53.なにも、かんじない
『は? いやいやいやいや……え? な、なに言ってんすか?』
啜っていた菜々子が煎れてくれたコーヒーを危うく吹き出しそうになる。
納得がいかない部分は多々あった。そもそも理解する事自体に無理がある話のオンパレードだ。言動もさることながら、何故にそのような行動を起こしたのかの動機については問題が大有りだ。ツマラナイって何だよ?
俺的にちょっと苦手の先輩であった彼女は、ここ最近では若干頼りになる変な先輩に格上げされていた為、理解できなくとも無理やりにでも最後まで話は聞こうと努力していたのだ。何故俺達を貶めるような行動を起こしていたのか。ツマラナイなんて端的な理由だけでそんな事する人ではないと、どこかで信じていたからかもしれない。何かどうしようもない、そうせざるにはおけない理由があるはず。そう考え、とにかくいつまで続くんだと思いながらも若干不可解な話を我慢して聞いていたのだが、今はそんな事よりももっと重大な疑問が浮上してしまった。
『でっち上げって、どういう意味ですか!?』
『事実でないことを本当らしく作り上げること。捏造すること』
『そうじゃなくて!』
『そのままよ。そもそもあの石にそんな力は──』
いやいや、待てって!
だって。
だとしたら……っ。
『──無いって事』
……嘘、だろ。
『……い、いや、だったら』
『あるわけないでしょ。全部嘘よ』
『じゃあ、彩は? 真澄さんに教えてもらって石に触りに行ったんですよ? そしたら妊娠して……』
『頑張ったわね。紛れもなく菜々ちゃんと蓮見君の愛の結晶よ。あんな石の力じゃなくて』
菜々子も彩を抱きしめながら恐る恐る質問するが、真面目な表情で島谷が諭す。
まあ、石の力だろうが俺たちの愛の力だろうが彩は彩だ。大切で愛おしい俺たちの宝であることに何の違いもない。だけど──
『じゃあ、だったら! ……俺のお腹の子は? なんで……?』
『それは……──』
俺も菜々子も、妊婦石に触った事によって彩を授かったと思っていた。お金もない。不妊症などを疑う余地はあったが、不妊治療を受ける事など出来るわけもない。だから、そんな摩訶不思議な事などあるわけ無いと思っていたのだが、そんな俺を説得して菜々子は藁をも掴む思いで触りに行ったのだ。そして、現に菜々子は彩の命をその胎内に宿した。それまで何度もチャレンジしてダメだった事が、何かに頼った後に直ぐに現実となった。その事実だけで、疑う事を忘れさせた。そして、今回の件。再度菜々子が妊婦石に触った後に、元々の噂とは異なる現象であったが、妊娠に関わる出来事が菜々子と何故か俺の身に起こったのだから、石の力じゃないと思う方がおかしい。だが、それも、それさえも石の力じゃ無いって言うのか?
島谷は若干の沈黙の後、口を開いた。
『──わからないわ』
『わからないって……っ』
『ただ、あの石の噂は私が創り上げたものって事は事実よ。とにかく話を続けさせて』
俺はとにかくショックを受けていた。何も知らなければ良かったとさえ思った。
そもそもこんな状態になったのは何故だ?
女性でさえ、身体に命を宿した時、元々は望んでいた事だったとしても、身体に『異物がある』ことによる観念に精神が耐えられない事があると聞いた覚えがある。俺自身は精神力には自信があったから今まで若干の動揺はあったが、いつの間にかに落ち着きをもって過ごせていた……そう思っていた。だが、実際はそうではなかったようだ。
男が女体化し妊娠してしまった。
こんな現象に主体者として直面してしまった事は、想像以上に精神的なダメージがあったのだ。ただ、妊婦石という、これまた訳の分からない物体が存在し、それに全ての原因をなすりつける事によって、精神的安定を創り上げていただけだったのだ。
全ての事象は妊婦石によるもの。だから、妊婦石の謎さえ解明されれば、いつか元に戻れる。
今、島谷の言葉によって、その情報が間違いであると告げられてしまった。彼女の言葉は聴覚を、そして表情は視覚を刺激し、脳内の海馬に情報が注ぎ込まれる。それはあまりにも巨大な情報。静かに揺らめく記憶領域の海に、隕石のような巨大な情報の塊が落とされたのだ。海は荒れ狂い大風が吹き荒れ大波が踊る。
なんだ?
どうなってんだ?
分からない。
何が?
これからどうすれば?
分からないよ。
誰なのこの人?
問いかける自分と、答えられない自分。答えはどこにも見つからない。俺には無理だ。
であれば何も考えられない。
であれば何も考えてはいけない。
だったら何も感じなければいい。
なにも、かんじない……それでいい。