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4.逃走

 目の前の鏡には女性が一人。彼女以外は誰も写っていない。彼女は驚き満ち溢れた表情で小さく呟いた。


『お、俺…………か?』


 鏡に映し出された女性は、俺自身だった。

 確かに昔から女に間違われる事もあった。

 顔は小さく、目は大きい。髪は直毛で、伸ばすと完全に女だと隼人に笑われたこともある。だが、洗面台の鏡越しに見た自分の姿は女そのものである。髪は長く背中まであり、胸も男のそれとは思えない程ふっくらしている。顔つきも、パーツひとつひとつは前と変わりないが、どことなく柔らかな感じで女っぽい。


『……は……ははっ…………冗談だろ?』


 誰に言うでもなく呟く。鏡の中の女性も同時に口を開いていた。化け物でも見るかのような表情で……。

 恐る恐る下半身に目をやる。顔に似合わず結構なモノだと自他共に認める男の象徴を確認する。いつもなら下着越しからでもその存在を主張している物体が見当たらない。


『げっ……』


 視覚の次は触覚で確かめる。やはり寂しい感覚が指先を伝ってきた。


 な、なんだ? ……なんなんだ?! ワケわからん。どういうんだコレ? えっ? ……えっ?!


 なんかよくわからなくなってきた。

 胸も、服を脱いで確かめた。通常であれば、鼻血を垂らして悦んでしまう程の形の良い山が二つ、仲良く並んでいる。


 やっぱり…………ありやがったかぁ……。


 スネも確かめる。スネ毛が……ない。

 脇も確かめる。脇毛は……健在だった。


 ……そりゃ、あるよな、女にも……。


 鏡に写る身体を見つめる。見れば見るほど混乱してくる。


 ……お、落ち着け、落ち着くんだ。……深呼吸……そうだ、深呼吸だ、深呼吸。


『スー、ハー、スー、ハー……』


 ラジオ体操の模範演技のような大きな動作で深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、改めて鏡を見た。


 見れば見るほど女だ。そうか……俺は女だったのか……い、いやっ男だっ! でもなんでこんな事に? とにかくこれからどうすれば……?


 少しだけ落ち着きを取り戻した思考力を問題解決に差し向ける。

 昔読んだ漫画に、お湯をかけると男に、水をかけると女になってしまう主人公がいたと思い出し、シャワーを浴びてみた。……ダメだった。女のままだ。

 病気かもしれないと、「家庭の医学」を本棚から取出す。……そんな病気見つからない。あるわけない。


 ……寝れば……治るんだろ?


 現実逃避という名の魔物に与えられた、現在考え得る最高の名案を実行に移すべく寝室に向かう。途中で時計を見た。9時半を過ぎている。


 なっ、もう9時半!? 菜々子が帰ってくるじゃんか!


 こんな状態では会えない。よくわからないが、何か嫌な予感がする。


 に、逃げなくては……。


 何故だかわからないが、そう思った。


 急いで服を着る。体系も小さくなったのか、自分の服が大きく感じる。何か今の自分に合うサイズの服がないかタンスを漁ると、菜々子の服が出てきた。

 不明確な現象の前では人間の演算処理能力は格段に落ち込む。時々刻々と迫り来る状況変化のパラメータは、行動エラーを導き出す事にしかならない。


『…………き、着るか……?』


 人間切羽詰ると勢いで何でも出来るものだ。少し気が引けたが、菜々子の服を拝借する事にした。

 先にジーンズに足を通す。足は通るが、お尻が入らない。


 トランクスじゃ嵩張ってダメか? ブリーフ? ……持ってない。…………仕方がない。


 恐る恐る菜々子の下着に手を伸ばす。

 丸められ綺麗に並んだパンティのひとつを手に取り…………穿いた。


 ぐっ……すごいフィット感だ。


 ひとつの試練をクリアすると、もうなんでも来いになってくる。

 ブラジャーを手にし……着ける。が、結構キツイのですぐ外した。

 Tシャツを着て、ジーンズを穿く。お尻はまだ窮屈だったが、とりあえず入った。


 菜々子のヤツ、胸もお尻も小さいんだな……。


 心で軽い毒を吐きながら黒いパーカーを着て、鏡の前に立ってみる。案外似合っている。


『へ〜〜、これは中々……』


 菜々子のカバンも拝借し、財布と携帯電話を中に詰め込んだ。

 その時、玄関で物音がした。鍵を開ける音だ。


 ヤバイ! 菜々子だっ!


 咄嗟にダイニングテーブルの下に身を隠す。


『瑞希ー! 昨日はごめんね! 帰ったよー!』


 菜々子の馬鹿でかい声。彼女は書斎やトイレなど、あちこち回り俺を探している。


『瑞希ぃ?』


 リビングに来た菜々子は、そこにも俺がいないと見ると寝室のドアを勢いよく開けた。


『瑞希! まだ寝てるの!?』


 寝てねーよ。


『早く起きろ!』と布団をひっぺがす菜々子。


 寝てねーつーの。


 『あれ?』


 彩が泣き出した。


 今だ!


 俺は勢い良くテーブルの下から抜け出し、一目散に玄関に走り出した。


『瑞希?』


 呆気なく見つかった。が、振り向いている暇などない。よくよく考えれば、逃げる必要など全く皆無だったかもしれない。突然の身体の変化に心が取り乱し、判断力が著しく低下してしまった結果なのかもしれない。何はともあれ、もう後には引けないのだ。俺は無断で菜々子の服(+下着)を身に着けてしまった事で、待ち構えているであろう菜々子の怒りに恐怖し、その場から逃げ出した。


 菜々子の脅威から逃れた俺は、同マンションの6階の非常階段にいた。もし菜々子が追い掛けてきたきたとしても、ここなら見つかることはまずないと思った。

 大抵の人間は、マンション等の建物の一室から逃げる場合、必ずその建物自体から離れる。逃げなければならない対象がその建物にいるとわかっているのに同じ建物に身を隠す事はまずありえない。部屋を出たあと向かう方向は1階だ。が、俺はその考えとは逆の行動をした。先の考えでいくならば、追い掛けてくる者も、追跡対象は必ず1階に降りるとみるはずだからだ。まして菜々子は、このマンションに住んでからというもの、3階より上層階に行ったことがない。アイツは絶対に6階にはこない。これは弱き者の生き残るための知恵だった。

 しかし、身体は相変わらず怠い。少し吐き気もする。

 俺は非常階段に腰を下ろし、階下の様子に耳を傾けながら、これからどうするか思索を練った。


 まずはこの身体を元に戻さなくては。でもどうやって……? お湯も効かないし、やっぱり病気か? 何はともあれ、一先ずどこかで休まなくては。

 その時携帯電話が鳴った。


『なっ、菜々子か?!』


 発進通知には隼人の名前が映っていた。


 よし、一先ず隼人に相談して策を練るか。


『はい』

(もしもし、……あれ?)


 受話器の向こうから「間違えたか?」という声が聞こえる。多分、俺の声が女のものであるからだろう。


(……すみません、間違――)

『間違えてない! 俺だ瑞希だ!』

(はぁ? ……だってあなた、女の人ですよね? 僕は蓮見瑞希君にかけたんですけど……あー、わかった! アイツケータイ落としたんだな? 瑞希君のケータイを拾ってくれた方ですか?)

『俺が瑞希本人だ!』

(…………)

『お前、今、面倒くさいなぁって思ったろ?』

(なっ、なんでわかったの!?)

『何年の付き合いだと思ってるんだ? 20年だぞ。20年』

(……本当に瑞希なのか?……どうしたんだ!? 一体いつから?)


 ようやく信じてくれたみたいだ。


『今朝からだ!』

(……そうか。早く言ってくれれば良かったのに)

『えっ!?』


 何かあるのか解決策が?!


 やはり持つべきものは親友だ。


(よし、俺に任せとけ!)

『隼人――』

(俺の知り合いに結構儲かってるそれ系の店のママがいるから、紹介してやる)


 クソやろう。


『……俺はニューハーフじゃねえ!』

(えっ、違うの? 昨日菜々子ちゃん達が出ていっちゃったから、思い詰めた過ぎて目覚めちゃったんじゃないの?)

『目覚めてねえよ! しかもなんで思い詰めると目覚めんだよ!』

(女の声で怒鳴られると、なんか気持ちい――)

『いいからさっさと迎えに来い!』

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