世界平和と科学のための尊い犠牲
頭に鈍痛を感じて、ドエムは目を覚ました。
「く……ここは」
周囲は暗く、風で木々が揺れる音が聞こえる。森の中だった。
ドエムは大きな岩を背にして座っている。
自分がなぜこんな場所にいるのか、彼には皆目見当がつかない。
「お目覚めかな」
少年の声が聞こえた。
一人の少年が、ドエムを見下ろしていた。
黒髪に、黒目の、平凡などこにでもいる少年だ。
気配は全く感じなかった。
声を聴き、姿を見てもまだ、そこに存在するのが信じられないほど彼は夜の闇に溶け込んでいた。
「お前……何者だ……」
立ち上がろうとするが、身体が重く、魔力もなぜかうまく練れない。
「僕は君を知っている。そして君も僕を知っている。思い出してごらん」
「俺がお前を……?」
ドエムは一度会った人物の顔はできるだけ覚えているようにしている。
黒髪で平凡な少年の顔は、確かにどこかで見た記憶があった。
「お前は……確か武神祭でアイリス王女の隣に座っていた」
「当たり、すごいね」
「ミドガル王国の関係者か……国際問題になるぞ」
当時はただの平凡な少年だったはずだ。少なくともドエムを誘拐するような度胸と実力があるようには見えなかった。
だとすると、猫を被り実力を隠し、ドエムを狙っていたのだ。綿密に計画を練り、隙を窺っていたに違いない。
「どうかな」
少年は薄く微笑んだ。
「何が目的だ」
「ある所に、理不尽に命を奪われそうになった少女がいたとする。かわいそうだと思うかい?」
黒髪の少年は、淡々とドエムを見下ろしている。何の感情も読み取れない黒い瞳で。
ドエムの肉体はなぜか全く動かなかった。
「仇討ちか?」
「いや、違う。単純な質問だ」
「さあな。思うかもしれないし、思わないかもしれない」
「僕はかわいそうだと思うんだ、一応ね」
「はっ……それで」
「僕は人を殺すときにいくつかのルールを作って、今までゆるーく守ってきた。そのうちの一つが、殺したらかわいそうだと思った人はなるべく殺さないようにしようってルールなんだ」
「お優しいことだ」
「そのルールをさっき破りそうになったんだ。だから世界平和のために君を殺しておこうと思う。世界基準で考えたらプラマイゼロかむしろプラスだろ。世界平和とかどうでもいいんだけどさ」
「……何を言っている」
冗談なのか、それとも馬鹿にしているのか。ドエムは話の意図が分からずに、少年を見上げた。
そこには何も変わらない、漆黒の瞳がドエムを見下ろしていた。
「君は悪者だろ。臭いで分かるんだ」
クンクン、と少年は芝居がかった様子で鼻を鳴らした。
「はっ……くだらん」
「でもそういう理由で君は死ぬんだよ」
「嘘だな。殺すつもりならさっさと殺している。目的は金か? それとも情報か?」
「半分正解で、半分間違いだ。君をまだ生かしていることには理由がある。君はオリアナ王国の偉い人だから、何か面白い情報を知っているんじゃないかと思って」
「情報か……拷問でもしてみるか」
「拷問には興味がないんだ。必要ならするけど、必要じゃない。そんなことをしなくても、君はきっと喋ってくれるはずだ」
まるで確信しているかのように少年は言った。必ず望んだ未来が手に入ると、疑ってすらいなかった。
不気味だった。ただの平凡な少年に見えて、行動も発言も何もかもが平凡ではない。
ドエムはこのとき初めて少年に恐れを抱いた。
「どういうことだ……」
「頭が痛く、肉体が重く、魔力もうまく練れないだろう。なぜだか分かるかい」
少年の言う通りだった。拘束も外傷も一切ないというのに、ドエムの自由は完全に奪われていた。
逃亡も抵抗もできない。
恐れが増大した。
「お、お前が何かしたな……」
「君の脳ミソに魔力を流し込んでみた。ビビビッと。そしたら上手くいった」
そう言って、少年は青紫の魔力を両手に集めた。
「だから思ったんだ。また魔力を流したら色々喋ってくれるんじゃないかって」
バチバチッと、小さな稲妻のように魔力が鳴った。
それは、今までドエムが見たことのない質の魔力だった。繊細で、濃密で、恐ろしいほどに制御されている。
まるで別次元の魔力に、ドエムは戦慄した。
「ま、待て待てッ、これは拷問だぞ! 間違いなく拷問だぞッ!!」
「失礼だな君は。これは実験だよ。科学なんだ。君の犠牲によって、将来脳死状態の人が回復できるかもしれない。抵抗すると脳ミソぐちゃっとなるから、落ち着いて」
少年の両手がドエムの頭を掴んだ。
「さーて、いくよ。世界平和と科学のために」
「や、やめッ――」
「ビビビッと」
「ヤメエエエエエエエェェェェェェェェエエエエエエエエッ!!」
そして青紫の魔力でドエムの意識が染まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ドエムが失踪し、ドエム派の軍勢は一夜で陣を引き払い撤退した。
国王派はドエム派の軍が消えた無人の平原を何の障害も無く行軍した。
ドエム派の人間は、ドエムがどこに消えたのか誰も分からなかった。
国王派の人間は、ドエムが消えたことすら知らなかった。だから彼らは罠を警戒して進んだ。
しかし、罠はどこにも無かった。
ついに国王派はオリアナ王国の首都を取り囲み、最終決戦が始まる。
消えたドエムの謎は、誰も解けなかった。
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