千年前に生まれてこい
イプシロンは目の前で起きたことが信じられずに、口をぽかんと開けていた。
倉庫の中にはやはり『災厄の魔女』アウロラの指が封印されていた。英雄フレイヤが消息を絶った場所もこの地だ。
この二つが関係しているのは間違いないだろう。
亡霊フレイヤの様子もおかしかった。憎悪に満ちたあの瞳は、とてもかつての英雄には見えなかった。
かつてこの地で、何かがあったのだ。
歴史の闇に消された事件が――。
――英雄フレイヤ。
――『災厄の魔女』アウロラ。
――オリアナ王国の『黒き薔薇』。
遥か昔の伝説が、千年の時を越えて再び動き出しているような気がした。
そして、伝説の裏には必ず奴らがいる。
――ディアボロス教団。
オリアナ王国の騒乱にはもしかしたら、途方もない事件が隠れているかもしれない。
そんなことを考えながら、イプシロンはゴクリと唾を飲み込んだ。
主はアウロラの指に向かって歩いていく。
その様子に動揺は見られず、やはり歴史を紐解きすべてを理解しているのだとイプシロンは感嘆した。
ここまではよかった。
しかし。
「えええ?」
主は何とアウロラの指に触れたではないか。
『災厄の魔女』アウロラが、魔人ディアボロスであることは聖域での調査で判明している。
たとえ指だけとはいえ、直接触れるのはあまりに危険だ。
しかも封印は弱まっている。
もちろんイプシロンにとって主は最強無敵だが、それでも危険すぎる。
だが、これだけでは終わらなかった。
「えええええええ?」
何と主は、アウロラの指と意思疎通し出したのだ。
主が魔力を流し話しかけると、アウロラの指はそれに応えるかのようにピクピクと反応する。
もちろん指が主を襲う気配はない。
「殺して……」
ピクピク。
「ま、しないけど……」
ブルブル。
「ほかのパーツを探す……」
ビクビク。
むしろ平和な空気が流れているような……。
いや、きっと気のせいだ。
そういえば主は聖域で、アウロラの記憶と戦闘している。
もちろん主の圧倒的勝利だったが、その時の記憶とこの指がリンクしている可能性もなくはない。
会話の内容を聞く限り何か取引をしているように見える。
しかし、いったい何故――。
「えええええええええええええええええええええええええ?」
そして、この日最大の驚愕がやってきた。
主は神業の如き癒しの魔力を集めると、なんと黒く醜い魔人ディアボロスの指に向けたではないか。
そして青紫の光が輝き、指を包み込むと……。
人の女性の指が、そこに現れた。
魔人ディアボロスは『災厄』の魔女アウロラだ、それは理解している。
ディアボロス細胞によって英雄が生まれ、その子孫は悪魔憑きとなる可能性を秘めている。
何らかの理由によって、『災厄』の魔女アウロラは魔人ディアボロスとなった。
ならば『災厄』の魔女アウロラは、悪魔憑きとして治療できる可能性がある。
うん、筋は通っている。
筋は通っているが――。
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?」
理解はできない。
もしかしたら千年前に主がいたら、悲劇は起こらずにみんな幸せに暮らせたんじゃなかろうか。
イプシロンは遠い目をしてそんなことを考えていた。
本当に魔人ディアボロスが治療できるのであれば、アウロラの指と主が取引をしているのもそれが関係しているのかもしれない。
『災厄の魔女』アウロラは、虐げられた悲劇の魔女だ。
もし魔人ディアボロスに、アウロラの意識が残っているとしたら……彼女には幸せな未来が待っているのかもしれない。
だが、それは分からない。
全ての封印を解いた時に、彼女の意思が残っているとは限らないのだ。
そして、ディアボロスの伝説を読み解く限りその可能性は低い。
だけど、主はきっと……そんな僅かな可能性を捨てていないのだ。
千年前に主がいたら、悲劇は起こらなかったかもしれない。
でも、主は今ここにいる。
その意味をイプシロンは理解し、熱い視線で主を見つめた。
もう悲劇は起こらない。そんな気がした。




