6.やっぱり風邪か?
茂宮薫。27歳。独身。
性別・・・男。
だが、心は純真無垢な乙女・・・だそうだ(本人曰く)。
その乙女は、肩までかかった長めの髪を指に絡めながら、恋人を待ちわびていたかの表情で俺達を迎えた。診察室の自分の椅子に腰掛け、ディスクにも向かわず、診察室の入り口を凝視しながら。
……仕事しろよ、ちゃんと。
診察室前の廊下にある待合用の長椅子には誰も座っていなかった。診察室にも患者らしき人はいない。
あれ? まさかコイツ、ヤブ医者じゃ?
『……で、瑞希君はどこにいるの?』
笑顔の茂宮は、診察室に入った俺達の後ろに目を向け、目当ての人物を探しながら言った。
『目の前にいるだろ?』
『…………?』
訝しげに隼人を見る茂宮。
「何言ってんだコイツは?」と表情が呟いている。
隼人に促された俺は、茂宮の方へ歩み寄った。
『よ、よう。久しぶりだな』
訝しげに俺を見る茂宮。
「何言ってんだコイツは?」表情が。
『隼人君。何、この女は? 投げ飛ばしていい?』
柔道有段者の茂宮、真顔での質問。
良いわけねえだろ。
『いいぞ』
おい親友!
『……おい待て、茂宮。冗談』
俺を投げ飛ばすべく、立ち上がりかけた茂宮を止める隼人。
『やっぱり冗談? なら早く瑞希君出しなさいよ』
いや、そっちじゃなくて……。
『ホントにわからんか? コイツの顔をよく見てみろ』
『はぁ?!』
茂宮の視線が隼人を刺す。
……しょうがねえなぁ。
『……高1ん時に千葉にあるお前んちの別荘に行って――』
『『ん?』』
突然の話し始めた俺を見る、茂宮と隼人。
『――海で捕まえたサザエ食って、一人だけ腹壊したヤツ誰だったっけ?』
『『あっ』』
懐かしそうな顔をした隼人とは対象的に、茂宮の顔が引きつってる。
『下痢が止まらなくなって、病院に親父さんの車で向かってる途中で、くしゃみの勢いに任せて漏らしちゃったの誰だったっけか?』
『あー』
あったあった、と隼人は楽しそう。
『な、なんで知って……?!』
茂宮は困惑している。
周りの看護師が興味深そうに聞き耳をたてているのに気付くと、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして怒鳴った。
『あ、アナタ達は仕事に戻りなさい!』
あーあ、せっかく人が名前伏せてやってるのに……
『その前の日に海で――』
隼人が割り込んでくる。
『――ボディボードの練習中に沖に流されちゃって、戻れなくて泣き喚いてるところを女子校生に助けられたのだーれだ?』
『…………』
それは俺だぞ隼人。
『あっ、これは瑞希だったな!あっはっは!』
お前わざとだろ?
『な、なんでアナタが私達3人だけの秘密を……』
間違ってるぞ、茂宮……親父さん入れて4人。今となっては後ろでニヤついてる看護師さん追加で6人だ。
『だから言ってんだろ? 俺が瑞希だって』
ん〜〜っ、と言いながら俺の顔をまじまじと見つめる茂宮。
時間経過と共に、不信が確信に変わりゆく様子が顔に表れる。
『……瑞希……君? 本当に瑞希君なの?』
『だからさっきから言ってるだろが!?』
『で、でもなんでそんな格好に? …………ま、まさか――』
『違う!』
『まだ何も言ってないじゃない』
『どうせ手術したのかとか言おうとしたんだろ? お前と一緒にするな。俺は心も男だ。』
『でも身体は女になったがな』
『……うるさい隼人』
『私もまだ手術してないわよ』
あっ、そう。
『つーか、んな事はどうでもいんだよ!』
『まあ、冷たい!』
『……うるさいぞ、隼人』
余計な割り込みをする隼人に鋭い視線を送った俺は、再び茂宮の顔を見る。
『……とにかく、朝起きたらこうなってたんだ。どうにかしてくれ』
『ど、どうにかって…………』
しばらく俺の事を見つめながら何やら考え込んでいた茂宮は意を決した様に言い出した。
『しょうがないわね。瑞希君の頼みだったら断れないでしょ。じゃ、早速診察しますか。そこ座って』
『早速じゃねえだろ、時間かけさせやがって。他の患者がいないから良かったものを。』
文句を言いながら茂宮の前にあった丸椅子に座る。
『あー、それは大丈夫。瑞希君が来たっていうから、他の患者は全員、別の婦人科の先生に任せちゃったから。ウチは婦人科だけで5人医者がいるから。今日は皆出勤日で運が良かったわね。ちなみに私が一番人気』
だから他の患者がいなかったのか。でも、そんな私的な理由で患者丸投げすんなよ。そんな医者が一番人気の理由が全くわからん……。
一番人気と聞いて、茂宮がとりあえずはヤブ医者ではなさそうだと思った俺は、少し安心感を覚えたが――
『瑞希君の身体を隅から隅まで診察出来る日がくるなんて感激だわぁ! …………何、その不安そうな顔は? 別に女の身体の瑞希君には何もしないわよ、やーねぇ』
やはり別の病院にすれば良かったと、激しく後悔した。
『しかし本当に女ね。羨ましい限りだわ。一体どんな事すればそんな劇的に変身出来るの?』
茂宮は裸になった俺の上半身を見つめながら聞いてきた。
『んなことわかったら苦労しねえよ。ちなみにお湯かけても戻らなかった』
『はぁ、何それ? 何のおまじない? 黒魔術?』
『……なんでもない』
様々な検査をした俺は、結果が出るのを診察室で待っていた。
『血液検査とか尿検査とか色々やってもらったけど結果が出てると思うからちょっと待ってて。あ、もう服着ていいわよ』
茂宮は立ち上がると、診察室の奥にある別室に入って行った。
…………。
…………。
『遅いな?』
何分位経っただろうか?
茂宮は別室に入ったきり戻ってこない。
患者としてマナー違反だが、様子を見に行こうと立ち上がった瞬間、茂宮が別室から姿を表した。
『……お待たせ』
『やっと来た。……ん、どうした?』
茂宮は何か腑に落ちない表情をしている。
『瑞希君、アナタ身体が怠いって言ってたよね? あと少し吐き気もしたって』
『ああ……やっぱり風邪か?』
『胸に痛みとかない?』
『ん? よくわかったな? なんかチクチクすんだよな』
『……女になったのは、今日って言ってたわね?』
『ああ、朝起きたらな』
『…………』
『な、なんだよ? どうしたんだ? なんかわかったのか?!』
『……ええ、わかったわよ――』
俺の声が大きかったのか、隼人が診察室に入ってきた。
『――……妊娠しています』
『ふーん…………はぁ?! なっ……に、妊娠?!』
……えっ? なに? どういうこと? ……妊娠? 俺が妊娠? 俺って妊娠? 変身の次は妊娠なの? 何で妊娠? 妊娠て何?
『茂宮ぁ、マジか?! おい、瑞希――』
廊下に出ていた隼人が、いつも間に診察室に戻ってきていた。なんか話かけてきている。
お前もビックリしただろ、隼人。でもダメージは俺のほうがデッカイぞ。
『――すっげえなぁ、おい! オメデタだぞ! やったなぁ! ……おい、どうした?』
………………。
『…………めでたくないっ!』
俺は、行き場の無い怒りにも似た想いを右拳に乗せ、隼人の頭に繰り出していた。