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2.浮気者

 香奈の部屋があるマンション前に着いたときには、深夜0時を回っていた。

 この辺りは駅前である為、夜も遅いというのに、まだ人通りが多い。よく見るとサラリーマンや若者の酔っぱらいが目立つ。終電に間に合うのか駅に向う者、オール決定でカラオケボックスに入っていくグループ、同僚に見捨てられ泥酔してしまっているオヤジ。意味不明な叫び声をあげたり、陽気に大笑いしている者が行き交っている。

 そんな連中が蠢く駅前通りでは、赤ん坊を抱いた女性はとても奇異的な存在だろう。酔っぱらいに絡まれやしないか、内心ビクビクしながら歩いてきた。まして、最近の日本はなにかと物騒だ。生きた心地がしない。


『菜々子!』


 香奈はマンションのエントランスの前まで出てきてくれていた。


『香奈ぁ』


 それまで気を張っていたアタシは、香奈の姿を見た途端、その場に跪いてしまった。


『ちょっと、菜々子、大丈夫?! とにかく部屋に行こ!』




 香奈の部屋に着いたアタシは、煎れてもらったコーヒーを飲み、リビングで一息つかせてもらっていた。彩は隣の寝室で眠っている。

 20階建ての一室。3LDKのこの部屋は一人で住むには広すぎる位だ。駅前で都心からも近い高級マンションである。

 香奈は若くして高級エステのオーナーだ。テーブルなども高そうだ。


 『で、どうしたの、こんな夜中に? 瑞希君は?』

 『えっと……アタシ家出したの』

 『家出? なんでまた?』


 アタシは事の経緯を説明した。

 子供ができてからというもの瑞希の行動に家族への愛情が感じられない事は、香奈にも散々電話で話をしていた。が、今日はそれどころではない。帰ってきた瑞希のスーツに女性用の香水の匂いと髪の毛が付いていたのだ。

 仕事だ仕事だと言いつつ、結局のところは浮気なのだ。

 飲み歩くだけでは足らず、家族を裏切り、自己の欲望のみを求め続ける不届き者だ。簡単には許してやらない。アタシは固く心に決めていた。


『……ふーん。要は、早とちりかもしれないのに、瑞希君の弁論も聴かず、彩ちゃんを巻き添えにして逃げてきたわけだ?』

『な、何言ってんのよ!! だって――』

『シッ! 彩ちゃん起きちゃうよ?』

『っ。……弁解の余地なんてないでしょ? スーツに髪の毛よ? 香水よ?』

『香水に髪の毛……って、電車乗ってればそれ位付くんじゃない?』

『ん? ……うん? …………うーん』


 確かにその通りである。

 今、自分が最高のアホ面をしてるであろう事は、香奈の笑い顔を見れば明白だった。


『今日はもう遅いから、明日にでも家に帰って仲直りしなさい。いま瑞希君に電話してきてあげるから。』

『えーっ!? アタシが謝るの!?』

『彩ちゃんが可哀想でしょ?』

『……どーもすみません』

『はい、わかったらさっさと寝る準備しなさい。あ、男紹介する件はよろしくねー』

(…………どーもすみません)

『ん? どーしたの?』

『えっ? なんでもないよ。わかった』


 専業主婦のアタシに男友達なんているわけないじゃない。どーしよっかなぁ? 瑞希の友達にめぼしいのいるかな? 香奈に釣り合いのとれる男なんていないよなぁ


 香奈は早速瑞希に連絡をしてくれた。明日は10時位に家に戻る事となった。

 飲み歩く件は譲れないけど、浮気に関しては確かにアタシの早合点かもしれない。

 若干不本意ではあるけれど、明日は最高の笑顔で帰ってあげよう。


 香奈に敷いてもらった客用の布団に潜り込む。陽の匂いがアタシを包む。隣には瞼を閉じた天使寝顔があった。


 今日は連れ回しちゃってゴメンね。明日おうちに帰ろうね。


 内心ホッとしていたのかもしれない。このまま瑞希と別れるなんて事になったらどうしようと思っていた。

 自分が謝らなければならないにしろ、仲直りが出来る事が嬉しかった。

 アタシの心は、数時間前の苛立ちが嘘のように消え、逆に小踊りしたくなるくらい有頂天だった。


 早く瑞希に会いたいなぁ。


 遠足前夜のような昂揚感が睡魔を妨げ、なかなか眠りにつけなかった。ようやく意識が遠退いた時には、外に白みが射していた。




 香奈に叩き起こされたのは午前7時。

 彩は既に起きて、香奈からミルクを飲ませてもらっていた。見たことのない哺乳瓶だ。


『……ゴメン、有難う。それ、どうしたの?』

『ん? ああ、コレ? マザーズバックには哺乳瓶入ってなかったからね。アンタの性格上、こんな事もあろうかと用意しておいたのよ』

『ええ!? ホントに?』


 本当だった。持ってきたマザーズバックには哺乳瓶どころかミルクすら入っていなかった。ケンカした勢いでそのまま出てきてしまったから、何も用意してなかったのだ。


『ご飯テーブルに用意したから食べなさい。大したものないけど』

『ホントに有難うございますだ』

『はよ食べや』


 テーブルにはハムエッグに和風サラダ、味噌汁、納豆など、至れり尽くせりな料理が置かれていた。アタシは有り難く戴いた。


 しかし、香奈は本当に気が利く人間だ。昔からクラスメイトなどから人気があった。だが、付き合った男とは、不思議とうまくいかない。付き合った男達から話を聞く等という野暮な事はしたことがないから、理由は未だに不明だが。本人に聞いても、フラれたとしか言わないし。


『食べたらさっさと支度して、早く帰りなさいね。もう家出しちゃダメだよ』

『はい』


 食事の後シャワーを借り、念入りに化粧をした。まるで初デートの時のように。


 瑞希、怒ってるかなぁ? 心配してるよな。許してくれるかなぁ?


 9時過ぎに香奈の部屋を出た。

 外はあいにく雨が降っていたので、香奈に車で自宅マンションまで送ってもらった。


『何から何まで有難う』

『いいよ。彩ちゃん風邪引いちゃうから早く入んな。仲直り出来たら電話ね』

『うん、わかった。するね』


 香奈の車を出たアタシはマンションに入っていった。

 香奈のマンションに比べれば月とスッポンポンだが、彩が生まれる2年前に買ったまだまだ新しいマンションだ。入居世帯数は40ほど。そんなに大きくないが、アタシたちの城だ。

 303号室に来たアタシは、鍵を開け、ドアを開けた。


『瑞希ー! 昨日はごめんね! 帰ったよー!』


 照れ隠しの大声を発しながら、中に入り玄関で靴を脱ぐ。

 廊下を進むと右側にドアがある。瑞希の書斎だ。


『瑞希?』


 書斎に瑞希はいない。


 トイレかな?


 書斎を出て向かいのドアをノックする。返事はない。

 浴室からも音はしないのでシャワーでもない。

 廊下を進みリビングへ。そこにも瑞希はいなかった。

 キッチンにも姿がない。


『瑞希ぃ?』


 おかしい。

 帰りは10時と約束していたはずである。


 まさか、まだ寝てる?


 少しイラっとしてきた。

 彩はそれを感じ取ったのか、少しぐずり始めていた。

 寝室はリビングに隣接している。寝室の前まで来たアタシは勢い良くドアを開けた。


『瑞希! まだ寝てるの!?』


 ベッドの上には布団が被さっている。


 まだ寝てる、この野郎ぉ。せっかく人が謝りに帰ってきてやったのに……。


『早く起きろ!!』


 アタシは布団をひっぺがし、瑞希を叩き起こしにかかった。


『あれ?』


 布団には誰もいなかった。

 彩が泣き出す。その時、リビングの方で物音がした。


『瑞希?』


 急いでリビングに戻ったアタシが目にしたのは、髪の長い女の後ろ姿。茶色い髪をなびかせながら、彼女は廊下を走っていた。玄関のドアを開けると、逃げるように外へ飛び出した。


『は?』


 しばらく呆然としていたアタシは、彩の泣き声で我に帰った。


『……ああ、ゴメンゴメン。おーよしよし』


 彩をあやす声が他人のものに聞こえる。


 誰だ、あの女は?

 瑞希は?

 部屋間違えた?


 彩をあやしながらリビングを見回す。そこには見慣れた家具がキレイに並んでいる。

 寝室に戻ったアタシは、ベッドに腰をかけた。よくみると、所々に髪の毛が落ちている。親指と人差し指で一本拾い上げたそれは明るい茶色。瑞希も明るい茶色だがもっと短い。せいぜい耳にかかる程度だから20センチ程の長さだ。これは50センチ以上ある。アタシは背中まであるから大体同じ長さだが、色は黒。


 …………と、いうことは?


 『…………瑞希ぃぃ! やっぱり浮気かぁぁぁあ!』

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