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32.好青年とストーカー

 自宅マンションに着き、我が家のドアを開ける。

 お目当ての香奈は、彩をハイハイさせて遊んでくれていたようだ。


『菜々子、お帰りなさい。あ、瑞希君、お邪魔してます』

『悪いね香奈ちゃん。彩見てもらっちゃって』

『全然大丈夫だよ。彩ちゃんといると楽しいし』


 遊び疲れた彩は、離乳食もそこそこに寝てしまった。ベビーベッドに寝かせた後、香奈を交えての夕食となった。


『悪いね。夕食まで作らせちゃったみたいで』


 帰ってすぐ食べられるようにと、香奈は夕食を用意してくれていた。ほうれん草と鳥の肉団子の入ったクリームシチューとシーザーサラダ、持参した手作りコッペパンが食卓に並ぶ。


『このくらいで罪滅ぼしが出来るなら安いものよ』

『香奈!?』

『あ、ごめんなさい』


 先の一件は、香奈にとってはまだ尾を引いているようだ。俺や菜々子がもう気にしていないと言っても、元来真面目な性格の香奈は未だに謝ってくる。菜々子はそんな香奈の態度が気に入らないらしい。親友なんだから、もういい加減気にしてほしくないのだろう。俺は菜々子のそういう竹を割ったような性格が大好きだ。

 ほらまた謝る、といいながら香奈を見つめる菜々子の表情は、親友に対する慈悲の色に染まっていた。


 食事の挨拶をし、心のこもった料理を口に運ぶ。


『うまっ!』

『ホント、美味しい! さすが香奈』

『本当? 良かった!』


 美味しい料理を囲み、楽しい団欒が続く。三人の関係が、今はとても心地よい空気を纏って結ばれてる感覚があった。

 そんな状況の中、話を切り出すのは香奈にとって綴じかけた傷口を開く行為に値するものかもしれない。しかし、菜々子の命にも関わるかもしれない問題なので、意を決して話題を振る事にした。


『……香奈ちゃん』

『えっ? なに?』

『実は蒼井渚の事……なんだけど?』

『えっ!?』途端に香奈の表情が曇る。

『いや、ごめんね。変な事言っちゃって。実はさ―――』


 俺は島谷真澄と話した内容を香奈に伝えた。香奈に話す事で、現時点で蒼井渚がどんな手段に出てくるのかを見極めたかったのだ。だが、香奈の答えは―――


『わからない?』

『ごめんなさい。渚ちゃんとは本当につい最近知り合ったばかりで、どういう人かっていうのは……ただ、そんな危ない事をしようとする子には見えなかったけど……』

『だよねぇ……そうだよなぁ』


 香奈にとって蒼井渚は、恋敵を陥れる為の協力者に過ぎなかった。悪く言えば道具だ。遠出をしたければ車に乗るし、膨大な情報を瞬時に得たい時はパソコンや携帯を手に取る。だが、使用者は車やパソコンなどの内部構造がどうなっているかなど気にもとめないものだ。使用しているうちに、何らかの内的要因が働き、故障が発生し良からぬ事態を招く事になるなどわからないのだ。

 蒼井渚という便利な道具は予期せぬ故障を発生し暴走してしまった。その原因なんて、香奈が知るはずもない。


『ごめんなさい。役に立てなくて……』

『あ、いや、大丈夫。こっちこそ変な事聞いてゴメン』

『でも、まだ探る事は出来るかも』

『え?』

『実は渚ちゃん、まだうちの店に来ているのよ。私に恋敵宣言してからもたまに』

『「恋敵」? ああ、あの子は、香奈ちゃんが俺の事を好いているって思ってるんだっけ? ……あれ…………?』


 なんだ? なんか引っ掛かるものがある。


『どうしたの?』

『えっ? ……いや…………』


 島谷と話した時も感じた違和感。今回の一件。全体的に何か矛盾を感じる。だが、その正体がわからない。靄がかって手を伸ばしても掴めない。


『要は、何かしてきたら全力で返り討ちにすればいいんじゃない?』


 本日二度目の短絡的回答。菜々子はもう、この議論になんの興味もないらしい。自身に襲いかかる可能性のある事柄に対し、ここまで簡単に結論をつけられる神経は流石というか何というか。

 島谷との話の時と同様、ここでも菜々子に半ば強制的に議論を打ち切られた。

 香奈は帰り際、これから注意して蒼井渚の動きを見ていくと言っていた。




 翌日の仕事中、安藤が昼食に誘ってきた。

 まだ何も起きてはいないのだが、蒼井渚の存在に対するプレッシャーもあり、疲れが顔に表れていたらしく、気遣いも兼ねて誘ってくれたようだ。

 昨日の今日で蒼井渚もいる「懇談室」で昼食をとる気も起きず弁当も持ってきていなかった事もあり、快く承諾した。

 先日のレモンスライスといい、安藤の好青年レベルが急上昇している。女になる前はチャラ男としか見ていなかったが、本格的に見直してきた。この気遣いは必ず今後の営業マン人生で輝きを放っていくはずだ。


 昼休み。

 駅前のイタリアンでパスタを食し社に戻る道すがら、不意に声を掛けられた。


『あの、これ落としましたよ?』

 振り返ると、緑色のカードを差し出す女性が立っていた。


『私? 有難うございます』


 受け取ったカードを見て硬直する。菜々子の健康保険カードだった。


 マズい! 見られたか?!


 妊婦検診で使用している菜々子の健康保険カード。それなりの訳があっての事だが、違法である事には変わりない。

 拾い主の女性は見知らぬ人物。問題はない。だが、安藤に見られると……。

 恐る恐る安藤に目をやる――――


 彼はカードには目もくれず、一点を凝視していた。


『――――ゆ、優子ちゃんっ?』

『やっぱり遊人君だ。会いたかった!』優子と呼ばれた女性はそう言うと、安藤に抱きついた。

 咄嗟の事で何だかわからなかったが、安藤の表情が喜ばしい再開を物語るものではないことを暗示していた。



『……実は付きまとわれていまして。元々付き合ってもいなかったんですが、ある合コンで知り合って、いつの間にか電話番号とアドレス知られてたり、家の前で待ち伏せされてたりで。共通の友人を介して話したりしたんですがダメで……挙げ句は警察呼んで事件解決……と思ったんですけどね……』


 まさか会社まで捜し出しているとは、と落胆する安藤。


 要はストーカーというやつだ。

 確かに嫉妬深そうだった。安藤が形式上、俺を紹介する時の背筋が凍りそうなほどの冷たい瞳。


『でもやっぱり、また警察に動いてもらうしかないんじゃないですか?』

『そう……ですよね? なんか断るのも怖くて。でも、やっぱり無理なものは無理だし……また警察に言ってみます』


 以前よりは法律も変わり、ストーカーによる事件の最終結末は最悪なものを免れる事が増えてきているようだが、まだまだ警察の力が十二分に及んでいないのも事実なのかもしれない。

 だが、だからと言ってなされるがまま、手をこまねいて見ているだけでは何も解決しないのも事実。


 未だに実力行使にでない蒼井渚にしても、今後の展開によっては警察に頼らざるを得ない状況になるかもしれない。

 会社の後輩である蒼井渚を警察に突き出す事は出来れば避けたい。良心の呵責もあるが、会社というブランドに著しく傷が残るし、犯人が社長の娘とくれば、その傷は会社への致命傷となりかねない。

 会社がなくなれば、俺達家族も大打撃を受ける。

 かといって、蒼井渚の暗躍を放置する事も家族を危険に晒す事に変わりはない。


 穏便に事を済ます道をなんとしても探さねば……。


 苦悶の表情を浮かべる安藤を尻目に、固く決意したのだった。


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