31.家族を護るは男の務め
環境の変化は身体に影響を与え、身体への影響は心に変調をきたす。
逆もまた然り。
まさしく俺の心の同様は、味覚を掻き乱してしまっていた。
ケーキが美味くもなんともないな……。
島谷の話は折角の「舌鼓ショート」を台無しにしてくれた。
俺の心身に多大な影響を与え、至福のひとときを破壊した原因が脳内を埋め尽くす。
蒼井渚。
島谷の従姉妹であり、我が社の社長令嬢であり、新入社員の分際で重役出勤の常習犯。
菜々子の親友である香奈とも繋がりがあり、一時は俺達夫婦の絆を断ち切ろうと暗躍した香奈の協力者でもあった人物。
なんの勘違いか、男の時の俺、つまり瑞希に対し恋心を抱き、今度は主体者として俺と菜々子の関係を引き裂こうとしているらしい。
あくまで島谷の推論。
されど島谷情報はバカに出来ないのも事実。
慎重にならざるを得ない。
『で、彼女に対してどう気をつければいいんスかね?』
気をつけろと言うことは、今までにも自分の私利私欲の為に多少強引な手口を使い、欲求を満たしてきた事実があっての事だろう。
『わからないわ』
『は? わからない? 島谷さんは、今までにも彼女が色々やらかしてきたから注意しろって言ってるんですよね?』
『渚ちゃん、というより父親ね』
父親?
社長の事か?
『以前、渚ちゃんとトラブルがあった連中、要は邪魔者達は家族共々行方不明になったりしてるの。まあ、詳しく調べたら、本人やその家族の仕事の都合で地方に突然飛ばされたとかなんだけど。で、原因は社長が裏で手を回してお金の力使ってやった事で……』
『ち、ちょっと待って……社長が金使ったって……ウチの会社の社長でしょ? あんな中小企業の会社の社長が裏金使ったって……』
今でこそ少しずつ利益が出てきているが、社長自体がそもそもそんなに潤った収入を得られるような会社ではないはず。
『ああ、あの会社は社長が道楽でやってるだけだから。あそこはもともとが大金持ちの家系だからね。社長の曾祖父の代くらいから。だからお金は有り余ってるみたい』
……そういうこと。
でも……?
『ウチの母親の妹が渚ちゃんの母親。金銭的なおこぼれは一切ないのよね』
疑問の残った表情で島谷を見つめると、補足が入る。
……なるほど。
『じゃあ、そのお邪魔な方々は消されたとかではなくて、無事って事ですよね?』
『社長が動いてる場合はね』
『えっ? それって……』
『社長はなんだかんだで平和主義者、ってほどではないけど物事を穏便に済ませようとするタイプだから、裏金使って地方に飛ばす程度。まあ、いざとなったら私が止めるから大丈夫……弱み握ってるし……』
しれっとした表情で言いのける島谷。皿に残った一口サイズのスポンジケーキをフォークで突き刺し、恍惚そうに笑みを浮かべる。
一番怖いのはアンタだ。敵じゃなくて良かったとつくづく思う。……でも、そうであるなら――
『問題解決じゃないですか。島谷さんが社長の弱み……敢えて聞かないですが、それ使って社長を抑えてくれるのであれば、俺らが注意する必要がないんじゃ……』
『社長はね』
『はあ? ……いや、だから今まで色々とやってたのは社長でしょ?』
『今まではね』
『今までは?』
『今までは、事ある毎に社長が裏金使って動いてた。でも、今回は私が阻止するから社長は動かない。てことは?』
蒼井渚本人が動く、ということか……。
俺の表情から、考えている事が一致したのを確認した島谷は、大きく頷いた。
さっき、何に注意すればよいかという質問に対する答えがここにあったようだ。
今までは社長が裏金使って動いていたが、今回は今まで自身の手を汚さなかった蒼井渚本人が動く。どう動くかもわからないから、どう注意すればよいかもわからないって事だ。
『まあ、とは言ってもまさか命を狙ってくるとか、そこまで馬鹿じゃない……と思いたい』
『……ですよねぇ』
『ねえ?』
ケーキを食べ終わり、セットの紅茶も飲み干した菜々子が、つまらなそうに頬杖をついて話しかけてきた。
『なに?』
『さっきから何を話してるの?』
『『え!?』』
今まで全く発言がなかった理由がわかった。話についてこれていなかったようだ。
『要は、何かしてきたら全力で返り討ちにすれば良いんじゃない?』
10分程かけて説明した結果、菜々子なりに出した結論がこれだ。恐ろしいほどに短絡的過ぎるが、何をしてくるかわからない以上、議論を重ねても的確な対応策が浮かぶ筈もなく、「それでいいか」と話を打ち切ることにした。
店を出る際に、俺は気になっていた事を島谷に質問してみた。
『なんで島谷さんはこんなに俺達の事を心配してくれるんですか? 叔父さんでもある社長を敵に回してまで』
『うーん、社長を敵に回すつもりもないし、その前に社長はそんな悪い人でもないし……でも、あなた達に対する行動は、菜々子ちゃんや(便利な使いパシリの)瑞希君が好きだからよ。他意はないわ』
途轍もない他意を感じつつ、俺達は店を後にした。
島谷と別れたあとも、何かよくわからない違和感を感じていた。ただ、考え出すときりがなく、答えもどうせ纏まらないだろうと、思考を一旦外へ移す。
菜々子と二人で歩く自宅近くの桜並木。
梅雨も半ばのこの時期は全く美しさを感じない風景だが、やはり菜々子と並んで歩いている感覚はどこか心地良く感じる。
菜々子を見ると不安な表情を地面に落としながら歩みを進めている。
再度、蒼井の事が頭を過ぎる。
なんとかしなければ。
通常であれば、俺が蒼井に直接「俺達家族を壊すような真似をするな」と言えばすむ話。だが、今の体は瑞穂なのだ。言ったところでキチガイ扱い。仮に瑞希だと認識したとしても、下手したらその事をネタに脅されたりするかもしれない。でも、菜々子を護れるのなら、それでも構わない。いざとなれば、覚悟を決めて家族を護るのが男の務めだ。……今は女だが。
『大丈夫だ。俺が絶対に護ってやる。安心しろ』
『……瑞希』
『……菜々子…………あれ? お前、そういえば彩はどうした?』
『え? ああ、彩? 香奈がうちで面倒みてくれてる。今日は仕事休みだからって』
『香奈ちゃんが?』
『うん』
香奈か。確か蒼井と繋がりがあったな。
『よし、香奈ちゃんに少し話を聞くか』
不安感を一秒でも早く消し去りたい思いで、俺達は家路を急いだ。