扉を締め忘れた件
僕はオリアナ王国の王都に帰ってきた。ヴァイオレットさんも一緒だ。
城壁の外は国王派の軍が包囲していて、明日か明後日には攻め込んでくるとの噂だ。
「静かだな……」
誰もいない通りを歩きながら、僕は呟いた。
日はもう沈んでいるから、人通りがないのは分かる。
でも、建物に灯りがついていないのは不自然だ。話し声もしない。
「気配はあるんだけど……」
不思議に思いながら歩いていると、風に乗って血の匂いが届いてきた。
「ま、戦争中だし血の匂いぐらいするよね」
と思っていたら、通りに積もった雪が大量の血痕で染まっていた。
周囲には破けた衣類が散乱し、千切れた人間の指も落ちていた。
僕は慌ててポケットからヴァイオレットさんを取り出して確認した。
「落としたかと思った」
ぷるぷると、ヴァイレットさんが震えた。
「ま、戦争中だし指ぐらい落ちてるよね」
ぺちん。
通りには、血の足跡がいくつも残っている。
ざっと十人以上。
気になったから、一番くっきりと残っている足跡を辿っていく。
それは、平民街から富裕層向けの住宅地へと続いていく。
――その時。
「キャァァァァァァアアアアアッ」
遠くから悲鳴が聞こえた。
ダッシュで向かうと、そこは貴族の邸宅だった。
広い庭に、三階建ての豪邸だ。周囲には血の足跡が残っている。
僕は豪華な二枚扉の玄関を蹴破って内部に侵入した。
「おぉ、ホラー映画で見たやつだ」
ホールは、血の海だった。
いくつもの人肉が折り重なって倒れている。豪華な壁画や装飾が、血飛沫で台無しだ。
残念だけど、全員死んでいる。
激しいバトルがあったようだ。
僕は血の海を飛び越えて、物音がする二階へ向かった。
血で濡れた廊下を駆け抜けて、僕は突き当りの扉にラ〇ダーキックした。
「クッ……離れなさいッ!」
二人の人間が格闘していた。
燕尾服の男が馬乗りになって噛みつこうとしている。
ドレスの女性が噛みつき攻撃を必死に避けている。
どういう状況だ。
首を絞めた方が早いよね。
なぜ噛みつこうとしているのか聞いてみたい気持ちを抑えて、僕はモブっぽく助けに入った。
「か、か、彼女から離れろぉぉぉ~」
そしてモブキックで蹴りかかった。
「ん?」
あれ、ビクともしない。
へなちょこモブキックだったけど、わりといい所に入れたはずだ。
馬乗りになっている男が充血した目で僕の方を見る。
僕はその顔面を今度は少し強めに蹴り飛ばした。
グチャッ。
「あ――ッ」
思ったより脆かった。
顔面が弾けて血肉が散乱した。
血でびしょ濡れの女性が僕を見上げている。
「ありがとう。助かったわ」
意外にも、彼女は冷静だった。
顔にかかった血肉をシーツで拭い、床に落ちていた剣を拾う。剣にはミドガル魔剣士学園の紋章が刻まれていた。
「あれ……あなた、どこかで」
彼女はランプに火をつける。部屋の中に灯りが広がった。
「あなた確か……シド・カゲノーくん?」
彼女は僕を見てそう言った。
「えっと、君は確か……モブ子さん?」
「違うわ」
適当に言ってみたが駄目だった。
「クリスティーナよ。同じクラスなのに忘れたの?」
「もちろん覚えてるよ。ただの冗談」
言われてみるとなんとなく見覚えのある顔だ。同じクラスのカースト上位集団にいた気がするけど、もちろん話したことはない。
赤い髪に赤い瞳の美人さんである。
「見かけによらず、こんな状況で冗談が言えるのね。それに、よく一撃で倒せたわね」
クリスティーナは頭が弾けた燕尾服の死体を見下ろした。
「一撃じゃないよ。一応、二回蹴ったから。それになんか脆かったし、骨粗しょう症だったかもしれない」
「骨粗しょう症ってなによ…まあ、いいわ。確かに、こいつら力は強いけど意外と脆いのよね。さっきは剣を落としたから危なかったわ。本当にありがとう、シドくん」
クリスティーナは微笑んだ。
「君の悲鳴が聞こえて偶然通りかかっただけさ」
「悲鳴が聞こえた?」
クリスティーナは表情を曇らせた。
「聞こえたけど」
「まずいわ、奴らは音に集まるのよ」
「奴らって?」
「だから、こいつらのことよ」
クリスティーナは頭が弾けた燕尾服の男を指したけど、僕はよく意味が分からずに首を傾げる。
「もしかして、何も知らないの」
「旅行中に体調を崩して、宿屋でずっと寝ていたんだ」
という設定にした。
「こんな時期に旅行って……とにかく、時間が無いわ」
クリスティーナさんはドレスの上からコートを羽織る。
「えっと……」
僕はモブっぽく何も分からないふりして狼狽える。
実際に何も分からない。
「悲鳴を聞いた奴らが集まって来るのよ。奴らは……化物よ」
「ば、化物……!?」
なんだそのワクワクする状況は。
その時、僕は大切なこと思い出した。
「あ、そういえば玄関の扉壊したままだった」
「……え?」
クリスティーナの頬が引きつった。
階下で、人間のものとは思えない雄叫びがした。