表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/54

「……浅井藤花よ」

 涙に濡れた顔を上げ、ゆっくりと語りかけてくる魔王。

「なに」

「いや、浅井藤花殿よ!」

 あれ? 呼び方に敬称がついた。

「これからは、師匠と呼ばせてくれ! いや、下され!!」

「…………え?」

 何言ってんの、こいつ? でも魔王はどこまでも真剣な目でわたしを見上げてくる。

「我が愛騎、ジグラートを一撃で屠る力。我では及びもつかぬ深謀遠慮。感服した。是非、師匠と」

「えっと…やだ」

 わたしの馬鹿力や頑丈は言わばもらい物で、知識にしても受け売りだ。決して自慢できるようなものじゃない。何よりめんどくさい。

「師匠! そこをなんとか!」

 必死に食い下がってくる魔王。って言うか師匠って呼ぶな。あと口調が変わってるぞ。

「やだってば」

 おい、捨てられた子犬みたいな目をするな。あんた仮にも魔王でしょうが。

「何卒!」

「やだ」

「ご指導、ご鞭撻のほどを!」

「いや」

 大体魔王、あんた幾つよ? 国に帰れば奥さんも子供も、孫だっているんでしょ。わたしまだ十七歳だよ。こんな小娘に何を習うっていうのさ?

「師匠ー」

 おい、男の泣き落としとか気持ち悪いだけだから。ほんとやめて。あまりに必死でしつこいので、わたしは魔王の両肩にそっと手を置いた。因みにこいつはまだ立ち上がっていない。

「わたしの知識はさっきので全部」

 じっと魔王の瞳を見詰める。

「つまりあなたは――」

「つまり我は?」

 期待に満ちた目でわたしを見返す魔王。だからそんな目で見るなって。

「――免許皆伝。教えることは、もう何もない」

 魔王の目が見開かれ、口元に笑みが浮かぶ。よし、やっと分かってくれたか。

「ご冗談を。師匠がその程度の訳がないでしょうが」

「…………」

 まるで分かってくれていなかった。どんだけ買いかぶられてんだよわたしは。

「つまり、師匠の有する秘技秘奥はそう簡単には教えられないということですな。分かりました。直ちに城へ戻り、一日も早く師匠に認められるよう精進いたしましょう」

 そして勝手に明後日の方向で納得する魔王。

「それまでは、是非我が居城で食客としてごゆるりとお過ごし下され」

 む。食客とな。その単語にわたしはぴくりと反応する。思わず頷きそうになり、すんでのところで思い止まる。

 待て、待つんだわたし。落ち着くんだ浅井藤花。思い出せ、この城で出された食事を。あの不味さ、無念、残念感を。

 わたしは学習する葦だ。考えることの出来る葦だ。成長する葦だ。

「不味いご飯は嫌」

 そうだ。まず為べきは味の確認だ。

「む。味ですか? 少なくとも今現在の人間どもの飯よりは美味いことを確約いたしましょう」

 まだだ。まだ頷いてはいけない。

「あなたは魔王でしょ。人間と味覚が違うんじゃないの」

 そう。種族差は重要だ。魔王にとって美味いものが、わたしにとっても美味しいとは限らない。

「ふうむ。確かに、まったく同じだとは保証できかねますな。ですが、以前人間どもの捕虜に我らの食事を与えたところ、涙ながらに喜んでいたとの報告がございましたので、そう大きくは違わないはずです」

 ほうほう。大差ない、と。脳内にメモする。

「何より、我らの使う調味料――味噌や醤油ですが、それらは数や質こそ劣れど人間どもも同様に使っていた模様。ですので問題ないかと思われます」

 え? 今なんてった? 味噌? 醤油?

「あるの?」

 思わず魔王の胸ぐらを掴む。

「師匠?」

「あるの? 味噌と醤油」

「ええ、ございます」

 わたしの剣幕に戦きながらも、頷く魔王。

「他には? 他の調味料は?」

「他、ですか? そうですな、代表的なのは塩、胡椒。好みは分かれますが山葵にマスタード。それに最近開発されたソースやマヨネーズもございます。甘味に関しては砂糖や味醂といったところでしょうか」

 何それ、日本と変わらないじゃん。それより待て、塩、味噌、醤油とくるのなら。

「ひょっとしてお米もある?」

「米、ですか? 無論ですとも。我が国の主食でございますれば」

「行く」

 即答した。そして慌てて付け加える。そう、わたしは考えることの出来る葦だから。

「三食おやつと昼寝付きなら」

「御随意に」

 わたしの足元に畏まる魔王。

「代わりに、我の師となっていただきたく」

「分かった」

 交渉成立だ。そうと決まればぐずぐずしてはいられない。早速魔王城に向かうとしよう。ああ、早くおにぎりが食べたい。具材はどうしよう。鮭、明太子、オカカに昆布。そして梅干し。醤油と味噌があるから焼きおにぎりにしてもいい。どれから食べよう。どれも捨てがたいけどやっぱり一番始めは塩だけの単純なやつがいいな。ああ、涎が出そう。ってそういえば。

「魔王城、遠いの?」

 そう、魔王はドラゴンに乗って飛んできたと言った。それはつまり、けっこうな距離があるということでは……?

「ふむ、ざっと千キロほどですかな」

 千キロ? まさか歩いてくなんて言うんじゃないでしょうね。そんなの無理。わたしはか弱い現代っ子だ。仮にどこかで馬車を手に入れるとしても、一体何日かかるの? 目の前が真っ白になった。あ、デジャヴ。じゃあわたし、またどこかに召喚されるんだ。さようなら、魔王。さようなら、美味しいご飯。さようなら、魅惑の甘味達。どうか次の世界では美味しいご飯にありつけますように。

「なあに、ご安心下され。別のドラゴンを喚びます故、小一時間ほどで帰還は適います」

 現実逃避していたわたしを魔王の言葉が呼び戻す。え? ドラゴンまだいたの? だったらさっさと喚び出しなさいよ。ほんとあんたはお莫迦なんだから。

「ん。分かった」

「では、失礼して」

 魔王はそう断ると右手を掲げ、なにやら魔法陣らしきもの(たぶん)を描く。っていうかどうやって空中にものを描いてるんだろう。やっぱり魔法か、うらやましい。

「来たれ、レグナーーート!!」

 魔王が叫ぶと同時、魔法陣(たぶん)から水色の鱗を持つドラゴンが姿を現した。おお! さっきの緑もいいけど、今度の水色もかっこいい。

「こやつの名はレグナート。先ほど師匠に斃されたジグラートには一歩譲りますが、こやつもなかなかのものですぞ」

 だから悪かったってば。謝ったしその件はもう手打ちになったでしょ。

「触っていい?」

「無論ですとも。――レグナート、このお方は我の師匠浅井藤花殿だ。我に使えるのと同様、師匠にも尽くせ」

「ぐるがああああ」

 さっぱり分からないがどうやら頷いたようだ。そっと水色の鱗に手を伸ばす。固いのに柔らかくて温かい。なんとも形容しがたい不思議な感触だ。

「師匠、こやつの角の付け根を掻いてやって下さい。そうすると喜ぶのです」

 え? そうなの? 大きさこそ段違いだけど、なんだか犬や猫みたいだ。言われるままに角の付け根を掻いてやる。

「ぐるるるる……」

 レグナートは気持ちよさそうに目を細めている――ような気がしないこともない。

 しかしこうなると、やっぱりやりたくなってくるのは――。

「お手」

 レグナートの正面にまわり、掌を差し出す。

「ぐる」

 と、こそに、レグナートは爪の先をちょんと乗っけたではないか! おお! 賢いぞ、レグナート!

「よしよし」

 満足したので再び角の付け値を掻いてやる。

「さて、ではそろそろ参りましょうかな」

 おっと、そうだった。感動してすっかり忘れていたが魔王の城にご飯を食べに――げふんげふん、魔王を鍛えに行くんだった。

「ん」

「では師匠、レグナートの背にお乗り下さい」

 魔王がそう言うと、レグナートはわたしが乗りやすいように首を下げてくれる。ほんとに賢いな、この子。

 わたしが勇んでレグナートの背に跨がろうとしたとき、

「ま、待て、小娘」

 なにやら呼び止める声がした。ああ、誰かと思えば愚王様か。まだいたんだ。

「なに」

 わたしは忙しい。何しろ美味しいご飯と甘味が待っているのだ。それも昼寝付きで。

「貴様、人間を裏切るというのか」

 なんだ、そんなことか。心底どうでもいい。そんな下らないことでわたしの甘味への旅路を邪魔するな。そもそもわたしは人間が嫌いなんだ。わたしに構うな煩わせるな! 目差せ一億総無関心!

「愚王には関係ない」

 だからばっさり切って捨てる。って、あれ? そういえば魔王は人間と戦争してたんじゃなかったっけ?

「魔王」

「はっ。なんでしょうか、師匠」

「いいの? こいつ放っておいて」

 愚王を指す。

「ふむ。このような小物、その気になればいつでも狩れますしな。それよりも師匠、一時でも早く我が城へ。そして師匠の秘技の一端なりともご教示下され」

 うん、そういう約束だったよね。

「ご飯が先」

 でも牽制は忘れない。

「心得ております」

 頷く魔王。ならばよし。

「ん。行こう」

「ははっ」

 今度こそわたしはレグナートに騎乗しようとし、

「待てと言っておろうが!」

 またしても愚王に邪魔された。なんだよ、まだ何かあるのかよ。

「なに? 忙しいの。用があるなら早くして」

「このまま逃げられると思ったのか。貴様等がぐずぐずしている内に、兵どもの集結は完了しておるわ。潔く処刑されるがいい!」

 言われて周りを見てみれば、確かに兵士達に囲まれていた。ここからでは死角になって見えないが、おそらくはレグナートの足元にも兵がいるのだろう。

「……ふっ」

 呆れて鼻で笑ってしまった。本気でやるの、という目で愚王の側のおじいちゃんを見る。おじいちゃんは処置なし、といった具合にわたしを見返してきた。だよね。せっかく魔王に殺されずに済みそうなのに、わざわざ自分から殺してくれって言い出すなんて。

 ところがそれがまったく理解できていない愚王は、わたしに鼻で笑われたことであっさりと激高する。

「貴様、またしても予を愚弄するか! その罪、万死に値する! 者ども、かかれえ!!」

 咆哮する愚王。誰一人として動かない兵士。沈黙するおじいちゃん。

「どうした! かかれ! かかれと言っておる! 予の命が聞けんのか!?」

 そして一人わめき散らす愚王。滑稽なことこの上ない。

 そりゃそうだよね。どう考えたって魔王には勝てない。それに加えて今ではドラゴンを一撃で粉砕する(まさに文字通りの意味で)わたしまで魔王の側に着いている。まあ正確には魔王が勝手にわたしに師事してしまっただけなのだが。

 ともあれ、誰だって命は惜しい。向かえば必ず命を落とす。どころか魔王の気まぐれでいつ全滅したっておかしくない。この状況で逃げずにいること自体褒めてやりたいくらいだ。

「いかがいたします、師匠」

 と、ここで魔王が発言。

「ん?」

「聞いておればこの人の王、先ほどから師匠に対して無礼千万。もし師匠がお望みとあらば、この場にて首を刎ねるに吝かではありませんが」

 物騒だな。さすが魔王。それを聞いたおじいちゃんが顔を引きつらせながらも愚王を背に庇う。ここまで来ると見事としか言えない忠誠心だ。相手があの愚王じゃ絶対報われないのに。

「どうでもいい。早く行こう」

 三度目の正直。今度こそわたしは、レグナートの背に跨がった。おおう、ドラゴンの背中だよ! 心が躍る。

「御意。では、我も失礼して」

 魔王がわたしの背後に座る。

 さあ、出発だ。――と、その前に。

「おじいちゃん」

 わたしは、今も愚王を背後に庇う宮廷魔術師筆頭のおじいちゃんに声をかける。

「なんですかな、藤花殿」

 静かに答えるおじいちゃん。ま、答えは分かりきってるけど一応ね。

「一緒に来る?」

 その問いに、おじいちゃんは一瞬笑みを見せ。

「儂は、トーレグ・トウル陛下の臣ですので」

 うん、そう言うと思った。

「そう」

「はい」

 手を振るわたしに、黙礼するおじいちゃん。

「ナイダ! 何をしておる!? 魔王と手先が逃げるぞ! 早う仕留めんか!!」

 まったくこの愚王は最後の最後まで。わたしはせっかく乗ったレグナートから飛び降りると、つかつかと愚王の下まで歩いていく。途中わたし達を囲んでいた兵士達は、我先にと道を空けてくれた。おおう、リアルモーゼ。けっこういい気分。

 そしてわたしは、あくまで愚王を庇うおじいちゃんをそっと押しのけた。もうやめときなって。そんなのに尽くしたっていいことないよ?

「愚王」

「な、なんじゃ、魔女め」

 とうとう魔女呼ばわりか。勇者じゃなかったんかい、わたしは。まあどうでもいい。

「これで最後。やりたいなら、人に頼ってないで自分でやれ」

「…………」

 怯えきった目でわたしを見返す愚王。そして出た言葉は――

「殺せ、ナイダ」

 わたしはため息を吐いた。救いようがない。

「へたれ」

 言って、優しく(、、、)撫でてやった。うん、何故か愚王が突然目の前からいなくなって壁と抱き合ってたけど気にしない。側にいたおじいちゃんは苦笑い。いいでしょ、このくらい。わたしだって腹が立っているのだ。この程度は目をつむってよ。

「お待たせ」

 魔王のところへ戻り、レグナートの上へ引っ張り上げてもらう。

「もうよろしいので?」

「ん」

「では、参りましょうぞ!」

 上機嫌で出発を告げる魔王。

「ぐるあああああああ!」

 それに応えて嘶きを上げるレグナート。


 こうしてわたしは、人間と決別して魔王の国へと旅立ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ