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38.強い個性と優しい親子

『ああ……美味しかったぁ……』


 「舌鼓」に到着して約10分。俺はケーキの深い味わいに酔いしれ、僅かに涙さえ浮かべていた。

 今日戴いたクリームチーズケーキの甘味は、先ほどまで感じていた罪悪感を払いのけるには充分な威力を発揮し、チーズケーキ特有の舌に残るほのかだが確実な存在感は、お前の選択は間違っていなかったよ、との応援にも感じられた。


『大げさだね、このお姉ちゃん』

『ふふ、ホントね』


 そんな俺を、雪と蒼太の親子が動物でも見るかのような生暖かい目で見守っている、というのが俺達が置かれた現状だ。あとはこれから他愛もない話を軽くして帰るだけ――なのだが。


『雪さん、ちょっと聞きたい事が……』

『ん? どうしたの、改まって』


 せっかくだから、今俺がスゴく気になっている疑問について、質問してみた。


『蒼太君て、いつもはどんな子なんですか?』

『……あ、やっぱり気になった?』

『……ええ、まあ。失礼ですが、初対面があんなだったので』


 薬局入口で会った時、口調が子供らしさの欠片もなかったように見えた。が、今はどうだろう? 

 出されたケーキを食べている様子。

 母親のバックから出した絵本を読む姿。

 母親と共に、可笑しなお姉ちゃんを見て笑うあどけない表情。


 どの姿も微笑ましい事この上ない。年相応の振る舞いは、先ほどの蒼太の姿と重ならない。まるで別人なのではと思う程である。この事は既に、薬局で調剤を待っていた時から思っていた。母親に怒られたショックでの変化、とも思ったが、やはり違うようだ。雪は何か隠していたみたいだ。


『この子ね、心の声、って言うのかな……』

 ごくたまーに聴こえるらしいの、と少し困った表情で雪は語り出した。


 聞くところによると、何も言ってないのに、その時周りにいる人間が思っていた事が、蒼太自身の口から発せられるのだという。また、感情だけが反映される事もあるらしい。周りの人間が、蒼太本人や第三者に対して思っていた感情や言葉を受信し、それらに影響を受けた蒼太自身の言動が変化するのだそうだ。

 例えば、雪、蒼太、元旦那が三人一緒にいたとする。雪は元旦那に対し快く思っていなかった事は聞いていたが、この時、雪が元旦那の事を憎々しげに「この女ったらし」と強く思ったとすると、その言葉と感情が蒼太の心に影響を与え、蒼太の口から雪の想いが発せられる事になる。

 先ほどの一件などは、ちょうど蒼太と俺がぶつかり、いつもなら「痛いよ、お姉ちゃん」と極軽い非難の言葉を発する程度で済むところ、周りにいた何者かの感情に影響を与えられた蒼太は、「いってーな、ネーチャン!」というように言葉が汚くなるというのだ。


『色々試したりした結果、周りにいる人物の一番強い感情を受信しているんじゃないかって事がわかったの。しかも……』

 反映されるのは「悪い」感情だけなのよ、と雪は言いながら苦笑する。


 心の声が聴こえる、というより、周りの人間の一番強く、醜い感情に、自分の心を押し潰され支配されるという事だろうか。でもそれって――

『感受性豊かな子供って事じゃ……。小さい子供って大人の考えてる事を見抜くっていうじゃないですか。その場の雰囲気というか、空気というか。そーゆーのを敏感に感じ取って、言動に出ちゃってるだけなんじゃ……』


 人間というのは周りの人間や、物事の影響を受けて感情を変化させる。ましてや蒼太のような小さな子供なら、その影響をモロに受け、人格を形成させていくものだ。家庭であったり学校であったり、日々の生活の中でいったそういう起伏が激しくなるような要因があっただけなのではないか。

 多重人格とかそういうのもあるかもしれないが、「心の声を受けとって感情、言動が変わる」なんて、そうなんですか、と信じられる話ではない。


『でも、そんな汚い言葉教えたり、目の前で使ったりなんてしてないのよ?』

『テレビとかじゃないんですか? ドラマとかアニメとかで覚えちゃったとか。家庭でなくても、通ってた保育園とか幼稚園とか』

『……前に駅で殺人未遂事件あったの覚えてる?』

『え、ああ二年前の』

『あの事件があった時、ちょうど駅にいたのよ。そこで手をつないでいた蒼太が――』

 妹の恨みを晴らしてやる――と呟いた、という。


 妹。恨みを晴らす。

 ぞくりとした。

 当時のニュースを断片的に思い出す。事件の背景を読み上げるキャスターやリポーター達の淡々とした声が甦る。被害者は都内のある大学病院の医者で、犯人の妹はその医者の不倫相手だった。別れ話のもつれ、犯人の妹の自殺。その逆恨みからの犯行。そんな事件だった。


『その直後に改札付近が騒がしくなったの。人が刺されたとか、救急車呼べとか。その前も色々あったから偶然だとは思わなかったわ』

 ため息をついた雪はチラッと蒼太見て言葉を紡ぐ。

『……そんな子なの。でも、後は他の子と何にも変わらない。いつもは明るくて、元気が良くて、ちょっとワガママで、甘えん坊で。たまに周囲の悪い感情が聴こえる、ただそれだけなのよ』

『……辛いですね』

 他人にはなかなか理解出来ないだろう。世間の風は冷たいから。最近超常現象に慣れ親しんでしまった俺でさえ、まだ若干信じきれていないのだから。


『そりゃあね。でも人それぞれ色々あるでしょ? 個性よ、個性』

『……すみません、変な事聞いちゃって』

『瑞希ちゃんのコレだって個性でしょ?』


 そう言いながら、ある日突然膨らんでしまった豊満な俺の胸をつつく。


『ちょっ!?』

『ふふっ。別に隠していたわけではないのだけど、ちょっと慎重になっててね。でもあなたの秘密も教えてもらった事だし……。だからそんなに気にしないで。……そんな事より、菜々子ちゃんから聞いてるわよ? まだ産む決心できてないんだって?』

『えっ? い、いや、できてないというか、怖いというか(、痛そうというか……)』


 いきなりの問いかけに、何故か恥ずかしくなり、声がどんどん小さくなっていく。最後の方は全く雪さんの耳に届いてないだろう。


『恥ずかしがることないじゃない。怖いということは、それだけ出産を真剣に考えているって事でしょ。それに出産なんて――』

 誰だって怖いと思うよ、自身の膨らんだお腹に手をあて、視線と共に、そっと言葉を落とす。


『私達は命を生み出すのよ。女だから出来ること。だから女は男よりも深く子供を愛する事が出来るんだと思う。女だから“産まなきゃいけない”んじゃない。女だから“産む権利がある”。あなたは元々は男かもしれないけど、逆に喜ばしい事だと思うのよ』

 こんな機会滅多にないわよ、そう言うと、再び蒼太を見て頭を撫でる。

『自分で産んだ子供の可愛さは格別よ』

『そうかも……しれませんね』


 撫でられた蒼太のニコニコした表情と、それを見つめる雪の優しい眼差し。前代未聞の現実に対する不安が少し和らぐのを感じながら、俺はその光景を眺めていた。


『蓮見菜々子ぉ、許さないぃぃぃっ』


 再び起こった蒼太の豹変を目の当たりにするまでは。


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