六
アタシと竜が出会ったのは、忘れもしない、高校の入学式の日のことだったわ。クラス発表が終わって、教室で皆が初めて顔を合わせた時に、ちょうど隣の席に座っていたのが竜だったの。竜は新しく始まる高校生活に興味津々といった感じで、物珍しそうにきょろきょろと教室の中を見回してたわ。そして、その好奇心を早く誰かと分かち合いたいというように、早速私に「なあ、お前どこの中学だった?」って話しかけてきたの。
アタシが「東中」って答えると、彼は人懐っこそうな笑顔を浮かべて言ったわ。
「俺、西中。東中って、川を隔てた向こうの町にあるとこだろ? やっぱ高校って、いろんなところから人が集まってきてるんだなあ。中学は小学校と同じ面子で、全然新鮮味なかったけど。俺、初めてなんだ、電車使って学校通うの。下に売店とかもあるしさあ、女子も西中と比べてかわいい娘多いし、何か高校って自由な感じでわくわくするよな?」
アタシはそっけなく「別に」と答えた。なぜなら正直、アタシは高校ってところに、何の期待も希望も抱いていなかったから。
ほら、アタシって昔は無口で、一人でよく本とか読んでたじゃない? それが男子からはすかしてるって見られちゃったみたいで、中学時代はずっとシカトされて同性の友達は一人もできなかったのよね。本当はあの頃の男子がよくする、マスターベーションとかセックスとかの話題に、未成熟なアタシはついていけなくて黙ってただけなんだけど、そのノリの悪さが、カッコつけてるって誤解されちゃって。喋らない割に女の子達から受けがよかったのも、余計に彼らの嫉妬心を煽ってしまったみたい。それで、向こうがそうなら、こっちも無理して仲良くならなくてもいいやって、何か開き直っちゃってね。実際、その頃は男子達とファーストフード店でするバカ話よりも、本の中に書いてある自分の知らない世界だったり思想だったりの方が、よっぽどアタシの心を捉えていたから、一人でいる時間もそんなに苦にはならなかったんだけど。
だから、竜が新生活に胸を躍らせながら話しかけてきた時も、アタシは心の中で思ってた。「ああ、こいつは女の子とゲームとファーストフードとカラオケと小室哲哉とスラムダンクが好きな大多数の男子だから、さぞかし友達がいっぱいできて高校生活も楽しいんだろうな。でも、俺は違う。高校生になったからって、中学時代と大して変わりはしない。どうせまた一人なんだ」って。
そしたら、そんなやさぐれた気持ちが言葉にも現れてたんでしょうね、「別に」って言った後、竜はアタシのこと捨てられた子犬でも見るみたいに、同情するような目で見たの。アタシ、うっとうしいって思ったわ。お前らの軽い脳味噌で勝手に人のこと『かわいそう』って判断すんじゃねえよ。俺は一人でいたって、お前らと違って寂しいとも何とも思わねえんだよって。でも、その後で竜が言った言葉が、あまりに予想外の暴投だったから、アタシの怒りはぶつける先をなくして、しおしおと萎えちゃったんだけど。
あいつ、よりにもよって機嫌を損ねてるアタシに、こんな提案をしてきたのよ。
「なあ、今からビンゴしようぜ」
「はあ?」
ちょうど先生が簡単な挨拶を終えて、生徒達に順番に自己紹介を始めさせようとしている時だったわ。竜は呆気にとられる私をよそに、ノートを開いて手早く縦横四本ずつ線を引っ張ると、そのページをちぎって私に渡してきたの。そしてこう言ったわ。
「これからやるのは自己紹介ビンゴだ。だって、自己紹介の時間って退屈だろ? どうせ名前聞いてもすぐ忘れちゃうんだし。だったらこの時間を、もっと有意義に過ごそうぜ」
すると、竜はアタシがまだやるとも何とも言ってないのに、勝手にルールを説明し始めたの。今から自己紹介していく時に、みんな絶対趣味とか中学の頃入ってた部活とか、そういうことを言うから、それを事前に予想して桝目の中に埋めていくんだ。例えば、料理とかギターとか、水泳とかサッカーとか。それで、自己紹介した奴がそれを言えば桝目にマルをつけて、マルが五つ揃えばビンゴ。負けた方がジュース奢りな、って。そして早速、自分はノートの桝目を埋め始めちゃうもんだから、もう仕方ないじゃない? アタシも渋々、そのゲームに付き合う羽目になったのよ。
勝敗は意外にも簡単には決まらなかったわ。二人ともいくつかリーチはあるんだけど、最後の一つがなかなか揃わなくて、勝負の行方は結局、アタシの番になるまでもつれ込んだの。
「なあ、お前、自己紹介で何て言うつもりなんだよ?」
起立する前、竜はアタシの肩を小突いて、そう尋ねてきたわ。そしてこう続けたの。
「お前、絶対趣味は読書だろ。さっきだって、ホームルームが始まるまで、熱心に何か読んでたもんな?」
アタシは「さあね」って、含みを持たせた言い方で受け流したわ。その時、頭の中に芽生えたのは「絶対、素直に趣味は読書なんて言ってやらない」ってことだった。本当は、竜に言われるまで「読書が好きです」って言うつもりでいたの。でも、そんな風に踏み絵を差し出されたら、ひねくれ者のアタシとしては、是が非でもそんなものは踏むもんかって、反撥心を煽られちゃったわけよ。
だから、アタシは自己紹介の時、「趣味とか特技は、特にありません」って言って、名前以外は何も紹介せずに締めくくったわ。先生は「それだけか?」って物足りなさそうにしてたけど、アタシは竜を出し抜いたと思っていい気分だった。そして、してやったりという顔で隣の席を見てやったの。
そしたら、竜が机の下でガッツポーズを作りながら、「ビンゴ!」って小さな声で囁いているじゃないの。彼はそれを証明するように、五つマルの揃ったノートの切れ端を、自慢気に見せびらかしてきたわ。そこには確かに、「特にナシ」って書かれて、マルのつけられた桝目があった。彼は勝ち誇った顔で言ったわ。
「お前は絶対、そう言うと思った」って。
アタシはその時初めて、ああ、そうか、さっきのは俺にこう言わせるためのフェイクだったんだなって気が付いたの。相手を出し抜いたつもりでいて、うまく乗せられてたのは自分の方だったんだってね。でも、悔しそうにするのも癪にさわるから、アタシ、何だこんなの子供の遊びじゃないかって感じで、「はい、どうぞ。これでジュースでも買いな」って、財布から百円玉を出して彼の机の上に置いてやったの。そしたら、意外にも彼はその百円を突き返してきて、こう言ったわ。
「お前、学校面白くないって思ってるだろ。さっきからずーっと変わらない、その仏頂面見てたら分かる」
そして、私の方にいたずらっぽい目配せをすると、こう付け加えたの。
「でも、俺といたらお前の考え方も変わると思うぜ。俺が絶対、お前に学校面白いって思わせてやる」
そう言われて、アタシの胸には雷に打たれたような衝撃が走ったわ。何だ、こいつ面白えって思った。そして、この高校生活は何か今までとは違うような、特別な予感がしたの。
実際、彼と友達になって、アタシの学生生活は百八十度変わったものになったわ。
まず変わったのは、アタシの周りに人が集まるようになったってことね。もちろん皆は、社交的で話し上手な竜と喋りたくて集まってくるんであって、アタシ目当てではなかったんだけど。でも、不思議なもんで、人の輪の中にいると、あまり喋らなくても面白くなくても、グループに溶け込むコツみたいなのを掴めるようになってくるのよね。竜が一生懸命、アタシを会話に入れようと、骨を折ってくれたのも功を奏したんだと思うわ。それで、アタシは何となくグループに自分の居場所を見つけることができるようになって、少しだけど、竜以外に親しい友達もできたの。
それから、部活にも入ったわ。陸上部のユニフォームが格好いいから、一緒にやろうって竜に誘われてね。まあ、あいつの方はすぐに飽きて辞めちゃったけど。で、一緒に辞めるのも何だから続けてたら、意外にアタシ素質あったみたいで。いろんな大会や競技会に選抜されたりもしたわ。そんな風に、彼のおかげで、アタシの世界はぐっと広がったの。
でもその頃はまだ、竜のことを恋愛の対象として意識なんてしてなかった。それどころか、自分が性同一性障害ってことさえ、気づいてはいなかった。自分は周りのみんなより少し奥手なだけで、そのうちに好きな女の子もできるだろうし、彼女ができたらキスやセックスもするんだろうなって、無邪気に思ってたの。だから、竜のこともすごく大切な友達としか認識していなかったし、彼といて妙に嬉しいような恥ずかしいような、切ない気持ちになるのも、恋愛という感情とは違うって、自分に言い聞かせようとしてたわね。
でもある日、竜が男友達と話しているのに偶然居合わせた時、アタシは自分の竜への気持ちが、ただの友情とは違うということに、はっきり気づいたの。
その話の内容っていうのは、クラスでどの女子が一番気になるかを一人ずつ言い合うっていう、他愛もないものだったんだけどね。竜が挙げたのは、朝山さんっていう、クラスでも評判の美人の女の子だった。ピアノが上手くて、サラサラのロングヘアの、お嬢様っぽいかわいい子でね。その頃、クラスの男子の八割ぐらいは彼女に憧れてたんじゃないかしら。まあ、だから、竜がその子に興味を抱いたのも、それはアイドルなんかを好きになるのと同じような、無邪気な憧れだったと思うのよ。
だけど、彼の口からその子の名前が出た瞬間、アタシは胸の奥から、何か得体の知れないどろどろとした感情が沸き上がってくるのを感じたの。頬がかあっと熱くなって、胸は締めつけられるみたいに苦しくてね、アタシそれまではあまり人を憎んだりとかしたことなかったんだけど、その子のことははっきり憎いって思ったわ。そう、嫉妬よ。女で、かわいくて、竜から好意を持たれてるなんて、彼女自身には何の責任もないことなのに、アタシはそうやって最初から何でも持っている彼女が許せなかったのよね。それからしばらくは、本当に辛かったわ。教室で朝山さんを見かけるたび、非の打ち所のないようないい子なのに、言葉遣いが男に媚びてるとか、よく見たら目が離れててそんなに美人じゃないとか、些細な欠点を頭の中で列挙して、虚しい優越感に救いを求めたりしてね。それで、また自分の醜い一面を発見して、自己嫌悪に陥るっていう悪循環なの。
結局、一ヶ月も経たないうちに、その子は別の男の子と付き合い始めて、竜は失恋してしまったわけなんだけど、アタシの中では、それでめでたしめでたしというわけにはいかなかった。
率直に言うと、アタシは自分の感情が怖くなったのよ。もしアタシが女だったなら、「ああ、これが片思いっていうものなのね」ってほろ苦い青春の思い出として片付けられたんでしょうけど、その頃のアタシはまだ自分がれっきとした男だって信じ込んでたのよ。何だか自分が得体の知れない世界に踏み込んでしまったような気がして、すごく怖かった。だから、アタシはだんだんと自分から、竜を遠ざけるようになっていったの。
それから一ヶ月ほど経った頃かしら。六月頃に二泊三日の林間学校があったのよね。ほら、例年、親睦を深めるという名目のもとに一年生を山奥に隔離して、飯盒炊爨とかキャンプファイヤーとかやらせたりするあれよ。早川さんも憶えてるでしょ? まあ、その本来は親睦を深めるための林間学校に、アタシと竜は気まずい雰囲気のまま参加することになったのよ。
その林間学校でも、アタシはできるだけ竜との接触を避けるようにしてたわ。グループや部屋もわざと別にしてもらったり、宿舎で顔を合わせても目を反らして、ろくに挨拶もしなかった。竜はそのたびに、不満そうな、それでいて寂しそうな一瞥を私の横顔に投げかけていたわ。でも、アタシはそんな彼の視線に気づかないふりをしつづけて、林間学校はそのまま二日目を迎えたの。
二日目は午前中から飯盒炊爨だったわ。メニューはカレーとサラダ。ご飯の担当だったアタシは、飯盒を持って洗い場にお米を洗いに行ったの。そしたらすぐ後で、野菜のボールを持って隣に誰かがやって来た。アタシの顔はこわばったわ。だって、アタシにはそれが誰だかすぐ分かったから……。
「お前、何でこのごろ俺を避けてるんだよ? 俺、何か悪いことした?」
勢いよくジャーっと水道を出して、持ってきたにんじんを洗いながら、低い声で竜が言った。アタシはしばらく言葉が出なかったわ。だっていきなりそんなこと訊かれても、どう説明していいか分からなかったんだもの。アタシはやっとのことで「別に」と答えたけど、それは流れる水の音にかき消されてしまうくらい小さな声だった。そうしたら、竜は持っていたにんじんをボールに叩きつけて、声を荒げたの。
「じゃあ、一体何が気に入らないんだよ! 俺のことばっかりシカトしやがって! そんなに怒らせるようなことしたのかって、気になるじゃないかっ!」
アタシその時よほど、自分の気持ちを打ち明けてしまおうかと思ったわ。でも、そんなの無理に決まってる。アタシの頭の中はパニックになった。危うく水を出しっぱなしにしているのも忘れて、お米を流してしまいそうになったほどよ。そしてつい、居たたまれなくなって、
「もう放っといてくれっ! 俺は一人になりたいだけなのに、そういうおせっかいなところが嫌なんだよっ!」
って、心にもない言葉を彼にぶつけちゃったの。
竜はすごく傷ついた顔をしてたわ。いつもは一言二言冗談を飛ばして、深刻な場も茶化してしまうくせに、その日はそれもなくて、「悪かったな。勝手にしろよ」とだけ言うと、ぷいとそっぽを向いて、洗い場を離れていってしまったの。
アタシ、どれだけすぐ追いかけていって、「今のは嘘だよ」って撤回したかったかしれない。でも結局、そばにいたって、ますます好きになって辛いだけだし、竜にとっても迷惑になるんだから、これでいいんだって自分に言い聞かせて、その衝動をぐっと我慢したの。
でも、その後に、アタシの決心を揺るがすような、ある出来事が起こったの。
それは、夕食が終わってフリータイムを経た十時頃に、就寝前の点呼を取った時のことだった。宿舎にはフロアごとに談話スペースがあって、そこに集まって点呼を取るんだけど、竜のグループだけその場に姿を現さなかったのよ。
早川さんは知ってると思うけど、私達が泊まった宿舎って、部屋っていっても完全な個室じゃなく、二段ベッドが二つずつ壁で仕切られているだけで、談話スペースからは全体が見渡せるようになってたじゃない? だから、その階のどこにも彼らがいないってことは一目瞭然だった。
「さては、他の階で油売ってんな」
先生は私達が泊まっている二階以外の、一階と三階を見に行ったわ。でも、しばらくすると一人で帰ってきて、難しそうな顔をして首を振った。
「いないな。誰か、あいつらがどこに行ったか知っている奴はいないか?」
すると、うちのクラスのあまり喋らない男の子が、おずおずと手を挙げて言ったの。
「あの……、橋爪君たちなら……、外へ出ていきました……何でも肝試しがしたいからとか言って……」
「何だって! この天気でか?」
先生は驚いたように目を見開いて、窓の外を指差した。先生がそう言うのも無理はなかったわ。お天気は一時間ほど前から急激に崩れ始めて、つぶてのような激しい雨に、雷鳴まで轟いていたんだもの。こんな時に外に出るなんて、常識では考えられない話だった。
「でも、彼らが外に出た時には……、まだ雨は降ってなかったんです……」
その子が弱々しい声で答えると、先生は険しい顔でさらに尋ねた。
「それで、何時頃に出て行ったんだ?」
「確か……、八時頃だったと思います」
八時っていったら、もうかれこれ二時間近くも前よ。いくら何でも肝試しをしに行っただけにしては、帰ってくるのが遅すぎる。アタシの頭の中に、嫌な憶測がよぎったわ。もしかして、何かの事故にあったり、道に迷ったりしてるんじゃ……。まだ山の中にいるんなら、この天気だし、土砂崩れや落雷も心配だった。先生もきっと同じことを考えたんでしょうね、「全く、世話をかけやがって」と言って溜息をつくと、竜達を捜しに雷雨の中を外へ出ていったの。
先生が去った後のフロアは、何となく重苦しい雰囲気が漂っていた。みんな口では「大丈夫だって」と言いながらも、頭の片隅に「もしかして、もしかしたら……」っていう思いがあったんでしょうね、他のフロアの生徒達みたいにわあわあ騒ぐ気にもなれなくて、辺りはシンと静まり返ってた。
アタシは一人、窓際の柱にもたれて、ずっと外を窺ってたわ。頭の中は不安と後悔でいっぱいだった。まだ何かあるって決まったわけじゃないのに、悪い方向にばっかり想像が膨らんじゃって。ああ、どうして飯盒炊爨の時に、自分は竜にあんなひどいことを言ってしまったんだろう。もし竜に何かあって、これで彼との関係が終わりを迎えてしまったとしたら、自分は一生後悔するってね。だからアタシ、一生懸命に祈ったわ。どうか早くお天気がよくなりますように、そして竜が無事に帰ってきますようにって……。
でも、アタシの願いとは裏腹に、お天気はますます悪くなるばかりだった。稲妻の光と音との間はどんどん短くなっていって、雷がだんだん近づいてきているのが分かったわ。そしてついに、閃光とバキバキーッていう何かを引き裂くような音が一緒にしたかと思うと、その瞬間、部屋中の明かりがプツンと同時に消えたの。
キャーッ、停電よ! マジー? 何にも見えねーじゃん! フロア中は大騒ぎになったわ。そのうちに懐中電灯を持った先生がやってきて、「みんな落ち着きなさい。すぐに電気は復旧すると思うから」ってみんなをなだめた。でも、アタシは停電に右往左往する皆をよそに、全く別のことに気を取られてたの。
……今の雷は絶対に近くに落ちてる。竜は大丈夫だったんだろうか?
アタシは不安でたまらなくなったわ。それまではどこか漠然としていた嫌な予感が、この一瞬で急に現実味を帯びたような気がしたの。アタシの顔は青ざめて、手はガタガタ震えた。アタシはさっきよりいっそう必死で祈ったわ。普段は神様なんか信じないくせに、どうか神様、竜を無事に帰して下さい、どうかアタシから竜を奪わないで下さいって。
そうしたらしばらくして、バタンとドアが開いたかと思うと、懐中電灯のまぶしい光が現れて、さっき竜を捜しに行った先生の声が聞こえてきたの。
「おーい、みんな大丈夫か?」
そう言って懐中電灯で皆を照らす先生の隣には、ずぶ濡れになった竜とその友人達の姿が見えた。
「竜!」
アタシは真っ先に叫んで、彼らのもとに駆け寄っていった。皆も口々に、「よかったなあ!」「心配したんだぞ」って言って集まってきたわ。その時、ちょうど部屋に電気が戻ってきて、辺りがパッと一斉に明るくなった。そしたら、竜がアタシの顔を見てプッと吹き出したの。
「何、お前、泣いてるの?」
そう、アタシったら竜が戻ってきた途端に、安心と嬉しさで思わず涙をこぼしちゃってたのよね。アタシは「心配してたんだから、しょうがないじゃないかっ!」って必死で言い訳したけど、彼は「大げさだなぁ、溝口は」ってお腹を抱えて大笑いしてたわ。
でも、その後でフッと真顔になると、
「ごめんな」
って言って、アタシの背中を優しくポンと叩いたの。
その時、思ったわ。
ああ、やっぱりアタシは竜がそばにいないとだめだ。この笑顔が見られなくなる辛さを思ったら、この声が聞けなくなる寂しさを思ったら、たとえ報われなくても、自分の思いは胸の奥にしまって、ずっと友達でいることを選ぼうってね。
……で、何だっけ? あ、そうそう、アタシがどうして竜を好きになったのかって話をしてたのよね。
そうねえ、理由はいろいろあると思うけど、何だかんだ言っても、優しいのよね、竜は。
ほら、アタシ達って純粋であろうとしても、大人になるに従って、つい損得勘定で人と付き合ったりとか、何かしら他人の目を気にして行動しがちじゃない? でも竜は、そういう計算高さが希薄っていうか、嫌われてる人とも平気で友達になるし、自分が面白いと思ったら大胆なことでも行動に移しちゃうし、普通の人にはない天真爛漫なところがあるのよね。もしかしたら、そんなところに魅力を感じたのかもしれないわ。アタシって、孤高を気取っているようでいて、意外と常識人で気の小さいところがあるから、彼のあの天然の大らかさが羨ましかったんだと思う。
ねえ、だからアタシ、同窓会で竜の現状を聞いた時、すごくかわいそうだとも思ったんだけど、ほんの少し、ほっとしたのも事実なのよ。だって、あの竜が人が変わったみたいに、大企業でのし上がって出世してたり、あるいは公務員にでもなって堅実な人生を送ってたりしたら、きっとアタシ、幻滅してたと思うもの。でも、相変わらず、竜は竜のままだった。そのことが、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちなのよね……。
セイラはまるで昨日の出来事を語るように、生き生きとした口調で、過去の竜の話を私に聞かせてくれた。きっとそれは、竜との思い出が過去の出来事として色褪せるのではなく、永遠に時を刻み続ける万年時計のように、彼女の中で常にしっかりと息づいているからだろう。そして、幾度となく繰り返された巻き戻しと再生で、記憶が再編集されたせいもあるのだろうか、彼女の語る竜の姿は、私の知る竜の姿よりほんの少しかっこよくて、頼りになる男に色づけされているように思われた。
「セイラは、まだ竜のことが好きなんでしょ?」
私がセイラの方をチラリと見遣りながら尋ねると、
「そうかもね、竜は私にとって特別な存在だから」
と言って、彼女は口元を綻ばせた。
「って言ってもね、付き合いたいとかそういうんじゃないの。早川さんにも一人ぐらいいるでしょ? 別に付き合ったことがあるわけじゃないのに、その人と交わした言葉を思い出すだけで幸せで、いつかその人とまた会いたいって、密かに期待に胸を膨らませているような人が。アタシにとって竜はそういう存在なの。時間が経っても記憶が色褪せずに、逆に鮮明さを増してくるような、そんな存在なのよ」
「それで、わざわざ関西に行ってまで、竜に会いたいと思ったのね?」
私はいたずらっぽく肩をすくめて言った。
「私ね、ずっと思ってたの。セイラはきっと女になった自分の姿を竜に見てもらいたいんだろうなって。竜、きっと驚くよ。だって、セイラこんなにきれいになってるんだもん。私もきれいになって、いつか洋介を見返してやりたいよ」
しかし、セイラは思いのほか強い口調で、
「それは違うわ」
と言って、きっぱりと私の言葉を否定した。その意外なほど険しい声色に、私は少したじろいだ。冗談なのに、そんなに怒らなくても……、とチラリと隣を窺うと、彼女はハンドルに頬杖をついて少し逡巡した後、ためらいがちに低い声で呟いた。
「……言ってなかったけど、アタシ、まだ体は女じゃないのよ」
一瞬、静かになった軽自動車の車内を、対向車線のヘッドライトの波が、次々と通り過ぎていった。ヘッドライトに浮かび上がった彼女の表情は、怒っているというよりも、むしろ悲しみを帯びているように見えた。カーステレオから流れてくる、もう何周目かのミスターチルドレンだけが、重苦しい沈黙で満たされた車内にしんみりと響いていた。