34.今できる事
郵便受けにチョコ入りの封筒。嫌がらせ以外の何物でもない。入れた人物は一人しか思い当たらない。
『蒼井さんが?』
『ああ』
『なんで蒼井さんが?』
『なんでって……はぁ、相変わらず……痛い』
『誰がバカだ』
「相変わらず」の時点で次の言葉を完璧に読まれたらしい。コイツ、実は天才かもしれない。てかその前に妊婦をおいそれとバシバシ叩かないで欲しい。
『まあとにかく、蒼井の宣戦布告で間違いないだろう。どうすっかな?』
『どうするって?』
『対策だよ、対策』
『対策? 何の?』
ホントにコイツは、と頭の片隅で貶そうとするも、思考読みの天才を前に自粛する。しかし、なんでまた、こう自分が貶される事に関してだけはいっちょ前に頭が働くのか不思議でしょうがない。その能力をもっと他のほうに使えないも―――
『……痛い』
無理。貶さないように思考を操作するなんて絶対無理。
『対策立てるのは良いけど、なんで瑞希はそんなに騒いでるの?』
菜々子が俺の頭に突き立てた拳を撫でながら聞いてくる。
『いや、だから……』
『騒ぐような事? チョコ入り封筒が郵送されたくらいで』
『そりゃ、騒ぐ……』
……ような事……でもないのか?
『確かに嫌がらせかもしれないよ。でも対策考えたりするような事かな? ほっとけばその内止めるんじゃない?』
……そうなのか?
島谷は蒼井の事を「自分が欲しいと思った事に関しては何だってやる」と言っていた。「命を奪うなんて馬鹿な事はしない……と思いたい」とも。それってほっといたらかなり危険な事しそうだって事だよな。
……いや、まてよ。島谷は蒼井に対してどう気をつければ良いか「わからない」とも言ってなかったか? それって「何をしてくるのかわからない」からだよな。「何だってやる」と認識してるのに「どんな行動を取るか不明」ってのは矛盾してないか? 「今回に関しては」何するかわからないのであって昔なんかやったのかもしれないが……。こいつは島谷に問い詰める必要がありそうだな。
『確かに今はまだ騒ぐ必要はないかもしれない。でも、とりあえず警戒だけは怠らないようにしよう。何かあってからじゃ遅いからな。俺は島谷の言葉が少し気になるから、明日辺り聞いてみる』
『何が気になるの?』
『いや、何かを隠してるような気がするんだよね』
そうだ。島谷に助言された帰りに感じた違和感がこれでハッキリするかもしれない。
『しかし、やる事が増えてくなぁ』
『何が?』
『いや、何でもない』
蒼井への警戒。
島谷への問い詰め。
菜々子の親父さんへの事情聴取。
妊婦石の調査……これは隼人の連絡待ちだが。
とにかく、今出来ることをするか。
『……菜々子、ちょっと出掛けるわ』
『え、うん。買い物でしょ?』
忘れてたよ。
『あ、ああ、買い物も行くけど、ちょっと……』
『どこ行くの?』
菜々子の瞳には疑いの色が濃く出ている。
『茂宮』
『もみや?』
『そう、茂宮んとこ。今日検診来いって言われてたんだ。忘れてた』
『今日休診日だけど?』
忘れてたよ。
『…………なんだけど、友達のよしみで休診日でも良いんだって。ほら、アイツんとこ混むだろ?』
『……ふーん……まあいいか。買い物よろしくね』
どうにか理由つけて家を出れた俺は、ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
『親父さんとこ行くなんて言えないからな』
今俺が出来ることは、菜々子と親父さんの仲を取り持つ事だ。以前から行こうと思っていたのだが、隼人の訪問やら何やらで先送りになってしまっていた。菜々子の話を聞く限り、二人の間には誤解という見えないものが存在しているはず。それは本人達だけで取り除くのは無理だ。ことあの二人、特に菜々子に関しては取り除く気すらないように見える。親父さんは気づいているようだが、相手が菜々子だけにどうしていいかわからないだろうし。とにかく菜々子が高校三年生の時、あの二人の間に何が起こったのか。菜々子の話だけでは見えてこない。
『親父さんに確かめなければ』
俺は決意を新たにエレベーターの呼び出しボタンを押した。
『ここか』
自宅マンションより徒歩30分程の住宅街に佇む築5年程の小綺麗な二階建てマンション。これが親父さんの根城のようだ。外観から察するに、2DKほどの間取りだろうか? 建物中央に登り階段、その両脇に部屋に続く玄関がある。4世帯全部のベランダが正面玄関のある南向きに位置されていて陽当たりは申し分なさそうだ。建物の前には各部屋の駐車場まである。
『良いとこに住んでるなぁ……さてと』
住所を確認する。部屋は201号室。階段で2階へ昇ると佐々木の表札が目に入った。
『ここだ……どこまでアロハ好きなんだよ』
表札にはハイビスカス柄の台紙が使用され、この数センチ枠の世界だけ見事に外国だ。
『武道は和だ、という割に結構アロハに侵蝕されてるんだよな』
『アロハシャツの起源は和服という説もあるのだ』
『へー、それは初耳……だぁあっ』
いきなり背後からの弁解。振り向くと菜々子の親父さん、佐々木蓮司が立っていた。
『お義父さんっ』
『どうした? 入らないのか?』
親父さんは、解錠し玄関のドアを開けながら少し不服そうに促した。
『え? ああ、すみません。失礼します』
中に入り室内を見渡す。元々家財道具が少なかったのか、引っ越してきたばかりとは思えないほど部屋は片付いていた。
『そっちの部屋で待っていろ』
『はい……』
促された六畳程の部屋に入る。
何もない。テレビとちゃぶ台が置かれた殺風景な部屋だ。とりあえず腰を下ろす事にした。最近少しずつ悪阻も落ち着いてきたが、妊娠してからというもの疲れやすいようだ。
『今日はどうした、瑞希?』
間もなくお茶を淹れてきた親父さんが腰を下ろしながら尋ねる。
『あ、お構いなく……えっと、実は確認しておきたい事がありまして』
『確認?』
『ええ。大分昔の事なので忘れてしまっている部分もあると思うのですが、菜々子が高校三年の時の事なんですけど……』
『ああ……卒業と同時に家を出て行った時の事か』
『そうです。菜々子の話だとお義父さんから「出ていけ」と言われたからだと』
『そうだ、その通りだ』
親父さんは返事と共に手に持ったお茶に視線を落とした。昔の言動を後悔するかのように、その体は一回り小さく見えた。
菜々子との確執を決定的にした言葉。そのせいで娘が離れ、孫にも会いにくくなった。親父さんは確かにその言葉を口にしたようだ。
だが、俺が訊きたいのはその事ではない。
『それは……その言葉は菜々子に対して言ったんですか?』
俯いた親父さんの体がびくりと揺れた。