――もう終わりだな?
地下倉庫に、五人の囚人の影があった。彼らはランプを囲み談笑している。
「あの新入り、本当にうまくやったのか?」
「どんくさそうなクズだったからなぁ。ま、失敗したら殺せばいいさ」
「どちらにせよ、今夜決行するって言ったんだ。もうじきわかる。ザックはどうした?」
「お腹痛いから部屋で寝るってさ」
「はぁ? あいつ最近おかしいぜ。国王派に情報流してる裏切り者ってまさか――」
「おい、来たぜ」
その時、地下倉庫の扉が開き人影が一人入ってきた。
薄暗い倉庫の中で、その影はゆっくり五人の囚人たちに歩み寄る。
ランプの灯りが少しずつ彼の姿を浮かび上がらせていく。
「一人か? 王女はどうしたよ」
「チッ、失敗しやがったか」
囚人たちの空気が失望に染まっていく。
囚人たちの前で立ち止まった彼は、黒髪の平凡な少年だった。
顔は少し俯きがちで、床に伸びる影をその黒い瞳で見つめている。
「まさか怖気づいたんじゃねぇよな」
一人の囚人がナイフを抜き立ち上がった。
「王女はどうした!? おい答えろッ!」
囚人は少年の首にナイフを突きつけて恫喝する。
弱者を怯えさせるその声を聞けば、すぐさま少年は震え上がる――そのはずだった。
しかし少年は、震えず、動じず、ただじっと床の影を見つめていた。
「クララか……」
そして、ぽつりと呟く。
その決して大きくはない声が、周囲に不思議と響いた。
「彼女は来ないよ……」
視線はずっと、床の影を見たままだ。
しかしその口元が、小さく笑みを浮かべていた。
「来ないってどういうことだぁ!? 失敗したのか、怖気づいたのか!?」
少年は俯いたまま答えなかった。
「どうする? 殺すか?」
「怖気づいたんじゃねぇのか? 失敗したんなら怪我ぐらいしてるはずだろ」
「それもそうだ。痛めつけてまた行かせるか」
囚人たちが立ち上がり、少年を取り囲む。
「てめぇ、怖気づきやがったな?」
ナイフを少年の首に突き付けていた囚人が、もう片方の手で少年の髪を掴み俯いていた顔を上げさせた。
黒い、感情の読めない深淵のような瞳がそこにあった。
「なんだぁ、その目は」
囚人は不快そうに顔を歪めて、ナイフを薙いだ。
少年の首に薄く傷が入り、赤い血が一筋垂れていく。
「そのムカつく目を止めろ」
しかし少年はじっと囚人を見据えたままだった。
いや、彼の口元には、もう隠しきれない笑みが浮かび上がっていた。
「何笑ってんだよッ!!」
ナイフの柄で少年の頬を殴る。
だが少年は、それでも笑みを浮かべ囚人を見据えていた。
「てめぇ、自分の立場が分かってんのか?」
もう一度、殴る。
今度はかなり強く殴った。頬骨が折れ、歯が飛んでもおかしくない衝撃だったはずだ。
しかし、少年は微動だにしなかった。
彼は変わらず、笑みを浮かべたまま囚人を見据えていた。
「――ッ」
「おい、手ぇ抜いてんじゃねぇよ」
横から、もう一人の囚人が少年の顔を殴り飛ばした。
「こうやって殺す気でやりゃいいんだよ。舐められたら終わり――なッ!?」
完全な不意打ちで、しかも殺す気で殴ったはずだった。
しかし、少年は何も変わらなかった。倒れず、揺るがず、その顔には傷一つ付いていない。
その感情の読めない瞳が、じっと囚人たちを見据えている。
異様だった。
「――それだけか?」
そして、彼は小さく呟いた。
「――ッ! 舐めんじゃねぇぞ!!」
顔を紅潮させた囚人の拳が、少年の顔を殴打する。
何度も、何度も、息が荒れるまで殴り続け、囚人は嗤った。
「どうだッ、舐めてるからこうなる……え?」
「――それで終わりか?」
少年は笑みを浮かべたまま、そう呟いた。
彼の顔には傷一つ付いていなかった。
「こいつ、おかしいんじゃねぇか」
「チッ、ナイフ貸せ」
ナイフを受け取った囚人が、そのまま少年の脇腹を刺す。
――しかし。
「なッ、どうして――!?」
ナイフは少年の服だけを裂いて停止した。どれだけ力を入れても、彼の肌には刺さらなかった。
「お、おい。どうなってやがる」
「本気で殺れよ!」
「う、うるせぇ! 刺さらねぇんだよ!!」
囚人は何度も何度もナイフを突いた。
しかし、それでもナイフは刺さらなかった。
囚人は息を荒げて後ずさる。その瞳は、信じられないようなものを見るかのように少年を見ていた。
「こ、こいつ普通じゃ――」
「――もう終わりだな?」
次の瞬間、少年の拳が動いた。
いや、動く瞬間は目視できなかった。それほどの速さで、彼の拳は動いたのだ。
目視できたのは、結果だけだった。
少年の拳が、囚人の胸を貫き穴を開けたのだ。
「ぁ……あひュッ……」
ドサッ、と。
囚人の躯が崩れ落ち、床に大量の血が広がっていく。
「な!?」
「う、嘘だろ……」
「こ、拳で穴を開けやがった……」
「ひッ……」
ピチャ、ピチャ、と。
血だまりの上を少年は歩く。
「――これで終わりか?」
そして、笑みを浮かべたまま囚人を見据えてそう言った。
囚人たちの顔が強張る。
「くッ……よ、四人がかりでいくぞ!!」
「な、舐めんじゃねぇぞ!!」
「こ、殺せ! 殺せぇぇぇぇぇえええええええ!!」
「ひ、ひッ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃいいいいい!!」
四人の人影が少年に殺到し、ランプの灯りが揺らいだ。
――影が踊る。
ランプの揺らぎが戻ると、そこには胸に穴の開いた五体の躯が転がっていた。
「――もう終わりだな?」
その声に応える者は、もう誰もいなかった。
ピチャ、ピチャ、と少年は血だまりの上を歩き去った。