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「魔王様! お久しゅうございます!」
魔王城本丸に入って最初に出会った女性は、そう言うなり魔王に抱きつき熱烈なキスを交わした。
おいラグ。なんだその女。
「久しいな、グレース。息災であったか」
「はい。それはもう。ただ魔王様がいらっしゃらなくて寂しゅうございました」
「む、済まなんだな」
「ところで……」
と、そこで、グレースと呼ばれた女はようやくわたしの方へと目を向けた。最初から気付いてたくせに今気付きましたみたいな演技はやめろ。
「そちらのお方は…また新しく娶られるのですか?」
む? 娶る? なんだか不穏な単語が聞こえた。むむ? 考えてみればラグは魔王。そして彼は人間との戦争を終え帰還直後。それに付き従う(ように見える)わたし。わたしはさっぱり違いが分からないが、彼女には一目でわたしが人間であることが分かったのだろう。つまりひょっとして、わたしってば戦利品扱い? 付け上がった人間どもをしばきたおして、目についたから攫ってきました、みたいな? ……お持ち帰りされたの、わたし?
「師匠、こやつはグレース。我の十二番目の妻でございます。グレース、このお方は浅井藤花殿。我の師匠になられたお方だ」
「まあ…魔王様のお師匠様?」
ぽかん、とわたしを見るグレースさん。そりゃそうだろう。誰だってこんな小娘を魔王の師匠と紹介されればこんな目をするに決まっている。
「どうも。浅井藤花です。なんか、そういうことらしいです」
ここは若年のわたしから挨拶をしておく。面倒だし好きではないが、これも世渡りだ。暫く魔王城にやっかいになると決めた以上、必要経費と割り切るしかない。
「ま、まあまあ! これは魔王様のお師匠様にとんだご無礼を。第十二婦人のグレースと申します。お見知りおき下さい」
そう言って優雅に礼をとるグレースさん。おお、決まってる。わたしにはこんな優雅な仕草はとても無理だ。
「よろしく、お願いします」
真似したところでボロが出るだけなので、普通に頭を下げておく。失礼にならなきゃいいけど。
「おお! そうだ、グレースよ。済まないがあとで我の部屋へ菓子を届けてはくれまいか」
「お菓子、ですか。珍しいですね。魔王様がお菓子をご所望なさるなんて」
「いや、我ではなく師匠がな」
「なるほど。そういうことでしたか。――承知いたしました。後ほど、腕によりをかけた品をお持ちいたします。では魔王様、藤花様、この場はこれにて」
楚々とした仕草で笑い去って行くグレースさん。ひとつひとつの仕草が実に様になっている。見習いたいけどわたしには無理だろうな。
その後ラグの私室に着くまでに五人の女性を紹介され(全員ラグの妻だった)、なれない対人作業にぐったりと疲れ果てたわたしは畳の上に寝転がった。い草の匂いが鼻腔をくすぐる。なんだろう、目の前にラグがいなければ日本にいるのと勘違いしそうだ。
「ラグ」
「なんでしょう?」
「ほんとは日本の出身?」
「む。ニホンというのは師匠の住んでいた国の名ですかな?」
「そう」
「ほほう。……しかし我は生まれも育ちもこの魔の国です」
「……そう」
じゃあなんでこの国はこんなにも日本の文化と同じなのだろう。米があり、味噌があり、醤油がある。この部屋にしたところでどう見ても和室だし、建物の外見だって日本の城だ。誰か、わたし以外の日本人が前にもこの世界に来のかな? そして文化を伝えた。そう考えるのが一番しっくりくる。だとしたらありがたいことだ。おかげでわたしはこうして畳の上で寝転がることが出来る。反面、せっかくの異世界感は台無しなんだけど。まあその辺は割り切るしかないか。
「さて、ラグ」
ひとしきりごろごろして畳を堪能したあと、わたしはラグを呼ぶ。
「は」
「ダンジョン、どうやって拡張するか目処はついた?」
そう、城の防衛改善の話だ。さっきの侵攻は魔王の乱入もあり上手いこと防げたようだが、毎度毎度上手くいくとは限らない。そして一度でも負ければそれで終わりなのだから。
「それは〈ダンジョン創造〉の魔法を使います」
なんと。そんな便利な魔法があるのか。
「そう。じゃあ任せる」
「ははっ」
勢いよく頷くラグ。が、続くわたしの言葉に顔色を変えた。
「まずは百階層まで造って」
「――は? 百階層まで、ですか?」
「うん」
取り敢えずそれくらいあればそう簡単には踏破されないだろう。一階層あたりの面積がどの程度になるかは分からないが、百階層もあれば距離そのものが武器として使用できる。武器、薬草、水、食料他、階層が深ければ深いほど用意すべきものは増えるのだから。
「師匠、〈ダンジョン創造〉なのですが、大量の魔力を消費しますので一日に一階層増やすのが限度なのです。ですので、申し訳ありませんが百階層ともなるとそう簡単には……」
「むう……」
一日一階層か。それでは最低限の物を作り上げるのにさえだいぶ時間がかかってしまう。でもまあ、こればっかりはしょうがないか。今までだってなんとかなっていたのだし、そうそう状況が悪化するとは思えない。
「わかった。じゃあそれで」
「それと、言いにくいのですが……」
言葉通りに口ごもるラグ。
「なに?」
「ええと…ですな……」
なおも言いよどむラグを再度促しようやく口を割らせることに成功する。
曰く、〈ダンジョン創造〉で出来るのは階層を増やすことと、増やした階層を整備することの二通りらしい。で、その階層整備にもやっぱりけっこうな量の魔力が必要で、これも一日一階層を整えるのが限界らしい。要するに便利な反面燃費が悪いということだ。
「申し訳ありませぬ」
しゅん、としおれるラグ。だから男がそんなポーズしたって見苦しいだけだって。まあともあれだ、出来ないものは仕方がない。時間はかかるがこつこつと進めていくしかないだろう。そもそも魔法を使えないわたしに文句を垂れる資格はないのだし。
「気にしなくていい。じゃあまずは、空堀の改造から始めて」
「空堀の改造ですか?」
「そう。もっと幅を広く深くして、水で満たして」
「拡張はともかく、何故水で満たす必要があるのです?」
「…………」
おい、本気で言ってるのか最高責任者。
「師匠?」
「ほんとに、わからない?」
「恥ずかしながら」
「はあ、ラグはほんとにお莫迦の子」
「ぐっ…………」
あ、泣きそうになってる。案外この魔王は討たれ弱いのかもしれない。
「空堀より水堀の方が越え辛いでしょ。しかも水の中に無味無臭の毒を流しておけばより完璧」
「なんと!! さすがは師匠、ご慧眼、恐れ入りました!」
驚愕し平伏する魔王にわたしは呆れて呟いた。
「お莫迦」
あ、そうそう。この後グレースが持ってきてくれたお菓子は大変美味しゅうございました。