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人間領、上空。初めて体験するドラゴン飛行は、すこぶる快適だった。向かい風で大変なことになるのではと危惧していたが、そよ風一つ感じない。魔王曰く、レグナートの魔法のおかげだそうだ。相変わらずすごいな、魔法。
「魔王」
「なんでしょう、師匠」
そしてわたしは、結構前から気になっていたことを聞いてみる。
「どうして人間と争ってたの?」
「む、戦争の理由ですか?」
「そう」
「ふうむ、そうですな」
顎を掻く魔王。
「そもそもの切っ掛けとなった出来事は、我も知らぬのです」
「なんで?」
あんたこの国の最高責任者でしょうが。
「ある日人間から嫌がらせを受けた、という報告が我の元へと届き、その報告は日を追うごとに増えていきました」
遠い目をして語る魔王。
「そしてそれは次第に激化し、ついには刃傷沙汰が伴いはじめ、果てには村同士の争いにまで発展していきました。こうなってはさすがに我も看過できません。人の王に親書を送り、手を引くよう求めたのです」
なんだか先の展開が見えてきた。
「ですが、人の王はそのようなことは知らぬ存ぜぬの一点張り。仕舞には我ら魔族の側から仕掛けたものだろうと言い出す始末」
うん、あの愚王ならそれぐらいの厚顔無恥は平気でやるだろうね。
「結局話し合いは平行線をたどった末に決裂し、ついには武力衝突へと相成った次第であります」
なるほど。まったくあの愚王め、とんでもないな。
「魔王の話を疑うわけじゃないんだけど」
そこでわたしは一度言葉を切る。疑うわけじゃないとは言っても、この質問は疑ってますと言ってるようなものだ。
「師匠。遠慮なさらずなんでもお聞き下され」
そんなわたしの心中を知ってか知らずか、魔王は快活に笑う。その笑みを見て、わたしも心を決める。
「魔族の側から仕掛けたわけじゃないって証拠はあるの?」
「ふうむ。人の王も同じことを言いましたな。証拠はあるのか、と」
「あんなのと一緒にしないで」
「失敬。残念ながら、具体的な証拠はありませぬ」
まあ、そうだろうね。やったやらないってのはいつだって水掛け論だ。
「だろうね」
「ええ。ですが、我らには戦を仕掛けるメリットがないのです」
「なんで?」
魔王は三本指を立てる。
「一つ。我らには喰って行くには十分すぎる肥沃な大地と蓄えがあります。二つ。誤解されがちですが、我ら魔族は基本的に争いを好まぬ種族なのです。そして三つ。これが最大の理由ですが、我らは人間と比べて長寿な反面、出生率が極端に低いのです。戦争で一人若者を失えば、次代を担う赤子がさらに減る。これを繰り返せば待つのは種としての終焉です」
一本一本、指折り数えて解説する魔王。
なるほどね。食うに困らず争いを好まず戦争にはデメリットしかない。こりゃ魔族側から仕掛けるわけがないか。魔王が一人で人間の王宮に乗り込んできたのは、少しでも魔族の犠牲者を減らす為だったのか。お莫迦呼ばわりして申し訳ない。あの愚王より、よっぽど王様らしいじゃないか。
「ご納得いただけましたかな」
「うん」
「ですが、人の王にはどうしてもこの理屈が理解されない。何故でしょう?」
心底不思議そうに問う魔王。何故って? そんなの決まってる。
「愚王が、愚王だから」
ついでに言うなら欲にまみれた俗物だからだ。そう言う輩は得てして他人の考えを理解しない。自分が欲するものは他人も欲するに決まっている。ならば奪われる前に奪うしかない。そんな馬鹿げた考えにとりつかれ、狂ったように次々と争いを起こすのだ。そんなのが権力を持っても碌なことにならないのは、歴史が幾度も証明している。
「なるほど。では致し方ありませんな」
嘆息する魔王。そして態度を改め、
「さて、師匠。我からも一つ、よろしいですかな?」
「ん」
なんだろう? 魔王の聞きたいこと? 体重とスリーサイズは秘密だ。この秘密は決して漏らさず墓場まで持っていく。思春期を自覚したあの日、わたしは心に誓ったのだ。
「何、大したことではございませぬ」
身構えるわたしに、魔王は軽く笑う。
「師匠は、我の師匠になられたのですから、いつまでも我を魔王と呼ばず、ラグ・アジ、或いはラグと、名で呼んでいただきたいのです」
なるほど、確かにいつまでも魔王じゃ失礼か。
「分かった、ラグ。これでいい?」
「はい。ありがとうございます」
嬉しそうに笑うラグ。こうしてみると、魔族と人間ていうのはほんとに見分けがつかない。でも、だからこそあの愚王みたいな奴には尚更許せないんだろうな。人間は争いごとの種を見つける達人だ。髪の色が違う、瞳の色が違う、肌の色が違う。どんなことでも言いがかりを付け、火種としてしまう。それが種族差ともなれば尚のことだ。下らない。本当に下らない。気にしなければいいのに。関わらなければいいのに。気にくわないなら、見なければいいのに。
でも、無関心でいることを、人の社会制度は許さない。人は群れなければ生きていけない。有史以来、そういう制度を脈々と築き上げ、洗練させていったのだ。今更それを変えられはしないだろう。だからこそ。わたしは人間が大嫌いだ。関わりたくないのに関わらざるを得ず、見たくないのに見ざるを得ず、そんな現状を変えたいのにどうしようもない現実を突きつけられ潰される。ああ――さっさと滅びてしまえ、人類。
やめよう、気が滅入るだけだ。
「さて、すっかり話し込んでしまいましたな。師匠、あれに見えるが我が居城でございます」
折良くラグが話しかけてくる。ここは乗っからせてもらおう。
「ん。どれ?」
「あれでございます。あの、ここからではまだ若干距離があります故、細部までは見えませぬが」
「…………?」
ラグの指さす方に目をこらすが、わたしの目にはどこまでも続く森しか見えない。いや、その先に、かろうじて見える黒っぽい陰がひょっとしたら魔王城か? どうやら魔王の目は、わたしより遙かに高性能らしい。
「見えない」
「む、それは失敬。なあに、もう暫し行けば師匠の目にも映りましょう」
むくれるわたしに、ラグはのんきに顎を掻きながら答える。まあ、見えないものは仕方ない。ここは予習でもしておくか。
「何階建て?」
「五階です」
「地下は?」
「地下? 地下は一階ですな。主に貯蔵庫と、あとは牢獄として使っております。いくら魔族が争いを好まぬ種族とは言え、残念ながら犯罪を起こすものが皆無とまでは言えませぬ故」
「…………」
地下、一階だと?
「師匠?」
急に黙り込んだわたしにラグが訝しげに問いかけてくる。
「ラグ」
「ははっ」
「お莫迦」
「! またですか、師匠!?」
そう言うラグも、また涙目になっていた。
しっかりしろ、魔王。