両目を奪った者
時は少し遡る――。
陽が沈み出す頃、王都に雪が降り始めた。世界が茜に染まり、そして陰に塗り潰されていくにつれて、雪の勢いは増していく。
そんな王都の街並みを遠くに眺めながら、平原に佇む白銀の妖狐が一人。
彼女は真っ白な息を吐き、どこか悲しそうな瞳で何かを待っていた。
陽が完全に沈んでしばらくすると、そんな彼女の背後に人影が近づいていく。
「王都に現れた白銀の妖狐――やはり貴様だったか、ユキメ……!」
積もり始めた雪が全ての音を吸いつくしてしまったようなとても静かな夜に、その怨嗟に満ちた声はよく響いた。
ユキメが振り返ると、そこには両目を失くした漆黒の毛並みの獣人がいた。
「月丹……わっちはずっと、この日が来るのを待っていんした。でも、いざこの日が来ると、どうしてこなにも悲しいのでありんしょう……」
「全て、貴様の仕業か……! 俺から全てを奪うつもりかッ!!」
「……はい」
どこか平坦なユキメの顔とは対照的に、月丹の顔は醜く歪んでいく。
「もうじき俺は全てを手に入れるはずだった……何物にも奪われない力をッ……! それをお前が阻むのか!!」
「もうお終いでありんす、諦めなんし……」
「いや――まだだ。貴様が奪った金さえあれば、まだ立て直せるッ!!」
「月丹……」
「さぁ話せ、どこに隠した!!」
月丹が刀を抜く。それは、身の丈に迫るほど長い刀だった。
「さて、どこにありんしょう……」
「力ずくで聞きだしてやる」
ユキメが鉄扇を抜いた。
「もう以前のわっちとは違いんす」
夜の大地に真っ白な雪が降り積もる。
空には白い月と沢山の星々が輝く。
そんな白と黒の美しい夜の下、鉄扇と刀が交差した。
白い雪が巻き上がり、血飛沫が舞った。
降り積もった白い雪のキャンバスを、その赤い血は鮮やかに染めた。
「バ……バカなッ……!」
跪いたのは月丹だった。彼はユキメを睨み、その瞬間何かに気づいた。
「その魔力は……まさかあの時の……!?」
いつの間にかユキメの姿が変化していた。
九本の白銀の尾がさらに太く長くなり、澄んだ水のような瞳は血のような赤に染まっていた。
そして、彼女が纏う濃密な魔力は、視覚を失った月丹でも気づくことができた。
「これが妖狐族の真の姿……もう主に勝ち目はありんせん」
「それが、伝説の妖狐の力……あの日、俺の両目を奪った力かッ!!」
「わっちが両目を奪った……?」
「ククッ……まさか覚えていないとはな……俺の両目を奪っておきながらッ! それほどの力があれば、その力が俺にあれば奪われずに済んだというのにッ――!!」
憎悪に満ちた月丹の顔を見て、ユキメは悲しそうに微笑んだ。
「月丹……なぜ主は変わってしまいんした。昔の主はそうではなかった……」
「黙れッ!! 貴様が俺を憐れむなッ」
「もう、お終いでありんす」
ピタリと、ユキメは月丹の首筋に鉄扇を突き付けた。
その冷たい感触に月丹の表情が凍った。
「ユキメッ――!」
ユキメは鉄扇を突き付けたまま、じっと月丹を見下ろしていた。
その顔は、遠い昔を思い出しているようだった。
時が止まったかのように、二人は微動だにしなかった。
雪だけが、二人の間に降り積もっていく。
そして、彼女は鉄扇を下ろした。九本の尾と瞳の色も元に戻っていた。
「何のつもりだ……」
「わっちの復讐はこれでお終いでありんす」
「終わり……だと」
「何が主を変えてしまったのか、わっちにはわかりんせん。でも、主が罪を犯したとしても、過去にわっちの村とわっちの命を救ったのも事実……。罪が善行を上書きすることはなく、善行が罪を上書きすることもない。わっちは、まだ主の中に、あの日わっちを救った主がいると信じたい……」
ユキメは背を向けて白い雪の上を歩いていく。
「だから……さようなら、月丹……」
月丹はその潰れた両目でユキメの後姿を睨んだ。
「ふざ……けるなよッ……」
彼の怨嗟は、立ち去るユキメには届かなかった。
彼は赤い錠剤を飲み込む。傷口が急速に癒え、そして――。
「……ぁ」
雪の上に血の花が咲いた。
「どこまで、俺を愚弄するつもりだッ……」
「月……丹……」
刀に貫かれたユキメが、雪の上に倒れた。