三
同窓会はゴールデンウィークの、最初の休日の夕方に行われた。場所は母校の近くにある、文化祭の打ち上げなどでもお世話になった「やなぎ」という小料理屋だ。その二階に座敷が取ってあった。
少し遅れて会場に着くと、二列に長く連なった座卓には、もうほとんど人が揃っていて、早くも料理やビールを囲んで宴たけなわという感じだった。早速、学生時代に仲の良かった岡本 唯が、私を見つけて声をかけてきた。
「来た、来た。ひかる! 久しぶり、元気だった?」
唯は手招きをして、空いた隣の席に私を座らせてくれた。周りには、グループで仲良くしていた、竹下 みゆきや稲葉 温子の姿もある。久しぶりに見る友人達は皆、歳を重ねて、高校の頃の無邪気な明るさだけではない、それぞれの属する環境に従った、大人としての風格を身につけていた。結婚して子供もいる唯は、体つきも話し方も貫禄がついて肝っ玉母さんといった風情になり、学生時代は天然ボケで通っていたみゆきは、外資系企業の営業職について、表情や話し方もびっくりするほどシャープで明晰になっている。そして、私達の中で一番おしゃれに関心が高く、いつもファッション誌をめくっていた温子は、高級ブランドの店員になって、そのファッションセンスと化粧の厚さにより磨きをかけていた。
私達は久方ぶりに顔を合わせたこともあって、まるで高校時代に戻ったように、舞い上がって昔話に花を咲かせた。休み時間にみんなでふざけた話や、好きだった男の子の話、先生との思い出話などをしていると、砂埃が舞うグラウンドや、古ぼけた校舎や、机の落書きなど細部の情景までもが、すぐ目の前に浮かび上がってくるようだった。そして、そこに流れていた青くさく濃密な空気感さえ、頭の中に鮮明に蘇ってくるような気がした。
「はーい、皆さん、前に注目してくださーい!」
その時、座卓の中央から、クラス委員だった山本 一彦がふいに立ち上がり、皆に向かって呼びかけた。グレーのスーツをぱりっと着こなし、すっかり中堅サラリーマンの貫禄を身につけた彼の隣には、今日の主役である元三年A組の担任、大牟田先生が並んで立っていた。
「えー、では、まずは本日の主役の大牟田先生から、ご挨拶をいただきたいと思います」
皆の拍手を受けて照れくさそうに話を始めた先生は、隣の山本 一彦とは対照的に、ラグビー選手のようにいかつかった体格もひと回り小さくなり、昔よりこぢんまりとした印象を受けた。短く刈りこんだ髪型は変わらないけれど、そのところどころにはごま塩のような白髪が目立ち、目尻や口元には、昔は見られなかった皺がくっきりと刻まれている。十一年という歳月は、生徒達から「鉄壁」と呼ばれ恐れられていた先生の威圧感を、近所のおじいちゃん的な親しみやすさにすっかり変えてしまっていた。
私は先生が挨拶をしている間、目だけで辺りを見回して、溝口 誠一を探した。彼の姿は会場をそんなに見渡さずとも、すぐに見つけることができた。中央から二つほど離れた席で、鮮やかなターコイズブルーのワンピースをゴージャスに着こなし、細い指で煙草を挟みながら悠然と話に聞き入る彼、いや彼女の姿は、座卓に並んだクラスメート達の中でも、ひときわ異彩を放っていたからだ。
私は、一瞬でセイラに見とれてしまった。もともと整った目鼻立ちは、化粧によっていっそう際立ち、骨ばって筋肉質だった体は、なめらかな曲線を持つ女性的な肉体へと劇的に変貌を遂げている。長くウェーブのかかった栗色の髪は、大きめの髪どめでルーズに束ねられ、後れ毛が垂れるうなじが妙に色っぽかった。
先生の挨拶が終わると、私はテーブルを移動してセイラに声をかけた。彼女は私を見るなり、「いやーん。早川さん、会いたかったー!」と嬉しそうに抱きついてきて、私を隣の席に座らせてくれた。そこには、大牟田先生や幹事の山本 一彦をはじめ、副委員長だった井上 幸子や村山 茂之など、この会の主要メンバーが勢揃いしており、皆の話題は十年ぶりに再会してみたら、女に変身していたセイラのことで持ちきりだった。
「でも、早川さんもびっくりしただろ? まさかこいつが十一年後にこんな姿で俺達の前に現れるとはね」
山本 一彦がセイラを指差し、茶化すように言った。ビールでだいぶ酔いが回っているらしく、「でもさ、その胸本物なの? ちょっと触って確かめさせてよ」と、調子に乗って彼女の胸にまで手を伸ばそうとして、「ちょっと、やめてよ! セクハラ大王!」と、怒り狂ったセイラに、往復ビンタを食らわされている。
話を聞いてみると、セイラはつい最近まで「溝口 誠一」として、一般の企業でサラリーマンとして働いていたということだった。皆と同じようにビジネススーツに身を包み、経理の仕事をしながら、自分が普通の男と違うということを誰にも打ち明けることができず、悶々とした日々を過ごしていたらしい。そんな彼が変わったのは、同じ会社にいたお局のタツ子さんに、ストーカーをされたことがきっかけだったという。
「ほんと、しつこくて困っちゃったわよ。だって『僕は女の人に興味はありませんから』って、勇気を出して言っても、全然信じてくれないんだもの。『また、あなたもそんなこと言って私から逃げる気でしょ。私はね、さんざんその手で騙されてきたのよ』って、逆にムキになっちゃって、ロッカーに手作りのお弁当は入ってるわ、家の前で待ちぶせされるわで大変だったんだから。でね、ある日思ったの。こうやって偽りの自分を演じ続けていても、自分も他人も傷つけるばっかりでいいことないってね。それで次の日、化粧してスカート穿いて会社に行ったら、クビになっちゃったけど、おかげでストーカーもぴったり止んだわ」
それから彼は、知り合いの経営するニューハーフバーで「セイラ」として第二の人生を歩み始めた。今では結構指名もある売れっ子らしく、彼女が渡してくれた店の名刺には、名前の上に「NO.1」と金色の縁取りで飾られた、けばけばしい文字が光っていた。
「それにしても、十一年ぶりだっていうのに、よくこれだけ集まったもんよねえ」
私は会場を見渡して、感心したように呟いた。皆、仕事や結婚で住所が変わったりもしているだろうに、四十二人いたクラスのメンバー中、三十人近くが同窓会に顔を揃えている。私はその中に橋爪 竜がいないか、目を凝らして探してみた。だが、いくら隈なく見回してみても、こういう場では必ず会話の中心にいるはずの彼の姿は、どこにも見当たらなかった。
「竜は今日は来てないんだ?」
何気なく訊いてみると、急にその場にいた皆の顔が曇った。お互い伏目がちになったまま、誰も質問に答えようとはせず、気まずそうに目配せをしている。戸惑う私に、その沈黙の意味を教えてくれたのは、高校時代、竜と一番仲の良かった村山 茂之だった。
「……あいつ、今やばいらしいんだ」
「やばいって、何が?」
「俺も人づてに聞いた話なんだけど、何でもいろんなところで借金作って、首が回らなくなってるらしい。利子とか含めたら、何百万とか言ってたかな。それで、借金取りから身を隠すために、今は大阪の方に逃げてるって話だぜ」
村山 茂之によると、竜は高校を卒業後、結局、進学も就職もせずふらふらしたまま、毎日パチンコに明け暮れ、自堕落な生活を送っていたらしい。心配した友人達が、仕事先を紹介したりして、一時はデザイン関係の会社に就職したこともあったけれど、どれも長くは続かなかった。アルバイトを転々として食いつなぐ日々と、ギャンブルで膨らんでゆく借金。そんな竜に愛想を尽かして、やがて友人達は一人、二人と離れていき、ついには誰も彼と連絡を取らなくなってしまった。村山 茂之もここ数年は全く音信不通だったのだけれど、たまたま出張で行った関西支社に竜のことを知っている人間がいて、思いがけず彼が大阪にいることを知ったのだという。
それを聞いて、私は深い溜息をついた。そして、それぞれに積み重ねられた十一年という歳月の不平等を思った。セイラに女になることを決心させた時間、友人達が自分の属する環境に順応していく時間、先生から威厳を取り去り、山本 一彦に貫禄を備えさせた時間、それほど人を変えてしまう重みのある時間が、竜にとってはまるで流水のように、何も積み上げることなく過ぎ去ってしまっていたのかと思うと、何かやるせない気持ちになった。
「竜って、面白くていい奴だったのに、そんな風になってたなんて、何か意外だな」
「十一年も経ったら人は変わるってことでしょ」
みんなは昔明るかった竜が、今はすっかり堕落してしまったことを知って、ショックを受けている様子だった。しかし、私は彼の明るさの裏に、今に繋がるような資性が潜んでいることに、高校の頃から薄々気がついていた。みんなは竜のことを面白い奴だと言ったけれど、それは辛いことも苦しいこともぐっと内に収めて、他人の前で笑顔を見せる強さを持っていたからではなく、世の中の上澄みばかりをすくって生きているような享楽的なところが、周囲には陽気に見えていただけなのだ。彼は決して人は悪くないけれど、そういうところでどこか危うい脆さを持った人だった。
それきり、私達の間で竜の話題が上ることはなかった。それは教室という空間では確かに居場所を持っていた彼の奔放さが、常識と理性で形作られた大人の世界では、行き場をなくしてしまったあらわれのようにも思えて、何だか寂しいような気もした。だが、そんな中でただ一人セイラだけは、村山 茂之をつかまえて、こそこそと竜について何かを訊き出そうとしているようだった。
「やなぎ」での一次会が終わって、先生をタクシーで送り出すと、私達は二次会に行く前に、慣れ親しんだ学び舎を久しぶりに見に行ってみようということになった。私達のクラスは卒業の日、校庭の桜の樹の下にタイムカプセルを埋めていて、それを誰かが「十一年ぶりに掘り起こしてみたい」と言い出したのを機に、皆、酔いの勢いも手伝って、「じゃあ今から行こう」と勢いづいたのだ。そして気がつくと、自然と皆の足は駅とは反対の母校の方角へと向かっていた。
私達は山本 一彦を先頭に、母校へと続く土手道を二十人以上の集団で連れ立って歩いた。街灯のない土手道は暗く、おまけに昨日まで降り続いた雨で地面はぬかるんでいる。だが、酔っ払った男達は、そんな道の悪さなどおかまいなしに、上機嫌で音程の合っていない校歌を合唱しながら、母校へ向かって歩みを進めていった。少し遅れて、私とセイラもその後に続いていく。しかし、ヒールの高い靴を履いたセイラは、一歩踏み出すたびにぬかるみにずぶっ、ずぶっとヒールがはまって、「もう! 誰よ、土手歩こうって言ったの!」と、しきりに不平を洩らしていた。
母校は私達が卒業した頃と、ほとんど変わってはいなかった。辺りが暗いためにはっきりと確認することはできないが、校門のそばに建っている手を繋いだ少年少女のブロンズ像も、コンクリートのひび割れが剥き出しになったぼろっちい校舎も、サッカーゴールがぽつりと佇むだだっ広いグラウンドも、まるでそこだけ時間の流れが滞ってしまったように、私達の記憶にあるそのままの姿を留めていた。私達は裏門へ回り、低い柵を乗り越えて中に入ると、真っ直ぐにタイムカプセルが埋められた校庭を目指した。
十一年前にはまだ若木だった桜は、今は立派な大木に成長していた。校庭を縁取るように等間隔で植えられた樹木の隅っこに、ひときわ太い幹をつけてどっしりと根づくその根元には、「一九九八年 三年A組卒業記念」と記した小さな木札が、雨風に晒されてボロボロになりながらも、辛うじてその場所に残っている。山本 一彦は用務員室の隣にある物置小屋から大きめのシャベルを拝借してくると、皆が周りを取り囲むようにして見守る中、井上 幸子とともに、木札の立ててあったところの土を掘り起こし始めた。
しばらくすると、シャベルの先にガツンと何かが当たる手応えがあった。さらに掘り進めていくと、土の中にタイムカプセルを覆っている青いビニールシートが見え始め、二人は周りの穴を少しずつ深くしていきながら、慎重にその箱を土の中から掘り出していった。そして、どろどろになった青いビニールシートを剥がし、さらにその中に幾重にも覆われた黒いビニール袋を破ると、ついにミカン箱くらいの半透明の四角いプラスチックボックスが、私達の前に姿を現した。
「すげえ、本当にあったよ」
「思ったよりも傷んでないわね」
十一年ぶりに対面を果たしたタイムカプセルは、あまりにも記憶が遠すぎて、懐かしいというよりは、ほとんど未知のもののような気がした。ケースの中にはそれぞれの「将来の自分に渡したいもの」が入った、銀色の球形のプラスチックケースが、パチンコ玉のようにクラスの人数分詰め込まれている。だが、私は「ほら、これ早川の分だぞ」と言ってその一つを渡されても、正直自分が十一年前にこのカプセルに何を入れたのか、さっぱり憶えていなかった。
私は高校生の頃の自分に再会するような思いで、おそるおそるカプセルの蓋を開けた。中に入っていたのは、今ではガラクタとしか思えないような代物ばかりだった。当時、ファンだったアイドルの缶バッジやブロマイド、当時のヒット曲を編集したカセットテープ。そして、竜と付き合っていた頃につけていた日記帳。赤いキャンバス地の表紙がついたそのノートの中には、今読み返すと赤面してしまうような、当時の竜への思いが綴られていた。
「あら、何それ? 昔の日記帳?」
すると、ノートを目ざとく見つけたセイラが、興味津々で私の手元を覗き込んできた。彼女は嫌がる私からノートを素早く奪い取ると、そこに書いてあった文面を声に出して読み上げ始めた。
「何なに……、『やったー、ついに竜とファーストキス! 三回目のデートだったからそろそろかなって思ってたけど、帰りに公園のベンチで話してたらやっぱり……。初めてだからすごいドキドキしたけど、相手が好きな人だから嬉しかった。あらためて、世界で一番竜のことが大好きって思ったよ! 明日学校で会うの、ちょっと照れちゃうな……』」
「ちょっと、やめてよ!」
セイラは日記を取り返そうとする私の手をするりと交わして、吐き捨てるように言った。
「まったく、女っていうのは、『世界で一番』なんて言葉を本当に軽々しく使うんだから……」
「人の日記勝手に読んどいて、その言い草はないでしょっ!」
私は日記を片手に好き勝手ぼやくセイラを、いまいましげに見つめた。そして、そっちがそうなら、こっちだって仕返ししてやるわよっ、とばかりに、私は彼女が大事そうに抱えている銀のプラスチックケースに手を伸ばした。すると、セイラがそれをよけようと身を翻した拍子に、ケースの蓋が取れて、中からたくさんの写真がバラバラとこぼれ落ちてきた。
「あーあ、見られちゃった……」
地面に散らばった写真を見て、私は呆然と立ちすくんだ。小さな四角い紙片に切り取られているのは、体育祭や修学旅行や遠足など高校生活のありふれた風景ばかりだ。だが、それらの写真全てに竜が映っていることが、私の目を釘づけにした。まだあどけなさの残る顔で、友人と一緒にカメラの前ではにかむ竜、文化祭のステージでルナシーを真似てメイクをし、皆の前で格好をつけて歌う竜、修学旅行で行った広島で、鹿に睨まれながらお弁当を頬張る竜、高校一年生の頃から撮りためていたと思われるそれらの写真には、私の知らない竜の表情や時間が、たくさん刻まれていた。
「アタシ、竜のこと好きだったの。高校の三年間、ずっと」
しゃがみ込んで散らかった写真を拾い集めながら、セイラがぽつりと呟いた。私は何と言っていいのか分からなかった。ただ、何も悪いことはしていないのに、何となく後ろめたいような、ばつの悪さを感じた。例えば、盗品をそれと知らずに購入してしまって、ずいぶん時間が経ってからその事実を知ってしまったような、そんな行き場のない罪悪感が私の胸を満たしていた。
ふと気まずさに目を反らすと、傍らには、皆のタイムカプセルが入っていたプラスチックのボックスが、まだ蓋を開けたままの状態で放置されていた。底には先に帰ってしまった人と、同窓会に来られなかった数人のタイムカプセルだけが、忘れられたように残されている。その中には、「橋爪」とシールが貼られた、竜のタイムカプセルもあった。セイラはそれを何気なく手に取ると、ハッと何かを思いついたように顔を上げ、私に向かって言った。
「アタシ、竜にこれを届けてあげようかしら」
私は驚いてセイラに尋ねた。
「でもどうするの? 村山君も言ってたけど、竜は今、大阪にいて、どこに住んでるかも分からないんでしょ?」
「うん。でも、村山君の知り合いの関西支社の人だっけ? から辿っていけば、居所は掴めると思うの。お金に困ってるんなら、何かアタシが力になってあげられることがあるかもしれないし……」
それを聞いて、私はもしかしたら、セイラは最初からこうすることを決めていたのかもしれない、と思った。あの同窓会の誘いで電話をかけてくれた時から、彼女はやけに竜のことを気にかけている様子だった。きっと彼女は高校の頃から、いつか彼の前に女になって現れることができる日を、ずっと夢見てきたのだろう。なのに、せっかくそれが実現するという時になって、今度は肝心の竜がいないのだ。私はそれでも、何とかして竜を見つけ出そうという彼女の思いに、何となく打たれてしまった。そして、その熱意に影響されたのか、私の中でも後味の悪いまま終わってしまった竜との関係に、きちんとけじめをつけたいという思いが湧き起こってきた。
「ねえ、セイラ、それ私も連れてって。私もセイラと一緒に、竜にタイムカプセルを渡しに行く」
今度はセイラが驚いた顔で私を見た。
「何で? もう竜とはとっくの昔に終わったんじゃなかったの?」
と、不思議そうに尋ねるセイラに、私は言った。
「うん。だけど、あいつに言いたかったこともあるし。どうせ今、私、結婚するはずだった人から婚約解消されて、仕事も辞めちゃって暇なんだ」
すると、セイラが私を見てニッと笑った。
「お互い男には運のない負け犬同士ってわけね」
つられて私も彼女にニッと笑い返す。
「いいじゃない、旅は道連れ、世は情けよ」
そう言うと、彼女は持っていた竜のタイムカプセルを、私に投げてよこした。初めて手にするその銀のプラスチックケースは、何が入っているのかは知らないが、その存在を主張するように、中からカタカタと乾いた音がした。