ユキメと月丹
ユキメたちはどちらの大部族に味方するか選択を迫られた。
味方した大部族からは徴兵を強制され、敵対した大部族からは報復が待っている、正解のない選択だ。妖狐族と大狼族は部族間で話し合いを進め、そして一つの答えを出した。
どちらにも味方せず、どちらにも敵対しない。
ギリギリまで時間をかけて出した答えはなんとも日和見主義で、そして戦乱という非情な時代を全く理解していない愚かな選択だった。
大狼族には力があった。
妖狐族には知恵があった。
二つの部族が手を取り合えば、この戦乱を乗り越えられると思っていたのだ。
だが現実は甘くなかった。
妖狐族と大狼族の村は、たった一夜にして滅ぼされたのだ。
村は血で染まり、焼き尽くされた。
大狼族最強の戦士であった月丹は奮戦したが、彼にできたのはたった一人の婚約者を連れて逃げのびることだけだった。
朝日が昇り、二人は黒く焼きつくされた村を呆然と見下ろした。
「俺に、もっと力があれば……」
「あなたはよく戦ったわ」
傷つきうなだれる月丹にユキメが寄り添う。
「力さえあれば、奪われなかったッ!」
「違う、あなたのせいじゃない」
「五月蠅い黙れッ!」
月丹の怒声に、ユキメは狐耳を伏せて震えた。
「……すまない」
「いいの……」
そして月丹は顔を伏せて語った。
「俺が皆に提案したのだ。この力があれば、どちらにも味方することなく戦乱を乗り越えられると……」
「この力……?」
「これだ」
そう言って月丹が取り出したのは、血のように赤い錠剤だった。
「力の源だ。これを飲めば凄まじい力を得ることができたのだ。だが、皆はそれを拒んだ。錠剤に頼らず、手を取り合って戦乱を乗り越えようと……。愚か者め、さっさと殺しておくべきだった……」
クツクツと嗤う月丹から、ユキメは一歩後ずさる。
「月丹……?」
「なぁユキメ。お前の母を殺したのは俺だ」
「な……何を、言っているの?」
ユキメの母は大部族に攻め込まれてすぐ姿が見えなくなっていた。どこかで生きていると、ユキメは願っていた。
「あの女が反対したせいで、俺の計画は破綻した。錠剤を受け入れて、教団に庇護されれば生き抜けたのだ」
「教団……? ねぇ月丹、私バカだから、あなたの言っていることが分からないの……。冗談なんでしょう?」
「冗談なものか。俺が後ろから首を撥ねてやったのだ! あの女さえいなければッ――!」
「月丹、嘘よね……?」
ユキメはまた一歩、後退る。
「戦乱からお前と村を守るには、こうするしかなかった」
「い、いや、来ないで……」
「何故拒む? さぁ、復讐を始めよう」
そう言って、月丹は赤い錠剤をユキメに差し出す。
「お前もこれを飲むんだ。奪われないためには、奪うしかない。力を手に入れて、俺たちから奪った連中を殺戮しろッ! 奪い続けなければ、奪われるのだッ!」
「いや、来ないでッ!!」
ユキメはついに背を向けて逃げ出す。
「お前も俺を拒絶するのかッ!!」
ユキメの背に、衝撃が走った。
そして、彼女はうつ伏せに倒れる。その背は剣で斬られて、血が溢れ出していた。
「力を拒むな」
「な、なんで、月丹……」
「復讐を恐れるな。奪わなければ、奪われる」
「い、いや……やめてよぉ……」
「まだ拒むかッ!」
這って逃げるユキメの背に、月丹は何度も剣を振り下ろした。
一つ一つの傷は深くはないが、ユキメの背は無残に裂かれる。
月丹はその背を踏みにじり、痛みに喘ぐユキメの耳元で囁く。
「さぁ、ユキメ。これを飲め、一緒に復讐しよう」
「……ぃや」
その否定の言葉は、痛みに意識が朦朧としたユキメの最後の抵抗だった。
そして、ユキメは意識を失った。
次に彼女が目を覚ますと夜だった。
背中の傷は痛んだが、血は止まっていた。
月丹の姿が見当たらない。しかし、ユキメの服になぜか月丹の血が大量に付いていた。意識を失う前にはなかったものだ。自分の血でないことは臭いで分かる。
ユキメは痛みに顔を顰めながら立ち上がる。そして、母の死体を探しに村へ降りた。
首を斬られた母の遺体はすぐに見つかった。
母の死に顔は驚愕に目を見開いていた。
大好きだったモフモフの三本尻尾は焼け焦げていた。
「母上ッ……!」
母は殺された。
友人も、隣人も、殺しつくされた。
村は焼き払われた。
金は奪われた。
そして、最愛の婚約者は仇敵となった。
「ぅ……ぅう……」
彼女は涙を流しながら、愛する母と、故郷の最期をその目に焼き付けた。
そして唇を噛み締める。
全てを奪われた彼女に残ったのは、仇敵の存在だけだった。
しかし、金も、力も、身寄りもない14歳の少女は生きていくことすら困難だった。ユキメは戦場で娼婦として生き延び、各地を転々とした。
そして17歳で高級娼館に身を売り、そこで頂点に立った。
富を手に入れた彼女が、次に求めたのは力だった。
かつて全てを奪われた彼女は、仇敵の全てを奪うことを決めたのだ――。
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全てを語り終えたユキメは、優しい目をしていた。
「わっちは復讐のためだけに生きてきんした。ジョンはんも薄々気づいているでありんしょう。わっちが、商会にもお金にも興味がないことに。わっちの目的は、月丹の全てを奪うことでありんす。富も、権力も、そして命も……奴が築き上げたもの全てを奪うこと。そのために、商会の力とそしてジョンはんの力が必要でありんした……。騙すことになってしまいんしたが、どうかおゆるしなんし」
「ふむ……」
「こうして復讐する機会が訪れて、ようやく復讐した後のことを考えるようになりんした。ジョンはんともっと仲良うなるのもよさそうでありんすね」
そして、ユキメは悪戯っぽく笑う。
「さて、そろそろ月丹と決着をつけてきんす。どうかわっちを信じて、待っていてくんなまし」
ユキメは微笑んで、立ち上がる。
「健闘を祈る。俺もそろそろ出よう」
「では、出口まで一緒に……」
ジョン・スミスとユキメは二人で部屋を後にした。