48.黒幕登場
『下平さん?』
『はいはい、何でしょう?』
我がマンションの管理人、下平さん。週に3、4日ほど、マンションの清掃、ゴミ集積所の管理業務などを行っている、メガネのとてもお似合いの淑女である。年齢は六十代くらいだろうか。ようは管理人のおばちゃんだ。
顔を会わす度に挨拶を交わすのだが、何故か俺が女になってからも「あらあら、蓮見さん、こんにちは」と挨拶に何の変化もない。ボケているようには見えないし、若干気味は悪いのだが、別に何も訊かれないし、わざわざまた「私は蓮見瑞穂です」などと嘘の説明をするのも面倒くさいので放っておいている。
人当たりは柔らかくとても感じが良い。いつもニコニコ微笑みを絶やさない菩薩のようなお人。集積所のゴミの仕分けをしている時も。マンションの廊下などの共有部を清掃している時も。突如発生したハチの巣を、何故か業者にも頼らず駆除している時も。愚痴一つこぼさず、頭に巻いた三角巾の下はいつも柔和な笑みをこぼしている。そんな人だ。
そんな下平さん。
そんな何の害も無い下平さん。
そんな無害な下平さんが。
まさか、そんなワケ……。
『コレ、うちのポストに入れました?』
『はいはい、入れましたよ』
……犯人確定。
『チョコレートですか?』
『チョコレートです』
『この封筒にですか?』
『この封筒にです』
『はて?』
むむ、と考え込む下平さん。
いやいや、アンタが入れたんだろ?
『いえ、そのような物が入っているとは思いもしなかったものでして。大変失礼仕りました』
どうぞお許し下さい、と下平さんは深々と頭を下げてきた。
『あーいやいや、そんな頭を、あの、てか、えっ? コレ下平さんが入れたんですよね?』
『はい、その通りでございますよ。何分頼まれましてねぇ』
『頼まれた?』
誰にだよ!
「俺じゃ、俺じゃあないんだ! そ、そうだ! 頼まれた。頼まれたんだよ!」
刑事ドラマでよくあるヤツだ。
ま、確かにこのシチュエーションは黒幕が出てくるちょっと前に行われる儀式みたいなヤツだ。
てことは誰だ?
誰を庇ってるんだ?
生き別れの息子か?
交通事故で寝たきりになった義理の姉さんか?
黒幕が誰なのか知りたい気持ちが顔から溢れているのか、下平さんがキョトンとした表情で俺を見ている。
『黒幕……』
『?』
こういう、普段は虫も殺さないような人ほど……いやハチは駆除したか。ともかく、こういう下平さんみたいに温厚な人ほど、こういった状況では強情になる。このまま口を割らない可能性もあるかもしれない。
警察署の取調室なら白状させる自信はある。あそこには凝視すると目がイカレてしまう程に眩しい裸電球のディスクライトや、犯人落とし率100%のカツ丼という心強い味方がいる。だがここはマンション管理人室。白状させる為の手段がない。
『……誰が』
『はい?』
難しいかもしれない。
くっそ、誰にだ?!
島谷か?
蒼井にか?
それとも別の──
『一体誰に……』
『はい、あの方に』
と、指差す下平さん。
『えっ?』
『こんにちは、瑞穂さん。あ、ここ会社じゃないから瑞希君でいいのか?』
黒幕登場。