マリアのこども
─────「おまえがほんとうのことをいって、いけないといわれていた扉をあけたことを白状すれば、おまえの口がひらいて、もとのように話すことができるようにしてあげましょう」─────
ある日、貧乏で、三つになる一人娘を育てられないで困っている夫婦の前に、背の高く、星の冠を抱いた聖母マリアが現れます。
聖母マリアは、赤ちゃんを天国へ連れて行って代わりに育ててくれます。
娘は天使に世話され、甘いミルクと砂糖入りのパンを食べ、金の着物を着てすくすく成長し、綺麗な少女となりました。
娘が十四歳になったとき、旅に出る聖母マリアに鍵を十三個預けられます。
マリア様が旅に出ている間、十三ある部屋のうち、十三番目の部屋以外は見てもよいとのこと。
民話でよくある「見るなの禁」って奴ですね。
娘は勿論開けてはいけないといわれていた扉を開けます。
十二の部屋には十二使徒がそれぞれ光に包まれていているのですが、十三番目の部屋には、裏切りの使徒のユダではなく、三位一体の神様(イエス・キリストのお父様)がみ光と炎に包まれていて、その光に触れた娘の指が金色に変わってしまいました。
帰宅した聖母マリアに扉を開けてないと嘘を付きましたが、聖母は娘の指を見て、更に二度確認。
天国に嘘つきはいられないので、嘘を吐き続けた娘の声を奪った上で下界に追放します。
娘は荒れ地でサバイバル生活を送りますが、娘の金髪が爪先を覆うまで伸びる頃、偶然通りがかった王様に見初められて結婚します。
子宝にも恵まれますが、赤ちゃんを産むたびにマリア様が現れて「以前扉を開けたでしょう。白状しなさい」と聞かれ、否定すると赤ちゃんを拉致られてしまいます。
三回それが繰り返され、三人の赤ちゃんが聖母に取り上げられます。
王子王女が三度も突然いなくなり、王宮は当然大騒ぎ。次第に口の利けない王妃が矢面に立たされます。
とうとう人食い鬼の噂を流され火炙りの刑に処されるその時、娘は嘘を悔いました。
「マリア様、私が扉を開けました!」
その瞬間火炙りの火が雨によって消えて、マリア様が赤ちゃんを返してくれてハッピーエンド。
王妃になった娘もマリア様に親元から引き離されて天国暮らしなので、この話のマリア様、子供を計四回さらってるんですよね。
貧乏な家に生まれた赤子も、王子王女として生まれたやんごとなき赤子も、平等に聖母は連れ去っていく。
ここに死のメタファーがあるような気がしてならない。
しかも自分が甘やかした娘を即サバイバル生活って。
娘の方はマリア様に対してちょうど母親に向けるような「いうてまあ許してくれるだろ」って甘えがあるようですが、天国は厳しいです。
キリスト教的には、産みの親と別に、天にまします「父」がいらっしゃいます。神様ですね。
天国の「父」も、聖母マリアも、本当の両親のように敬い身を預ける対象ですが、そこに実の親にする甘えもわがままも介在してはいけないのでしょう。
それにしても、娘を天国に連れて行くって危ない表現ですよね。
何者かに拉致られて山奥とか森の奥で不自由なく暮らし、約束を破って人界に追放って展開は、民話にはよくあります。
民俗学的には山・森は異界で、鬼婆や魔女などはグレートマザーにあたりますので、聖母マリアがそういう異存在としてあてがわれてるんですね、母だけに。
個人的には、沼の主とか巨人がやるような赤子の拉致を、聖母マリアにやらせる方が嘘つくよりいけねぇだろ、と感じますが、民話をキリスト教化するとこうなるのかしら?
嘘をついて楽園追放、ペテロのように三度否認する、など、聖書的表現が土着の伝承に落とし込まれてる、興味深い物語です。