36.激しい痛みと荒くれ者
『つまらん昔の話だ……』
菜々子とのケンカの経緯を話し終わった親父さんは、俯きながらそう呟いた。溜め息混じりに出た『つまらない』という言葉とは裏腹に、その表情には『できることならどうにかしたいが……』という、後悔と諦めが入り混じっていた。
いざこざの原因は親父さんの勘違いからきたものである。だが以前から菜々子が反抗期に入っていたという事もあるようだが、お互いが元来、短気で頑固者だ。親父さんも、その場で謝るという選択ができなかったというところだろうか。
何故あんな事を言ってしまったのか。あの時ああしていたら。こうしていれば。
後悔先に立たず……というが。 過ぎ行く日々の中で、遠く離れてしまった娘を想う気持ちは膨れ、孫娘が写る写真がその思いを決意に変えた、というところだろう。
で、この前の訪問に至るというわけね。まあとにかくだ……。
『完全に勘違い、ということですよね?』
『……そうだ』
万事解決だ。俺が仲を取り持てば済む話。お互いが顔を合わせる事が出来れば、あとは親父さんが想いを伝えるだけだ。……あとはどうやって二人を会わせるかだな。……よし――
『俺に任せて下さい』
『む?』
――カレー作戦決行だ!
俺の思考回路が、菜々子達を再び結びつける為の計画を構築していく。最高の作戦を立て、最高の準備をする。それらが最高の結果を生み出すわけだ。
……しかし親父さんにそんな過去があったとは。彫刻家とは。そう言われてみれば実家の庭に色々なオブジェのような物があったような。灯籠とか何か変な石像とか……。作ったのか、自分で。まあ人それぞれ色々な趣味がある。なにはともあれ、今はとりあえず菜々子達をどうにかしなきゃな。
早速準備に取り掛かる為、立ち上がろうとした。
『痛っ』
『ん? どうした瑞希?』
……あれ? 気のせい――
『痛たたたたぁ』
――じゃない!
『おい、瑞希! 大丈夫か!!』
『は……が……痛たたたたたたたぁ』
『うわぁっ、こりゃヒドい。キミ、見てみなさい』
見せ物じゃありません。
『わっ、スゴいですね?』
うるせーな。
『だろ? あーあ、こんなになるまで……ヒッヒッヒ』
気持ち悪っ。
『せ、先生?』
ほら、相方焦ってるぞ。
『いや、スマン。久しぶりに治療し甲斐のある患者だとな。キミもそうだろ?』
ほっとけ。
『うふふ、もう先生ったらん』
たらんて。
『ヒッヒッヒ。じゃ、そろそろ麻酔も効いてきた様だし、やるかな』
生理的嫌悪感が溢れてくる機械音が響く。その向こう側では気色悪い笑い声。そしてそれらを俺の絶叫がかき消していった。
『では蓮見さん、健康保険証お返ししますね。痛み止め出てますので、隣の調剤薬局へこちらの処方箋をお出し下さい』
『ありあとうおあいまいた』
『お大事に』
歯科医院を出て、すぐ隣にある薬局へ向かう。
しかし散々な目にあった。
俺は親父さんの家で突然、歯の痛みに襲われた。あの激痛は思い出したくもない。あまりの痛みに吐きそうになった。もう虫歯やだ。あと、この歯医者嫌い。
しかし、何でまた急に……。今まで虫歯なんて……たまにはあったけど。
そんな事を考えながら薬局の自動ドアをくぐると――
『いってぇーなっ!』
――荒くれ者にぶつかった。
『どこみてあるいてんだ、ネーチャンっ』
このやろう。いい度胸だ。面に出ろ。もうちょっと大きくなったらな。
どう見ても小学低学年の荒くれ者は、電車のオモチャを手に好戦的に構えている。
俺はそれでも良いのだが、やはり世間体と言うのがある。ここは穏便に……。
『危ないよボクゥ?』
自分でも鳥肌が立つような声で宥めつつ、頭を撫でようとした――
『やめろっ』
――が払われた。
このやろう。
『こら! 蒼太ぁ!』
ここで母親登場。待合席にいたようだ。良かった良かった。これで無益な戦いをしなくて済んだ。しかし、母親が一般常識を持った人物で助かった。たまにいるんだよな。「ウチの息子は悪くないざます」みたいな親。だけど、この子の親かぁ。大変だな。
『なにやってるの全くっ!』荒くれ者の母親が凄い剣幕で近づいてくる。
……あれ?
『あれ? 瑞……菜……穂ちゃん?』
荒くれ者の母親は、俺を変な名前で呼んだ。
『なんですか、その名前は……。お久しぶりです、雪さん』
想像以上の母親が登場だった。