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わたしは人間が嫌いだ。話すことは疎か、姿を見るのも嫌。声が聞こえてくるだけで不快な気分になる。
虐め、差別、迷惑行為。嫉妬に強欲、傲慢と、人間の汚らしい部分を挙げていけばそれだけで日が暮れる。性善説? 夢みてるんじゃない。人の本性が善なら、世の中にこれほど理不尽と不幸が溢れるはずがない。ポイ捨て、虐待、汚職に収賄、その果ての無意味な権力闘争、果ては全世界を巻き込む戦争。小さなことから大きなことまで、悪事なら人間に全てお任せだ。こんなに薄汚い奴等のどこに善性がある。
こんな人間達を愛し、無償で守護する光の国の巨人の神経が分からない。いや、分かりたくもない。魔王、どんとこい。恐怖の大王、いつまで時差ぼけしてやがる。吹き荒れろ、滅びの風! 滅せよ、人類!
それでもわたしは学校へ行き、それが終わればバイトに勤しむ。どれほど嫌おうと、人は一人では生きていけない。そして、生活するには金がいる。それが、人類が脈々と築き上げてきたルールだ。くそ食らえ。
今日も今日とて、わたしは学校へ通う。つまらない授業を聞き流し、煩わしい人間関係をやり過ごし、強要される委員の仕事を片付ける。それが終わると、バイトの時間だ。部活動? 誰がそんな無意味なものに時間を費やすものか。やりたい奴等で勝手にやってろ。わたしを誘うな煩わせるな。何があなたの為を思ってだ。善意の押し売りはやめてくれ。目指せ、一億総無関心。
嫌々バイトへと向かう道すがら、突然目の前が真っ白になった。なんだなんだ貧血か? なんて思ったのも一瞬、視界は即座に回復し、気付けば私は見知らぬ神殿らしき場所にいた。前に写真で見たギリシャのパルテノン神殿にそっくりだ。あの真ん中がふくらんだ造りの柱はなんて言ったっけ? 材質は大理石か? いや、なんだか淡く光を放っているように見えるから違うのだろう。なんだあの謎建材は。
「おお……成功したぞ!」
と、そこで耳に入る不快な音声。や、気付いてはいたよ? 意図的に視界に入れないようにしてただけで。だってわたし、人間嫌いだし。
周囲にいるのは、十数人のフード付きローブを纏った怪しい集団。口々に「あれが……」だの「やった……」だの「ついに……」だの、人を無遠慮に眺め回して好き勝手言っている。
「よろしいかの、お嬢さん」
そんな集団の中でも一際立派なローブの男……老人が話しかけてくる。明らかに日本人ではない西欧系の顔立ちなのに、何故か流暢に日本語を話している。なんていかがわしい。
「よろしくない。お生憎様」
だからわたしは即座に会話を拒絶した。
『…………』
「それじゃあ、悪しからず」
唖然としている一同を捨て置き、即座に戦術的撤退を試みる。
「――お、お待ち下され。儂は「嫌」
フリーズから再起動した老人が何か言いかけるのに被せるように否定の言葉を口にする。この手の話は総じて面倒事と決まっている。
「儂はオレンマラ・トウル王国の「だから嫌だって」
聞き分けの悪いおじいちゃんだ。
「――宮廷魔術師筆頭、ナイダ・アイガと申します」
おまけに諦めも耳も理解力も悪い。嫌気がさして目もくれずに歩き出す。
「是非とも王宮にお運びいただき我が主に会っていただきたい」
「…………」
このじじい、わたしが聞く耳持たないとみるや追従してきやがった。
「ついてこないで」
「是非、王宮までお運びいただきたく」
おまけに言葉の通じないたぐいの輩だったらしい。
「突然の召還でさぞかし驚かれていることと思います。その辺りの説明もいたします故、是非とも一度王宮へ」
「嫌」
確かに状況説明はほしい。でも、どう考えても面倒事の匂いしかしない。メリットを上回るデメリットがあるのだから、この連中について行く理由などない。と、ここでわたしのお腹が音を立てた。
「……もちろんお食事の用意もございます」
「…………」
おい、そこは聞かなかったことにするのが礼儀だろう。
「王宮専属の料理人が腕によりをかけまする」
「――行く」
あんまりにしつこいので諦めて付き合ってあげることにした。決して食事につられたからではない。そう、断じて。
で。始めの神殿? から十分ほど歩かされてやってきた王宮の謁見の真? 玉座の間? みたいなところでわたしは王様を待っていた。呼び出しといて待たせるとか何様のつもりだろう。あ、王様か。
さらに待つこと三十分。
「……帰る」
わたしの我慢は限界を超えた。
「お、お待ち下され! ――おい、すぐに陛下をお呼びしろ」
前半はわたし、後半は部下Aへの言葉だ。それにしても――
「もしかして今から呼びに行くの?」
わたしの三十分を返せ。
「い、いえ。言葉の綾というものでございます。それに陛下は多忙なお方でして、何卒、今暫くお待ちくださいますよう、伏してお願い申し上げます」
「約束の食事もまだなんだけど」
三十分あれば十分食べられた。
「そちらは陛下との謁見が済み次第直ちに。既に準備はさせております」
汗を拭いながら答えるおじいちゃん。中間管理職が大変なのはどこの世界でも同じようだ。――あれ? 確かこの人宮廷魔術師筆頭とか言ってたよね? それってけっこう偉いんじゃないの? ま、どうでもいいか。
「この小娘が勇者なのか?」
で、だ。
さんざん待たせてようやく現れた王様が開口一番吐き出したのがこの台詞。
「帰る」
切れやすい最近の若者をなめるな。
「お待ち下され! ――陛下、いささか無礼ではないでしょうか。このお方は間違いなく召喚の儀で喚び出された勇者にございます」
必死に国王を諫めるおじいちゃん。ところで勇者って何さ? そんな話聞いてないんだけど。まあ聞く耳持たなかったんだけどさ。
「ふん。まあよい。して、その方名はなんと申す?」
居丈高に言い放つ王様。これはひょっとしてわたしに言っているのだろうか。なんて無礼な。名を尋ねるときはまず自分から、こんな宇宙の大法則も知らないなんて。当然無視する。
「――ナイダ」
しびれを切らしたのか、傍らに控えるおじいちゃんに問いかける王様。
「申し訳ございません、陛下。儂もまだあのお方の名を知らぬのです」
「なに、名も尋ねぬまま連れて来たと申すのか」
「は、嫌がるあのお方を説得するので精一杯でして」
わたしは二人のやりとりを覚めた目で眺めていた。なにこの茶番。あんだけ待たされたんだから状況説明くらいしとけよ。
「今一度問おう。娘、名をなんと申す?」
無視。
「おい、聞いておるのか」
王様の声に苛立ちが混じる。傍らのおじいちゃんが頼むから答えてくれと必死にアイコンタクトを贈ってくる。
「……名を尋ねるときはまず自分から」
仕方ないので妥協する。
「なんと。王である予に先に名乗れと申すのか」
「それが礼儀」
傍らのおじいちゃんが真っ青になっていたが知ったこっちゃない。
「陛下。おそらくはそれが、あのお方の世界での常識なのでしょう。ここは一つ懐の広さをお見せになられてはいかがでしょう」
「ぬう……まあよかろう。予はオレンマラ・トウル王国第十六代国王トーレグ・トウルだ」
「浅井藤花」
「うむ。浅井藤花よ、そちは選ばれし勇者だ。見事魔の国に住まう魔王を倒して参れ。その暁には褒美を取らせよう」
「寝言は寝てから枕相手に言って」
やっぱりそういう話か。なんとなくそんな気はしてたけど、なんて迷惑な。
「な! 何を言うか! そちは選ばれし勇者ぞ!」
おい王様。懐の広さはどうした。この程度で取り乱すな。
「選んでくれなんて言った覚えはない。勝手に喚び出して勝手なことを言わないで。迷惑」
「無礼な! おい、ナイダ! これはどういうことだ!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る王様。煩いことこの上ない。
「無礼なのはどっち? 人の都合も聞かずに勝手に喚び出して、挙げ句命令? 頭沸いてるの?」
わたしはこれからバイトに行くはずだった。でもこんなことに巻き込まれたせいで無断欠勤だ。これまで真面目に働いて積み上げてきたわたしの信用はどうなる。築くのは大変でも崩れるのは一瞬なんだぞ。お前が保証してくれるのか?
「今すぐ元の世界に帰して」
「黙れ! この無礼者を打ち首にしろ!」
ほう、そうくるか。ならこちらにも考えがある。と言うか元々そのつもりだったし。
「ふうん、打ち首にするんだ。せっかく呼び出した勇者様を」
「――ぐっ」
言葉に詰まる王様。なら最初から言わなければいいのに。
と、ここでわたしのお腹が再び自己主張をしてきた。むう、そういえばまだご飯食べてない。
「まあいいや。そんなことより食事。約束」
真っ赤になっている王様を無視してまだ話が通じそうなおじいちゃんに訴える。
「陛下、落ち着いて下され。お聞きの通り、藤花殿は空腹のご様子。おそらくそれで気が立っておられるのでしょう。ここは一度お食事をお召し上がりいただき、改めてお話しなさるということで」
これ幸いと必死に王様をなだめるおじいちゃん。よくもまあそうぽんぽんとそれらしい言い分けがわいて出るものだ。満腹だろうと空腹だろうとわたしの結論は変わらないんだけどね。
面倒事、嫌、絶対。