お山の大将
刺客の一人が一歩、間合いを詰めた。
イプシロンと彼らの距離はまだ遠い。ここから踏み込んでも容易に対処できる距離のはずだった。
――しかし。
「な――ッ!?」
突然、刺客の首が宙に舞った。
舞う血飛沫と、力なく崩れ落ちる躯を、イプシロンの剣撃が切り裂く。
「こいつ、魔力を飛ばすぞ――ッ!?」
残った四人の刺客は素早い反応で防御に移るが、その顔からは驚きが隠せない。
おそらく、
剣撃を魔力で飛ばすことは、ある程度の魔剣士ならば誰でもできる。しかし、それを実戦で使う者はほとんどいないのだ。
魔力というのは、自分の肉体から離れると制御を失い霧散していく。だから霧散しようとする魔力を繋ぎ止めるために、さらに大量の魔力を消費する。そして大量の魔力を用意する時間が必要となり攻撃が遅くなる。距離が伸びれば伸びるほど、必要な時間と魔力は加速度的に増加するのだ。
それらの問題点を解決するためには人間離れした緻密な制御力が必要となる。緻密な制御で魔力の消費を抑え、溜めの時間を短縮し、少ない魔力と短い時間で遠くまで魔力を飛ばさなければならない。仮にそれができたとしても、やはり並外れた魔力量がなければ継続戦闘は難しいだろう。
「魔力の溜めがない……そんな真似が可能なのか」
実戦レベルで飛ぶ斬撃を扱う難しさを理解しているからこそ、彼らの驚きは特別だった。
「固まるな、散開しろ!!」
「――無駄よ」
数多の剣撃が、空気を切り裂く。
それらは命を刈る不気味な音を響かせて、逃げ惑う刺客を一方的に切り裂いていく。
「チッ、避けきれねぇ」
「いったん間合いを外す」
「退くな、距離を詰めなければ一方的に――」
「無駄なのよ――私の間合いからは、決して逃れられない」
また一つ、刺客の首が飛んだ。
噴き出した血飛沫をイプシロンの斬撃が切り刻み、赤い霧となって漂う。
「不味いぞ……」
「これほどの斬撃を制御しているというのか――」
「これが『七陰』……ッ」
刺客の顔に焦りの色が浮かぶ。
そして、イプシロンの斬撃に全身を切り刻まれて、また一人の刺客が血の霧となった。
――その時。
「ガッ」
苦悶の声と同時に、斬撃が止んだ。
イプシロンが胸を押さえ、膝をつく。
そして、彼女はそのまま崩れ落ちた。
「もたなかった……ッ」
スライムスーツの隙間から赤い血が流れ出る。
傷口が、開いたのだ。
「モードレッド様が深手を負わせたと言っていたが……」
「限界だったようだな」
そう、イプシロンは限界だった。
それを理解していたからこそ、彼女は短期決戦を挑んだのだ。並の相手なら、最初の攻防で勝負は決していただろう。
しかし、相手は教団の二つ名持ち。
初動で一人殺れたものの、それ以降は粘られて時間がかかった。そして、三人の刺客を仕留めたところでイプシロンの傷が開いたのだ。
「くぅ……ッ」
イプシロンの手から剣が零れ落ちる。
「……最初に『七陰』を討伐したのが俺たちか。昇格は確実だろうな」
「だが、これがあと六人いる。教団を脅かすことにならなければいいが……」
「モードレッド様が全員殺してくれるさ。シャドウとかいうお山の大将もな」
「だといいが……おい、動くな」
彼らは苦痛に顔を歪めるイプシロンを見下ろした。
「まだ殺しはしない。情報を引き出してから――おっと」
イプシロンは、落とした剣に手を伸ばした。その手を、刺客は踏みつけた。
「ぅ……ッ」
「無駄だ」
「シャ……ドウ……様……」
「おい、何をしている」
「すみま……せん……」
イプシロンは最期の力を振り絞って小さなナイフを造り、それを自分の喉に突き刺そうと動く。
「なッ、止めろ!!」
刺客の脚が、寸前でナイフを蹴り飛ばした。
「ぁ……ッ」
「危ねぇな」
「お、おい、お前……脚が……」
「ん? 脚が何だって?」
「あ、脚が……切れてる……」
「え……?」
ナイフを蹴り飛ばした男の脚が、ポトリと石畳に転がった。
「あ、ああああ、俺の、俺の脚があああああぁぁぁぁぁあああああッ!!」
そして、コツ、コツ、コツ、と。
足音が近づいてきた。