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37.甘いものには気をつけろ

 少年の母親である雪が、薬局の奥の方から出てきた。


『久しぶりね……ちょっと待ってね』


 くそ生意気なお子様は、母親である雪さんから拳骨を喰らった。猛烈に痛そうだ。少年の頭も、雪さんの拳も。二人共、お互いに接触部を押さえ震えている。


『ウロチョロしないの! あと、そういう言葉を使っちゃダメって言ってるでしょ!』

『ご、ごめんなさい』

 思いのほか素直に謝る息子。

 余程痛かったのだろう。


『お母さんにじゃなくて、お姉さんに謝りなさい』

『ご、ごめんな……』

 タメ語か、このやろう。




 薬局内は比較的広いが、混雑時なのか、待合用のソファーは人で埋め尽くされていた。だが、雪さんの一段と大きくなったお腹を見た若い女性がそっと席を立つ。


『有難うございます』


 席を譲ってくれた女性にお礼しつつ、ゆっくりと腰を下ろす雪。お腹が重そうだった為、肩を貸す。


『ゴメン、有難う……菜……』

『瑞希でいいですよ』

『瑞希君』

『君無しでお願いします』

『瑞希ちゃん』

 もういいです、なんでも。



『それはそうと、息子さん、蒼太君でしたっけ? 頭、大丈夫ですか?』

『確かに、相当悪いわね。誰に似たのかしら』

 そうじゃなくて。


『いや、かなり強い拳骨だったので……』

『ああ、確かに』

 かなり痛かった、と言いながら自分の右手を撫でる。

 だから、そうじゃなくて。


『冗談よ。確かにちょっと強すぎるかなと思うけど。しょうがないのよ、ウチは父親いないから……。私がちゃんと躾なきゃね』


 そう言いながら、今は大人しく電車の玩具で遊ぶ蒼太の頭を撫でる。


『……そういうもんですか』

『そういうもんよ』

 よくわからんが、そういうものらしい。

 確かに、先ほど強烈なお叱りを受けたというのに、まるでそんなことなど無かったかのように母親にくっついている蒼太を見ると、そんなものなのかもと思いもする。

 やはり、こんだけ小さな子供にとって親は親でしかなく、頼らざるを得ない存在なのだろうし、そんな利害関係以上に、母親の持つ母性という究極の優しさは、どんなに剣幕で怒っていてもにじみ出ているものなのかもしれない。


 ま、母親のいない俺には、理解しようにも出来ないのだが。


『話は変わるけど、今日はどうしたの、どこか悪いの?』

『あー、いや。ちょっと虫歯の治療で痛み止めを』

『ああ、そういう事か……。瑞希ちゃん、悪阻酷かった?』

『そりゃもう、多分世界中の誰よりも』

『ははっ、それ、悪阻酷い人みんなが思ってるよ。

いい、瑞希ちゃん。妊娠中って虫歯になりやすいのよ。免疫力も弱いから細菌が増えやすいし、悪阻が酷いと歯磨き怠っちゃったりするでしょ?』

『あー、そういえば』

 確かに、こんなに吐きそうなのに口ん中に異物なんて入れられねーよ、と言う理由であんまり歯磨きしなかったような気がする。しかも歯磨き粉の臭いがまた吐き気を誘発したし。


『やっぱりね。妊婦は虫歯も気を付けなきゃダメよ。麻酔や痛み止めって赤ちゃんに影響あるもの多いからね。ちゃんと歯医者さんには妊婦だって伝えた?』

『あ、はい。菜々子がそうしろって。やっぱりそう言うのって必要なんですね』

『当たり前よ。ヘタな治療されて早産なんて事になったら大変――』

『佐藤さーん。佐藤雪さーん』

『あ、呼ばれた。ちょっと蒼太お願いできる?』

『あ、はい』


 蒼太を俺に任せ、薬の受け取り窓口へ向かう雪。


 麻酔や痛み止めが胎児に影響があるとは。やはり経験者は違うな、と感心しながらその堂々とした姿を目で追う。明らかに以前会った時よりもお腹が大きい。そういえば、もう産まれるんじゃなかったっけ?


 雪が向かった窓口には中年の女性が調剤した薬を待っていた。


『じゃ、はいコレ、鎮痛剤ね。佐藤さん、もうすぐ予定日でしょ? 甘いものは控えなさい。麻酔とか赤ちゃんに影響が出ないとも限らないって言ってるでしょ』

『あ、はい、気をつけます』

『よろしい。お大事に』


 少しずつ、ゆっくりと、堂々と、それでいて少し照れくさそうに、雪は戻ってきた。


『いやー、ゴメン。待った?』

 軽。しかも謝るのソコ? 


『じゃ、先に行ってるわね』

 へ?


 それじゃ早速、とばかりに少し眠たげな蒼太の手を引いて玄関へ向かう。



『え、行くってどこに……?』

『え? だから「舌鼓」』

 甘いもの食う気満々だよ。なんで疑問符? それに「だから」って。前もって何も言ってないよね? しかも、なんも反省しとらんな、この人は。薬剤師さんの話聞いてたか?


『いや、マズいでしょ?』

『大丈夫!』

 何を根拠に言ってるのか甚だ疑問だが、鋭く言い放つ雪。


『……次は虫歯にならないように気をつけるし』

 全く根拠無し。それ、とっても芯の弱い人のセリフだから。子供に躾云々言えないよな、これじゃ。


『いや、本当にマズいで――』

『奢るよ』

『……本当に気をつけて下さいね?』

『そりゃもう気をつけるわよ。じゃ、また後でね』


 そう言い残し、雪は改めて玄関に向かって歩き出した。


 虫歯にならなければ、麻酔をする事もないし、痛み止めを飲む必要もない。しっかり気をつければ大丈夫だ。


 『甘い話には気をつけろ』



 先人の言葉を守っていく事は、人生を謳歌する上でとても重要な事なのだ。

 「甘い(もの)」は「気をつけ」れば問題なし。そう捉えられなくもない。


 10分後、手に入れた痛み止めを片手に「舌鼓」へと向かう俺には、もう迷いはなくなっていた。


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