいコーヒーまで出してくれたのだった。

「うまくいったわね。やっぱり、この格好のおかげかしら」

 セイラはニヤリと笑って、ひそひそ声で私に耳打ちをした。私はあらためて彼女の頭の先から足の先までをじっくりと眺め、「本当にその通りね」と感嘆したように頷いた。

 目の前のセイラは、どこから見ても爽やかなビジネスマンそのものといった風貌に様変わりしていた。彼女はサラリーマン時代に着ていたという、地味なグレーのスーツに身を包み、腰まである長い髪は後ろで束ねてシャツの襟の内側にしまい、ご丁寧に黒縁の伊達眼鏡までかけて、真面目な好青年を演出していたのだ。それにしても、よく化けたものだ。心なしか声まで、いつものオネエ言葉で話す時より、一オクターブほど低くなっている。

「アタシって、男よりも女にモテるから」

と冗談でセイラは言ったが、実際、彼の端正な容姿は、しばしば私達のそばを通りかかる女子社員達の目を引いていた。

 すると、しばらくして私達のいる来客用スペースに、社員IDを首から下げた、スーツ姿の若いサラリーマンが現れた。彼は私達を見ると、見覚えのない顔に不思議そうに首を傾げ、くるりと踵を返して立ち去ろうとしたので、私達は慌てて彼を呼び止めた。

「神崎さん、待ってください! 先日、橋爪 竜の件でお電話した早川という者です!」

 それを聞くと、その若いサラリーマンはぴたりと足を止め、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを振り返った。

「な、何しに来たんですか? こんなところまで」

「まあまあ、立ち話もなんですから、ゆっくり座って話しましょうよ」

 私達はそう言って嫌がる彼を半ば強引に席に着かせると、自分達がどうしてはるばる東京から神崎さんを訪ねるに至ったかを、順を追って丁寧に説明していった。まず、私とセイラは正真正銘、高校時代の竜の同級生で、彼がお金を借りている怪しい金融機関などとは、一切関係のない人間であること。なおかつ私と竜は高校三年生の一時期、付き合っていた間柄で、私達が彼を捜しているのは、同窓会で十一年ぶりに掘り起こしたタイムカプセルを、その日来なかった彼に渡してあげるためであること……云々。何せ、ここに来るまでに強引な方法を取っているため、相手もかなりの不信感を抱いており、私達は必死に自分達の目的に後ろ暗いところがないことをアピールし続けなければならなかった。本当はこんなことはしたくなかったんですけど、竜の居所も連絡先も分からないし、手がかりは神崎さんしかなくて……と、最後には泣き落としに近い手段まで使って、彼の同情を引こうとした。

 すると、その思いが通じたのか、最初は警戒心を剥き出しにしていた神崎さんも、話が進むにつれだんだんと表情を和らげ、私達の話に理解を示し始めるようになった。特に、私が竜と付き合っていた頃のツーショット写真を見せると効果はてきめんで、神崎さんは頭の中で勝手に想像を膨らませて、私と竜の間にメロドラマのようなストーリーを作り上げてしまったようだった。

「なるほどね、事情は分かりました。でも早川さん、タイムカプセル渡すとか何とか言って、ほんまは橋爪にまだ未練があるんとちゃいますか?」

「はい?」

「隠さなくってもええやないですか。いやあ、ええ話やなあ。十一年経っても同じ男を想い続けるなんて、一途っすよねぇ」

 どうやら神崎さんは、私が十一年経っても竜を忘れられず、タイムカプセルにかこつけて彼と再会し、復縁したいと願っていると、そう勘違いしてしまったようなのだ。

 そうなると、面白くないのはセイラである。彼女は私の隣で懸命にポーカーフェイスを装っていたが、落ちつきなく膝を叩く指の仕草から、内心かなり苛立っていることが分かった。しかし、「あのー、違いますけど……」と、私が誤解を解こうとすると、彼女は目でそれを制した。

 駄目よ、早川さん。このまま同情を引いて、連絡先を聞き出すのよ――。

 セイラの強い視線は、無言でそう訴えかけていた。私は思わず、開きかけた口を元に戻し、「そうなんです。それでもし、竜の居所を知っていたら、教えていただけないかと思って」と、うるんだ目で神崎さんの顔を覗き込んだ。すると、その狙いが的中したかのように、神崎さんは何やらメモに走り書きを始めた。

「たぶん橋爪なら、ここにいると思います。俺の知り合いの家なんやけど。あいつは数ヶ月前から、ここに居候させてもらってるみたいですよ。俺があいつと知り合ったのも、この知り合いを通じてやから、間違いないと思います」

 神崎さんが渡してくれたメモには、西区の住所とマンション名が書いてあった。ここなら同じ大阪市内だから、車で行けばそんなに遠くはなさそうだ。

「ありがとうございます。助かります!」

 私達は予想以上の収穫に、飛びあがらんばかりに喜んで声を弾ませた。しかし、有頂天の私達とは裏腹に、神崎さんはどこかきまり悪そうな、曖昧な笑みをその顔に浮かべていた。そして、彼は同情するような一瞥を私に送って、ポンと肩を叩くと、こんな言葉を残してその場を立ち去っていったのだった。

「お気をつけて。でも早川さん、竜に会っても、気を落としたらあかんよ」


 私達がメモで渡された場所に着いたのは、結局夕方頃になった。どうせ近くだからすぐ行けるだろうと高を括って、ビジネスホテルに宿を取ってから目的地に向かったのだが、周辺に意外と一歩通行が多く、思わぬ迂回を余儀なくされたため、予定より到着が遅れてしまったのだ。神崎さんによると、同居人は昼間は働きに出ているそうなので、訪ねるなら竜が一人でいるその時間帯にと思っていたのだが、すでに空は茜色に染まり、通りには家路を急ぐサラリーマンの姿が目立ち始めている。

 竜が居候しているマンションは、川を越えて御堂筋を真っ直ぐ進み、長堀通りを右に折れてしばらく行った堀江という場所にあった。位置的には心斎橋の隣に当たるが、街の雰囲気は阪神高速を隔ててがらりと変わる。古着屋や居酒屋が密集し、ピアスを何十個も開けた個性的なファッションの若者や、路地裏に立つ目的不明の黒人の姿を多く見かける、どこかごみごみした心斎橋とは違い、オフィスビルやマンションの中に、ぽつりぽつりとおしゃれカフェやセレクトショップが点在する堀江は、閑静でまるで代官山のような雰囲気だ。その中でも、他の建物とは一線を画すように、すっくと聳え立つ、一棟の立派な高層マンションがあった。地上二十階はありそうな、真新しい瀟洒な建物。それが、神崎さんから教えられた、竜が住んでいるというマンションだった。

「本当にここなのかしら?」

 私とセイラはその高いマンションを見上げながら、思わず首を傾げた。というのも、ガラス張りになった吹き抜けのエントランスといい、その奥に見える高級ホテルのような大理石敷きのロビーといい、あまりにも豪華で、とても借金で首が回らない人間が住むようなマンションとは思えなかったからだ。

 私達は疑問に思いながらも、ぴかぴかに磨かれた大理石の階段を上がり、物々しい大きなガラスの扉を開けて、エントランスの中に入った。まずは右手に並んだ郵便受けで、住人の名前を確認する。すると確かに、教えられた号数の郵便受けに、神崎さんの知り合いの「真鍋」という人の名字が記されていた。間違いない。どういういきさつかは知らないが、やはり竜は今、この普通のサラリーマンなどではとても手が出ないような豪華なマンションに、上手いことして転がり込んでいるのだ。

「緊張するわね」

 インターホンを前にして、セイラは高鳴る鼓動を鎮めるように、胸に手を当てて大きく息を吸った。チェックインしたホテルで着替えを済ませた彼女は、すっかり格好も声色も元に戻り、この日のために持参した、いっちょうらの純白のワンピースに身を包んでいる。大胆に胸元にドレープの入った、シルクの白いワンピースを着た彼女は、まるで「七年目の浮気」のマリリン・モンローのようだった。

 意を決して、教えられた号数のチャイムを鳴らしてみると、ピンポンという短い機械音が、静かなエントランスに響き渡った。しかし、インターホンの向こうからは何の反応も返ってこない。さらに二度、三度とチャイムを鳴らしてみても、スピーカーからは竜の声どころか、部屋の物音一つ洩れてはこなかった。

「留守みたいね」

 私達は仕方なく、エントランスを出て、マンションの前で竜の帰りを待つことにした。セイラは白いワンピースが汚れることも気にせず、大理石の階段に疲れたように腰をついた。その仕草には珍しく落ち着きがなく、彼女は手を擦り合わせたり、スカートを触ったりしてそわそわしながら、脇に見えるパーキングの入口を、どんな些細な出入りも見逃さないように凝視している。

「ねえ、竜はアタシを見てどう思うかしら? もし笑われたり、拒絶されたりしたら、アタシもう立ち直れないかも」

 再会の瞬間が現実味を帯びてくるにつれ、急にあらゆる心配が次々と頭をよぎったのか、セイラは待っている間中ずっと、「ああだったらどうしよう、こうだったらどうしよう」と、とりとめのない不安を口にしつづけていた。彼女の不安は蜘蛛の巣のようにあらゆる方向に広がってゆき、隣で聞いている私までもが、それに取り込まれて心もとない気分になるほどだった。

 私はふと、先ほど神崎さんが洩らした「早川さん、竜に会っても、気を落としたらあかんよ」というセリフを思い出していた。そういえば、さっきは聞き流してしまったけれど、あれはどういうことなのだろう。私は今まで勝手にその言葉を、昔とは打って変わって、貧乏でうだつが上がらなくなった彼氏に対して、「失望しないでね」という意味だろうと捉えていたのだが、どっこい来てみると、彼が住んでいたのは、思いもよらない高級マンションである。一体、借金まみれの彼が何をどうしたらこんなセレブなマンションに住めるのか、私の頭の中にはクエスチョンマークがたくさん転がっていた。ただ漠然とだが、竜が学生時代とはどこか変わってしまったのだろうということは察しがついた。「気を落としてはいけない」というのは、きっとその変化に対して、失望してはいけないということなのだ。一体、彼はどんな風に変わってしまったのだろうか。緊張と不安と、ちょっぴり野次馬的な期待で、私の胸は高鳴った。

 それから一時間ほど待っただろうか。もう日も沈んで辺りが薄暗くなった頃になって、突然、駐車場の入口を注視していた私達の視界に、一台の白いBMWが颯爽と飛び込んできた。その瞬間、私達の目はハンドルを握る運転席の人間に釘づけになった。それは、昔よりは若干ふくよかになり、髪を赤茶けた錆のような色に染めてはいるが、間違いなく竜その人だったからだ。さらに、助手席には見知らぬ若い女性の姿があった。

「竜!」

 私達は急いで階段を下り、駐車場に停まったBMWのもとに駆け寄っていった。車を降りた竜は最初、近づいてくる私達が誰だか分からなかったらしく、目を細めて訝しそうにこちらを見つめていたが、それが私だと気づいたとたん、目を丸くして「嘘、ひかる?」と上ずった声を上げた。

「竜、久しぶり!」

「よお、久しぶり。どうしたの、お前? ……旅行か何か?」

 竜は、わざわざ神崎さんの会社まで出向いて居所を聞き出した私達の苦労も知らないで、拍子抜けするほど呑気な口調で言った。全く、そういう無頓着なところは昔からちっとも変わっちゃいない。思わず「心配して損した」と悪態をつきそうになった。

 それにしても、近くで見るとますます、竜の外見は学生時代とは違って見えた。まず、昔はどちらかというとやせ型だった体躯には若干の貫禄がついて、顔などはとても借金取りに追われている人間とは思えないほど、血色よくふくよかに肉づいている。さらに、赤錆色の髪をヘアバンドで後ろに流し、大きく胸の開いたサテンのシャツとストライプのスーツに身を包んだ彼は、まるで安物のホストのようだった。

「竜、誰なの? この人達」

 と、その時、感動の再会に水を差すような、若い女性の声が耳に飛び込んできた。それは、車から降りてきた助手席の女性が、見知らぬ女と親しげに喋る竜に、牽制のように投げかけた一言だった。体にぴったりと沿ったミニスカートのスーツを颯爽と着こなし、黒い髪をばっさりベリーショートにした、やり手のキャリアウーマンといった風貌。なれなれしく竜の肩に手を回しながら喋るところから見ても、二人がどんな関係にあるのかは、何となく察しがついた。

「ああ、こいつは早川ひかるっていって、高校の同級生」

 竜は隣の女性に気兼ねをしているのか、私を「元彼女」とは紹介しなかった。そして、「一緒にいるのは、お前の友達?」と言って、私の背中に隠れるように立ったセイラに目を遣った途端、彼はハッと表情を変えて言葉を詰まらせた。

「あれ? もしかして……」

 竜に見つめられたセイラは、私の袖をギュッと掴み、真っ赤になって俯いたまま顔を上げようとはしなかった。竜は自分の直感を確かめるように身を乗り出して、彼女の顔をまじまじと覗き込んだ。そして、おそるおそる尋ねた。

「もしかして、溝口……?」

 セイラは私の後ろで恥ずかしそうに目を伏せたまま、こくりと小さく頷いた。

「マジで? え、これ俺を驚かすドッキリか何か?」

 きっと何かの冗談だと思ったのだろう。竜の最初の反応は、ひどくおちゃらかしたものだった。しかし、じっと私の陰に隠れて黙り込むセイラや、気まずそうに愛想笑いを浮かべる私を見ていると、ようやく彼も状況を飲み込めてきたらしく、へらへらした口元は徐々に困惑げに引きつっていった。

「もしかして、本当にマジなの?」

 竜は手を口元にあてがい、しばしの間、絶句した。そして、間違いなく彼であることを確かめるように、居心地が悪そうにじっと斜め下の地面のあたりを凝視する、セイラの頭から足の先までを何度も熟視した。彼は頭の中を整理するように、顎に手をついて考え込むと、だいぶ経ってから、独り言を呟くようにぽつりと言った。

「いや、でも、きれいだよ……な」

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