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あの時夢見た二人だけの最果てを見に

最終話以降。ティアとアリアナのお話



 穏やかな風が吹いているのだろう。窓の外で日差しを受ける木々がさらさらと優しい音を立てて揺れている。今日は本当にいい天気だ。窓の外を眺めたアリアナはそう思った後、小さくため息を吐き出す。

 こんなに天気がいいんだ。少しぐらい外に散歩にでも行きたい。だが、それは許されない。目の前、つまりは机の上に高々と積み重ねられた書類を片付けない限りは。


「はぁ……」


 書類を手に取り、さらさらとペンを走らせ、サインの書いた紙を机の横に置いた箱に入れる。もう何度、この動作を繰り返しているのか……しっかり目を通す書類たちは皆、同じような文面。アリアナは窓の外へと視線を移し、木々に止まる鳥たちを見る。

 木漏れ日に照らされ鈴のような美しい声で歌うそれらの演奏会は実に素晴らしい。聞き入ってしまうそれにほんのりと機嫌をよくしたアリアナは鳥たちの歌声に合わせるように鼻歌を歌いつつ、書類に再び戦いを挑む。


 歌に乗れば書類を倒すスピードは先ほどより少し上がる。と言っても、山積みのそれが今日中に終わる、ということは無理だ。欠伸を噛み殺し、今日はいつもより早く眠れるように祈って、アリアナは鼻歌交じりにペンを動かす。

 そんな時だ、アリアナはことりと自分の演奏に交じって軽い足音が聞こえてくるのに気付く。口元をわずかに緩め、ペンを走らせ、その足音に耳をすませば――


「お姉さまっ!」


 ノックもせずに、扉を開けたティアルマは元気な声で眩しいほどの笑顔で部屋へと入ってくる。いつまで経っても変わらない彼女に苦笑を浮かべたアリアナはペンを置いて、近づいてきた彼女の頭を撫でた。

 犬の獣人であれば、きっと千切れんばかりに尻尾を振っていそうな幸せに満ちた顔のティアルマは、撫でるアリアナの手にすり寄る。その姿を見ただけでアリアナは今まで感じていた疲れが吹き飛んでいくような幸せに包まれる。


「ティア、どうしたの?」


 誰も聞いたこのないような、彼女の前でだけだす優しくてふわふわとした甘く柔らかい声。それが自分にしか向けられないとわかっているからこそ、ティアルマはより一層、その顔に幸せを浮かべて笑う。


「えへへ、今日はとても天気がいいから散歩でもしようかなって。お姉さま、一緒に庭にでも行きましょう?」


 その言葉にアリアナは申し訳なさそうに、表情を暗くする。


「ごめんね。今日中に終わらせないといけない書類がたくさんあるから……」

「……そっか……まだ、かかるよね」


 机に積み上げられた書類を見ながら、ティアルマは呟く。胸を締め付けるような悲しい声。まるで、お預けをくらった子犬のように、瞳に涙を貯めた彼女にアリアナは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 それに、自然と藍色の瞳(インディゴアイズ)は意思に反して、勝手に彼女の気持ちを“視て”しまう。


――この前もそうだった……お姉さま、頑張るのはいいけど少し休んでほしいわ……このままだと過労で倒れちゃう……どうにかして休んで欲しいのに。……ねぇ、お姉さま、視ているのでしょう? 私の気持ち。


 視えている。あえてそれは口に出さない。じっと見つめてくる彼女の瞳に映った自分の酷い顔に苦笑が浮かびそうになった。アリアナは自分の横に両ひざをついて、見上げる彼女の頬へと手を伸ばす。

 穢れを知らない。真っ白できめ細やかな肌はさながら、焼かれるのを待つパン生地のようだ。夕日を思わせるオレンジ色の瞳は見ていて吸い込まれてしまいそうだ。

 ゆっくりと顔を近づける。すると、ティアルマは暗い表情から一変した。驚いたような、これから起こることを待ち望むような……赤く染まった頬がなんとも可愛らしい。アリアナはくすりと微笑む。


「ティア」

「お姉さま……っ」


 触れた手を伝って、彼女の日差しのような体温がよくわかる。恥ずかしそうに口をキュッと引き結ぶ彼女の顔……これを見れるのは自分だけだ。アリアナはそっと彼女の唇を奪う。


「ん……っ」


 軽く触れるだけ。何度もしてきたとはいえ、やはりまだ慣れないらしい。キュッと腕を掴むティアルマにどうしようもないほどの愛おしさでアリアナの心は埋め尽くされていく。

 そっと唇を離せば、ティアルマの口からは吐息と共に名残惜しむような声が漏れる。それに心臓がドクンといつもと違った音を立てる。だが、このまま欲望に従ってしまうと大変なことになってしまうのでごまかすように彼女の頭を撫でる。


――もう一度、してくれないかな……


 だから、こんな声が視えても、視なかったことにしよう。アリアナは自分の欲望という名前の鍋に重たい鉄の蓋をして、何事もなかったようにふわりと笑う。


「ごめんね? これで、許してくれるかしら」


 ティアルマは赤い顔のまま、コクリと頷く。アリアナは心の中でほっと息を吐いた。が、その心は申し訳なさでいっぱいになる。


「ねぇ、お姉さま」

「どうしたの?」

「その……今やってることって、お姉さまがやらないといけないの?」


 その問いにアリアナは首をかしげる。なにか、意図があるのかと思い瞳に魔力を流してバレバレではあるが、こっそりと彼女の心を覗いてみる。だが、意識して視えないようにされてしまったようだ。彼女の心はわからない。

 いつもわかるからこそ、こういうときが一番不安になる。視えないことが怖いなんて、自分も瞳に随分と頼ってきている、ということだろう。


「別に、必ず私がやらなきゃいけないというわけではないわ。他人がやっても見られてなければ問題ないわ。でも、私と同じ筆跡で名前を書ければ、の話だけどね」


 素直に答える。どうせ、こんなものは名前さえ書いておけば内容なんて確認しなくてもいいものばかりだ。なら、他人に名前を書かせればいいと思うだろう。だが、持ち主たちは筆跡を確認するのでそれは無理だ。

 だから、諦め交じりにそう答えれば、ティアルマは「そっか……」と呟く。その顔は落胆しているというようには見えなかった。


――同じものを用意できれば平気ってことね。ならやっぱり……


 そんな声が視えた。と、同時にティアルマは顔を上げてアリアナをまっすぐに見る。オレンジ色の瞳が藍色の瞳を映し混ざり合う。


「ねぇ、お姉さま」


 いつもの少し幼げな表情は影を潜め、代わりに浮かぶは――妖美という言葉がよく似合う、そんな顔だった。見たこともないそれに思わず腰を引きそうになるが、それよりも早く彼女は立ち上がりざまにアリアナの腰を抱きしめ耳元でささやく。


「私にプレゼントを贈らせて?」

「なにを言って――」


 アリアナはそれ以上言葉を続けることができなかった。どこからか、眠りの精霊がその意識をゆっくりと連れ去ったためだ。















 風が頬を撫でる。暖かくて優しい心地よいそれにアリアナはその瞼をゆっくりと持ち上げる。そうすれば、目の前には愛おしく大切で大好きな笑顔が視界いっぱいに広がっていた。


「ティ、ア……?」

「おはよっ、おねーさま」


 アリアナの髪を梳くように撫でるティアルマ。その眼差しはいつもよりずっと大人びていて、思わず恥ずかしくなったアリアナは柄にもなく、顔をそむけてしまう。が、すぐにアリアナは驚きの声を上げることとなる。


「――まって、ここはどこ!?」


 てっきり、部屋にいると思っていた。ぼんやりとしていた頭は一気に覚醒し、周りを見渡す。そうすれば、アリアナは自分がいま外にいて、しかも空を飛んでいることがよくわかった。しかも、随分と城から離れているということも。しかたなく上体を起こせば、ひんやりとした感覚が伝わる。


「まさか、エリザの……」


 そう呟き、ようやくなんとなく状況が理解できた。アリアナは額に手を当てて、ニコニコとずっとこちらを見つめている彼女へと顔を向けた。


「どういうことか、説明してくれるかしら?」


 ため息交じりにそう言えば、彼女は眩いほどの笑顔で答える。


「お姉さまと私の心踊る大冒険!」

「ティア……貴女……」


 開きかけた口を一度閉じる。普通であれば、怒らなければいけない。すべての仕事をほっぽり出して来てしまったのだから。だが、アリアナは怒れない。

 彼女の心を視なくとも、彼女が心の底から心配して行動しているとわかっているからだ。確かに、ここ最近、忙しくて遊ぶことはおろか、満足に眠ることすらなかった。


「お姉さま。嫌だった?」


 彼女の手が頬に伸ばされる。わずかに震えているそれに、アリアナは苦笑を浮かべた。


「いいえ、そんなことないわ。ごめんね? 心配かけて。……これじゃあ、アリスに休みなさいなんて言えないわね」

「お姉さま……あんまり、頑張りすぎないで。私、心配よ。いつか、倒れたらって……」


 からからと笑って見せたが、ティアルマは眉尻を下げたまま、アリアナの首筋に顔をうずめる。安心させるようにその体をそっと抱きしめる。


「ティア、本当にごめんなさい」


 ギューッと自分の体温を伝える。そうすれば、悲しみに沈んでいた彼女の色はゆっくりと、いつもの明るい物へと戻っていく。鋼鉄の鳥の羽ばたきと風の音が耳に心地よい。


「ねぇ、ティア、どこに向かっているの?」


 首筋にうずめていた顔を上げた彼女は微笑を携えたまま答える。


「最果ての迷宮」

「えっ」


 アリアナの瞳に驚きの色が浮かぶ。すると、彼女のオレンジ色の瞳が一層に明るさを帯びた。そして、そっとティアルマはアリアナの吐息を奪う。


「ふふっ、じょーだんだよ。でも、最果てっていうのは間違いじゃないよ。私たちだけしかいない、世界の端っこに行くんだから」


 ニヤリと企むような笑み。アリアナは静かに瞳を閉じ、風を体に受け止める。そして、吹き付ける風にすべての心配事を乗せて、これから訪れるであろう楽しい時間に笑みを浮かべるのだった。







 










 穏やかな風が流れる部屋に新鮮な空気が充満する。机の上に積み重ねられた書類は飛ばずとも、ひらひらと揺れている。


「はぁ、どうして私の周りって無理やりにでもしないと休まない人間ばかりなのかしら。ねぇ、そう思わない?」


 書類にスタンプを押しながら、エリザは欠伸をする。スタンプを押された書類には、まるでアリアナ本人がペンで書いたとしか思えないほどのそっくりなサインが刻まれている。


「あぁ、エストさんとかですか? この前、働きすぎでシュティレに怒られてましたもんね」


 スタンプの押された書類を箱の中へと入れたアリスは顎に手を当てて、そう言う。シュティレの怖さを思い出しているのか、その顔は苦い。

 エリザはそんなアリスの顔に、ため息を吐く。その呆れたようなため息にアリスは僅かにムッとした顔で首をかしげる。


「なんですか、その顔」

「いや、貴女も人のこと言えないわよね。この前、シュティレとアリアナに怒られてたの知ってるわよ。後、部下にも言われてたでしょう“休んでください”って」

「……さぁ、そんなこと言われたことありませんね。私はしっかり休んでいます」


 アリスはそう言って首筋に手を当てる。エリザはまた、ため息をつく。


「はぁ……どんどん、あの子そっくりになっていく」

「なにか言いましたか?」

「いいえ? 何も」


 スタンプを押す。今度、このスタンプをプレゼントしてみようかとエリザは考えつつ――


「できるだけ遅く帰ってくるといいわね」


 のんびりとした声は風とスタンプを押す音によってかき消されていくのだった。












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