【書籍発売記念閑話】彼の名は影野ミノル【シドの前世】
書籍発売記念に前世の主人公の閑話を書きました!
リクエストも多くいただきましたし、こういう機会じゃないと書けない話ですので楽しんでいただければ幸いです。
頑張って書きましたので、書籍の方もぜひよろしくお願いします!
桜坂高校の二年、西野アカネには嫌いなクラスメイトがいる。
その生徒は黒髪黒目の平凡な顔立ちだが、いつも眠たげな瞳で目の下にクマがある。
彼の名前は影野ミノル。彼こそがアカネの嫌いなクラスメイトであり、最悪なことに彼とは隣の席だ。
影野ミノルはその名前の通り普段から陰の薄い生徒だった。
成績は中の下、運動も中の下、部活には入っておらず、友人も少ないが話をする程度の知り合いはいる。
彼はどこにでもいる、ごくごく平凡な目立たない生徒だった。
最初はアカネも彼のことが嫌いではなかった。もちろん好きでもなかったが、ごく普通のクラスメイトとして接してきたつもりだ。
だが、しばらく彼と接しているうちに、どうしても許せないことができたのだ。
それが朝の挨拶だった。
影野ミノルと西野アカネは毎朝、校門が閉まるギリギリの時間に登校する。
いつもほぼ同時に校門を通り、そこで挨拶をするわけだ。
「おはよう、影野くん」
アカネは今日も校門で出会った嫌いな影野に挨拶をした。
「おはよう、西村さん」
影野もいつものように平坦な声でそう返す。
西村じゃねぇ、西野じゃ!!
とアカネは心の中で叫んで、表面上は微笑みながら下駄箱に向かった。
彼と同じクラスになって三カ月、これが毎朝続いているのだ。
最初の一カ月はいつか気づくだろうと何も言わなかったが、GWが過ぎても名前を間違え続けられたアカネはようやく訂正した。
その時の会話は今でも思い出せる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あの、影野くん。私の名前、西村じゃないんだけど」
「え?」
影野は目をパチパチ瞬いて、アカネの顔を不思議なものでも見るかのように観察した。
「あれ、西村じゃなかった?」
「うん、私の名前は――」
「あ、待って。思い出した。君は一応ネームドキャラクターだったね」
「ネームドキャラクター?」
聞きなれない単語にアカネは首を傾げた。
「あ、こっちの話。僕は重要人物の名前はしっかり覚えているんだ。でもうっかり間違えてしまうことがある」
「いいよ、誰にも間違いはあるから」
素直に頭を下げる影野に、アカネも微笑んだ。
しかし次の一言で凍りつく。
「ごめんね、西谷さん」
その瞬間、アカネはこのふざけた男の顔面に右ストレートを叩き込みたい衝動にかられてギュッと拳を握り締めた。
「……西野よ」
「……え?」
「私の名前は西野」
気まずい沈黙の中、二人は見つめ合った。
そしてアカネは踵を返して下駄箱に向かい、その日は影野と一言もしゃべらなかった。
――翌日の朝。
いつものように校門で二人は出くわした。
一晩経ってアカネの怒りも少し冷めていた。そもそも影野に悪気があったわけではないし、たかが名前を間違えただけで怒りすぎたかもしれない。
だからその日も、アカネから最初に挨拶をしたのだ。
「おはよう、影野くん」
「おはよう、西村さん」
西村じゃねぇ、西野じゃ!! 元に戻ってんじゃねぇか!!
と叫びそうになったアカネは、鉄壁の微笑みで抑え込んだ。
アカネが何より許せなかったのは、影野がまるで昨日のことが何もなかったかのように普段通りだったことだ。
彼はいつものようにアカネを西村と呼び、そしていつものようにアカネの事を見ていなかった。
挨拶をする時、話をする時、彼の視線はちゃんとアカネを見ているはずなのに、いつもどこか違う場所を見ているような遠い目をしている。
それが嫌だった。
アカネが本当に嫌だったのは名前を間違えられることじゃない。
彼の視線がアカネを見ていないことだったのだ。
それに気づいたとき、アカネは影野のことが完全に嫌いになった。
以降、アカネは影野と極力かかわらないようにした。
毎朝顔を合わせると挨拶を交わすが、それだけ。いくら名前を間違えられても訂正すらしない。
席は隣だが会話はほとんどない。授業でどうしても話さなければならない時だけ必要最低限の会話を交わす。
本当は完全無視したかったのだが、アカネの事情もあって目立つことは避けたかった。
西野アカネという女子生徒は目立つ。
アカネは黒髪が美しい清楚な美少女で、その容姿から男女問わず注目を集めていた。
しかも彼女は現役の女子高生でありながら女優として活躍している。
当然クラスメイトもアカネが女優をしていることを知っている。アカネと影野の仲が悪いことが知られれば、ありもしない噂が広まってしまうかもしれない。それは避けたかった。
アカネは幼い頃から子役として活躍していた。しかし中学に入ったころにスキャンダルで一時期活動を停止していた過去がある。
あの事件があってから、アカネは仮面を被るようになった。
教師に嫌われないように優等生であり、生徒に嫌われないように人気者になり、誰からも恨まれないように立ち回ってきた。
だから、嫌いな影野にも嫌われないように、そして周りに悟られないように、彼女は自分を押し殺した。
そうやって、彼女は今日まで生きてきたのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして、今日も今日とて名前を間違えた影野にアカネは何も言わなかった。
そのまま影野とは一言もしゃべらずに、アカネはその日の授業を終えた。
アカネは部活に入っていない。普段なら授業が終わればすぐに帰るアカネだったが、その日は補習があった。アカネは仕事で授業に出られない日も多く、補習を受けることで出席日数を稼がなければならないのだ。
その日は他にも色々あって、アカネが学校を出ると日が沈み暗くなっていた。
「スマホの電池切れちゃった……」
校門を出て溜息を吐く。
いつもなら電話で運転手を呼んでいるアカネだったが、あいにくスマホの電池が切れていた。
アカネの家までは徒歩で30分。歩けない距離ではない。
陽が落ちた初夏の気温は案外心地よく、アカネは歩いて帰ることにした。
考えてみれば、学校から歩いて帰るのは久しぶりだ。小学校の頃に集団下校をしていた頃が最後だろう。
中学からは家の方針で運転手付きの車で毎日送り迎えをしてもらっている。
だから、久しぶりに自分の脚で歩く下校がどこか楽しくて、暗い夜道でも彼女に不安はなかった。
しかし、そのせいで警戒心すら忘れていた。
突然、彼女の横に黒塗りのワゴン車が停車し、大柄な男が降りてきた。それに気づくのが遅れたのだ。
「――ぇ?」
彼女が気付いたときには、男の太い腕が彼女の首に巻き付いていた。
「ぁ……」
ギリギリと締め上げられ、ほんの数秒で彼女の意識が薄れていく。
彼女が最後に見たのは、こちらに駆け寄ってくる見覚えのあるクラスメイトの姿だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ぅぅ」
アカネが目を覚ますと、そこは薄暗い倉庫だった。
両手足は縛られて、口には猿轡を噛まされていた。
まだ意識がはっきりとしない。確か黒塗りの車から降りてきた男に首を絞められて……最後に、誰かの姿を見た気がする。
「ぅぅ! ぅぅう!!」
助けを呼ぼうと呻くが、猿轡のせいで言葉にならず大きな声も出せない。
「おっと。気がついたか」
その時、背後からしゃがれた男の声が聞こえて、アカネの動きが止まった。
「大人しくしていろよ。痛い目にあいたくなければな」
その男は、身長190センチはありそうな大男だった。しかも、ただ大きいだけでなく全身に分厚い筋肉がついていることが服の上からでも分かる。
そして彼の後ろにもう一人男がいた。アカネを攫った共犯者だろう。
「お嬢ちゃんの実家に脅迫状を送った。金さえ払えば、五体満足のまま返してやるよ」
大男は凶悪な笑みを浮かべた。
「いけねぇなぁ。西野財閥のお嬢様が一人で夜道を歩くなんて。悪い男に捕まっちまうだろぉ」
ヒヒッと嘲るように言って、男は倒れたままのアカネに歩み寄る。
「ぅぅぅう!」
来ないで!
そう叫んでも、言葉にはならない。
アカネは地を這うように大男から遠ざかろうとする。
「おっと。無駄だぜお嬢ちゃん」
アカネの細い脚を男が掴み、力任せに引き寄せた。
そしてアカネの顎を持ち上げて整った顔を間近で観察する。
「女優やってるだけあって綺麗な顔してるじゃねぇか」
「ぅぅ! ぅぅうぅ!!」
首を振り抵抗するアカネ。
「抵抗するんじゃねぇ!」
その頬を、男が平手で叩いた。
「――ッ!!」
「抵抗するなよぉ、大人しくしてろぉ」
アカネの口内に血の味が広がっていく。目尻に溜まった涙が零れ落ちた。
ハァ、ハァ、と荒い息を吐きながら大男の手がアカネの顎から首へ、首から肩へと下りていく。
「こんな綺麗なお嬢ちゃんが、不用心だなぁ。そういえばお嬢ちゃん、前にも誘拐されたことがあったらしいじゃねぇか」
ビクッと。
アカネの動きが止まった。
「確かお嬢ちゃんが中学に上がったころだったか。その時はストーカーの仕業だったらしいなぁ」
忘れようとしていた記憶がアカネの脳裏に蘇る。
ガクガクと、アカネの身体が震え出した。
「ストーカーの気持ちもわからんでもないなぁ。そんなに怯えてどうした、お嬢ちゃん?」
「……ぅぅ! ぅぅうぅぅぅうぅうぅぅ!!」
「無駄だ、誰も来ねぇよ」
身を捩って最後の抵抗を試みるアカネを大男の太い腕が押さえつける。
――助けてッ!
そう叫んだ、その瞬間。
ガシャン、と。倉庫にガラスの割れる音が響き渡った。
「誰だッ!!」
振り返ると、倉庫の窓が割れていた。
月明かりが差し込み、割れたガラスの上に立つ一人の男を照らし出す。
彼は黒いスウェットの上下を着て、黒いワークブーツを履き、そして顔には黒い目出し帽をかぶっていた。
全身黒ずくめの不審人物。一見すると誘拐犯の仲間にしか見えない。
コツ、コツ、コツ、と。
彼はブーツを鳴らしながらゆっくりと歩み寄る。
「誰だてめぇ!!」
大男が叫ぶ。
「俺か――? 俺はただの……スタイリッシュ暴漢スレイヤーさ」
彼は歩みを止めて、目出し帽の位置を調整した。
「ふざけんじゃねぇ! やれ!」
大男が叫んだと同時に、背後から忍び寄った共犯の男が目出し帽の男にバットを振り下ろした。
完全な不意打ち――しかし、彼は背後に目が付いているかのようにそれを躱した。
「――なッ!?」
「月の光で影ができていた――素人だな」
そう言って、彼は振り向きざまに拳を叩きこむ。 黒い衣装と暗い室内のせいもあって、その拳はほとんど見えなかった。
鈍い音が響き、共犯の男は膝から崩れ落ちる。そして、彼はピクリとも動かなくなった。
「顎を正確に打ち抜いたか。てめぇ……経験者だな」
大男がアカネから手を放し立ち上がる。コキコキと首を鳴らし、目出し帽の男を睨んだ。
「だが、残念だったな。俺は元軍人でねぇ」
大男はナイフを抜いて構える。その動きは洗練されていた。
「元軍人か……なるほど、ちょうどいい。軍人とは一度戦ってみたかった」
そう言って、目出し帽の男は腰を落として構えた。その構えも様になっている。
二人の男が薄闇の中で睨み合った。
じりじりと間合いが縮まり、そして――。
「死ねッ!」
大男が踏み込みナイフを振るう。
元軍人というだけあって、その動きは巨体に似合わず俊敏でコンパクトだった。
喉元を狙ったナイフを、目出し帽の男は右腕で防ごうとする。
そして、キンッと。甲高い音が鳴った。
「何!?」
目出し帽の男はその右腕でナイフを受け止めていたのだ。
いや、よく見ると彼は右腕に何かを構えている。
彼が構えているのは黒い……バールだった。
バールをまるでトンファーのように構えているのだ。
「バ、バールだとッ!?」
「バールはいいぞ。頑丈で壊れない。持ち運びもしやすいし、職質されてもバールなら言い訳できるかもしれない。そして何より――トンファーのように使うことができる」
「何!?」
次の瞬間、目出し帽の男は腕を返した。
バールがまるでトンファーのような弧を描き、大男の腕を打つ。
ナイフが男の腕を離れ飛んでいった。
「クソがッ」
大男が拳を構える。
目出し帽の男のバールが大男に迫り、大男は拳でそれを迎え撃つ。
バールが分厚い筋肉を殴り、拳が目出し帽を掠めていく。
二人は月明かりの差し込む倉庫でせめぎ合った。
しかし、徐々に目出し帽の男が押されていく。彼は体重の乗った重たい拳を防ぐ度、一歩、また一歩と後退する。
「ふん。ちょうどいいハンデだな」
しばらく殴り合い、大男が言った。
「確かにてめぇは強い。それも実戦慣れしてやがる。だがな、一つ大きな弱点がある。てめぇの身長はせいぜい170ってとこか。体重も60そこそこだろう。だが俺は194の115だ。フィジカルが根本的に違うのさ。例えバールを持っていても、俺は頭さえ守っていればいい。だが、てめぇは違う。俺の攻撃を一発でも喰らえば終わりだ。それが体重差ってやつだ」
得意げに語る大男を、目出し帽の男は静かに見返した。
「道理だな。今の俺では元軍人一人に手こずる。これが現実だ……だったら、本気を出すとするか」
目出し帽の男の構えが変化する。
「――なんだと」
「俺はバールに可能性を見出した。まるでトンファーのような形状と、その重量、頑丈さ、携帯性、全てにおいてポテンシャルが高かった。そして夜な夜な騒音を撒き散らす暴走族を殴り続け、一つの結論に辿り着いたのだ……」
「――なッ! まさかてめぇが暴走族にバール一本で殴り込む目出し帽のバーサーカー!?」
彼のせいで付近の暴走族がヘルメットを被るようになったのは有名な話だった。ヘルメットを被っていればいつ殴られても大丈夫なのだ。
「俺がバールで暴走族を殴り続けて辿り着いた結論はな……バールはトンファーとして使うより、普通に殴った方が強いってことだッ!!」
そして、目出し帽の男はそのバールを大男の顔面に振り下ろした。
それは大振りだが速い、ただ単純な殴打。
大男は咄嗟に腕で頭を守るが――鈍い音が響いた。
「グッ、う、腕が……」
大男が殴られた左腕を抱えて呻く。
「折れたろ? これがバールのポテンシャル、このL字の角で殴るのがコツだ。衝撃が集約されるからな」
そして殴る。
「ガッ! ま、待て……」
殴る、殴る。
「や、止めろ、待って……」
殴る、殴る、殴る。
「グヴェッ……ウゴッ……」
殴る、殴る、殴る、殴る!
倉庫内に鈍い音が何度も響き渡る。
その姿はまさに暴力こそパワー。
目出し帽の男はバールでひたすら殴り続け、いつしか大男は動かなくなった。
ポタ、ポタ、と。バールから血が滴り落ちた。
「駄目だ……元軍人にこの程度じゃたどり着けない……もっと力を……」
彼は窓の外に浮かぶ月を見上げて、
「I need more power……」
と切なげに呟いた。
その姿はまるで、どうしても届かない月に手を伸ばしているかのようだった。
現実に抗うかのように彼は頭を振って振り返る。
そして、大男が落としたナイフを拾いアカネに近づいてきた。
「ぅぅぅう!」
身の危険を感じたアカネが逃げようとするも逃げられるはずもなく、ナイフが無慈悲に振り落ろされた。
「ぅう?」
ナイフは、アカネの手足の拘束を切り裂いていた。
自由になったアカネは、目出し帽を被りバールを持った黒ずくめの不審人物を見上げた。
彼はアカネを見下ろしながら、
「今度は帰り道に気をつけなよ」
そう言い残して、立ち去っていった。
呆然と彼の後姿を見送ったアカネは、しばらくしてようやく彼が自分を助けてくれたことに気づいた。
「スタイリッシュ暴漢スレイヤー……彼はいったい……」
静かな倉庫に、アカネの呟きが響いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次の日、アカネは両親に心配されながらも普段通りに登校した。
昨日のことを思い出すと今でも怖いが、同時にスタイリッシュ暴漢スレイヤーの事を考えるとなぜか笑いがこみ上げてくる。
「ふふっ……スタイリッシュ暴漢スレイヤーはない」
そして校門を抜けると、今日も嫌いなクラスメイトに出会った。
「おはよう、影野くん」
「おはよう、西野さん」
「――え?」
驚いて、アカネは思わず立ち止まった。
影野はアカネを置いて下駄箱へ歩いていく。
あの影野が、アカネの名前を間違えなかった。そして、その視線はアカネの事を見ていたような気がした。
「あの声……まさかね」
アカネは微笑んで、影野の背を追いかける。
「待って! 影野くん!」
少しだけ、彼と話してみようと思った。
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