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26.怒りの原因

 香奈から事の発端を聞いている最中も、菜々子は寝室に入ったきり出てこなかった。

 菜々子と香奈を仲直りさせようにも、二人が揃わなければ話にならない。まずは俺達が寝室に入るか、菜々子がリビングに戻るかしなければ。だが、俺達が寝室に入るのは危険極まりない。ただでさえ怒っているのだ。招かざる客の来訪は、菜々子の逆鱗に触れ、怒りに油を注ぐだけだ。とすると、菜々子をリビングに戻すしか選択肢はない。

 俺は菜々子が自らの意志でリビングに戻る行動に出るよう、準備を始めた。





『……材料は……よし、揃ってるな』

『なにする気だ一体?』


 冷蔵庫に顔を突っこんだ俺の肩越しから隼人の疑問を含んだ声が聞こえてくる。


『ん? ……今、何時だ?』

『質問を質問で返すか……えっと、19時半だけど……それが仲直りさせる事と関係あるのか?』

『人間を始め全ての動物は欲望によって行動を起こす生き物ですよ。他の動物と比べ人間はその欲望を理性によって制御するが、欲望つーのは押さえれば押さえる程、理性が負けた時の反動は強い……』


 冷蔵庫から人参とシメジを出しながら説明を加えていく。


『性欲、睡眠欲、自己顕示欲……生理的なものや精神的なものまで沢山あるが……その中でも、菜々子が今まさに戦っている欲望がある。それは――』


 隼人の方へ振り向き、鼻先めがけて人参を差し出すポーズを決める。


『――食欲!』

『痛い、瑞希。当たってる』

『あ、悪ぃ』隼人の鼻っ柱に当たった人参を顔から離し、続ける。

『もう19時半だ。奴は意地っ張りなところがあるが、料理の匂いに負けて、必ず出てくる。そこで俺の特製カレーの登場で、機嫌が戻るはずだ!』

『そんなうまくいくかなぁ?』

『大丈夫だ。任せろ! お前らの分も作るから、リビングで待ってろ』


 顎でキッチンからの退出を促す。


『わかったよ……それより瑞希』

『あん?』

『エプロンは着けろよ? 今のお前ならフリルが装飾されたヤツが似合いそぶっっ』

『早く行けっ』


 俺は隼人の鼻っ柱に裏拳を決めキッチンから追い出し、調理を開始した。







 20時10分。

 完成したカレーをライスを乗せた皿に流し込む。水の割合を多くし少し緩めに作ったカレーが、ふっくらと透明感のあるライスに吸い込まれていく。大量の湯気がカレーの匂いを巻き上げて嗅覚を刺激する。


『出来たぞ』


 かなりの出来具合に自然と顔が綻ぶ。


 この匂いを嗅んで出てこないはずがないな。これで「カレー大作戦」も成功したも同然だ。


『出来たのか?』早速匂いを嗅ぎつけた隼人がキッチンに顔を出した。

『おう、バッチリだ。これで必ず菜々子はリビングに戻ってくる』

『そんな単純にいくかなぁ?』

『絶対大丈夫だ。アイツはカレーが大好物だからな。まあ時間はかかるかもしれないが、俺達が食ってれば30分もしないうちにリビングにくるって。とりあえず先に食ってよう』

『わかった。じゃあ俺持っていくから、瑞希は盛り付けてくれ』そう言うと、隼人は俺が持っていたカレーを盛り付けた皿を火傷しないようにそっと受け取った。


『ああ。あとスプーンと、ウーロン茶が冷蔵庫にあるからよろしく』

『わかった』


 手分けをして食卓の準備を整える。

 俺は皿にライスを盛り付け、カレーを流し込む作業をあと二人分行い、その間に隼人はウーロン茶を三人分コップに注ぎ、スプーンと一緒にトレイに乗せリビングに運ぶ。

 戻ってきた隼人に残りのカレーの皿を二つ渡すと、予想外の反応が返ってきた。


『足りない』


 俺は結構大食いのほうなので大盛り。香奈はスレンダーなほうだし、一緒にメシ食った事もあるが少食なほうだと思ったが念のため普通盛り。隼人は俺と同じ理由で大盛りにした。大盛りは皿からこぼれる寸前の量だ。というより、既に少しこぼれている。




『結構多く盛ったけど、まだ足んないか? あれ以上は無理だから、おかわりしてくれ』

『いや、違う。皿が足りない』

『……皿?』


 首を傾げ考える。

 隼人はどちらかといえば勉強が出来たほうだったはずだが、最近周りで色々ありすぎて知能が低下したらしい。

 俺は隼人が少し不憫に思えた。俺の性別が変わったり、懐妊したばっかりに、隼人には苦労をかけてしまったようだ。


 申し訳ないな。でもいくらお前の頭が悪くなろうが、俺はずっと友達だぞ。


 優しい笑みをたたえ、隼人の肩にそっと手を置きゆっくり数えながら指差していか。


『隼人、いいか?……俺……お前……香奈――』

『いいから来いっ』


 隼人は理解出来たか否かを答える事なく、俺の腕をわし掴んだ。

 そのままリビングに連れていかれた俺はその場の光景に目を疑った。


『瑞希……』隼人が口を開く。

『なんだい、隼人君?』

『一つ皿、足らないだろ?』

『足んないですねぇ』

『俺、何か間違えていたか?』

『いいえ』

『お前、さっき俺の事、可哀想なヤツを見るような目で見てなかったか?』

『気のせいではないですか?』

『お前、さっき俺の事、可哀想なヤツを見るような目で――』

『見てましたねぇ……スミマセン』

『よろしい』


 リビングには既に菜々子がいた。早くカレーを持って来いと言わんばかりに俺を睨んでいる。

 俺は急いで菜々子の分もカレーを盛り付け、食卓に運んだ。


『んじゃ、いただきます』


 カレー大作戦は効果てきめんだった。予想以上に菜々子は欲望に対し理性が貧弱で、カレーの匂いを嗅んだ途端に、怒りも恥じらいも放り出し寝室から出てきたようだ。寝室には離乳食を食べ終えた彩が寝息をたてていた。

 まずは二人を接触させる事に成功した。あとは、いかに仲直りをさせるかだが……。

 カレーを美味しそうに口に運ぶ菜々子。

 菜々子を前に、居づらそうにし食事に手を付けない香奈。

 その二人の様子を見ながら緊張気味に口に含んだ物を咀嚼する隼人。


 本題は食事を済ませたあとにしようかとも思ったが、香奈は一向にカレーに手を付ける気配がない為、菜々子が一通り食べ終えたのを確認し話を切り出す。


『んじゃ、お腹も膨れたところで話をしたいんだが、菜々子……』

『な、なによ?』


 お腹を一杯にした菜々子は数十分前より明らかに機嫌が良くなっている。もし機嫌が最悪であるなら「なによ?」で済んでいるはずがない。眉は釣り上がり、皺が眉間に林を作り、口からは「あぁ?」という低い声。もしくは完全にシカト。これが菜々子の不機嫌MAXな時の受け答えだ。


『香奈ちゃんの事許してやれ』

『……わかった』


 完璧。

 作戦成功。

 どうだ俺のカレーのパワーは?

 あまりの効果に香奈と隼人は言葉を失っている。


『ほれ、だってさ。良かったね香奈ちゃん』

『え……なんで? 私あんな事したんだよ? なんで……?』

『あんな事って、俺と菜々子を別れさせようとした事だろ? 菜々子が怒ってんのはソコじゃないと思うよ? なあ、菜々子?』

『えっ? あ、うん……』


 菜々子は少し俯き、気恥ずかしそうに頷く。

 人は相手に謝る時もそうだが、相手を許す時も照れくさかったりする。


『そ、そんなっ……じゃあ何が……?』

『悲しかったんだよ、コイツ。無二の親友だと思ってた友達に隠し事されたのが。勿論、内容にもよるだろうけど、お姉さんの事や菜々子への想い。本人には言い辛かったのかもだけど、親友だからこそ打ち明けて欲しかったんだよ。なあ?』


 うん、と頷く菜々子。


『だから、ホントだったら打ち明けた時点で菜々子も怒る必要はなかったんだろうけど……隠し事をしてた、っていう事実にびっくりしてあんな状況になっちまったって感じなんじゃないかな? んで、仲直りするタイミングがなくて、どうしよって時にカレーの匂いが漂ってきた、ってところだろ?』


 三度頷く菜々子。


『な……菜々……』俺が話している最中から目に涙を滲ませていた香奈は、堰をきったように泣きだした。


『香奈っ』

『菜々子ぉ……ゴメ……ゴメンなさいっ。私、もう絶対……裏切らないからっ……』

『いいよ、謝らないで。アタシも香奈の気持ち知らなくて……ゴメンね。気持ちに応えられなくて……』

『ううん、そんなの。……私は……私は菜々子が幸せなら……それでいい。……でも、やっぱり瑞希君にはかなわないね? こんなに菜々子の事わかってるんだもん』

『……うんっ』


 二人はお互いを労るように抱き合いながら、ほんの数十分前に切れかけた絆の糸を修繕出来たようだ。

 傍らで、隼人は我が事のように喜び嗚咽を堪えていた。



 小一時間程して、香奈は隼人と共に帰っていった。隼人の野郎が送り狼にならなきゃいいが……。


 しかし今日は、雪と出会い、島谷には正体がバレ、オムツ換えはするは、菜々子と香奈の間に亀裂が入るはで散々だった。

 明日は妊娠届出書の提出の為、午前半休をもらっているが、果たして無事に母子手帖を受け取る事が出来るだろうか。茂宮は大丈夫と言っていたが……かなり不安だ、茂宮だし。


 よし、風呂入って寝るか……ん?


 何かを忘れている気がした。

 ………………………………………………………………………………思いだせない。 まあ、思いだせないのであれば仕方ないし、思いだせない事は、結構な確率でどうでもよい事だろう。

 忘失した事柄に軽く見切りを付けた俺は、風呂に入り就寝の準備を終え、いざ寝床へ。


『おやすみぃ』

『おやすみ……あ、そうだ、あのさ?』

『……何?』

『今日……ありがとね。カレー美味しかったよ』

『ん? ……ああ』

『それとさ?』

『ん?』

『隼人、何しに来たんだっけ?』

『……』

『……』

『『あっっ!』』


 記憶のパズルが埋まった瞬間は心地よい。が、内容によっては、苛立ちに変わる場合もある。

 妊婦石の調査結果。

 なぜ隼人は大切な事を忘れて帰るのか。

 今日はもう遅い為、明日必ず文句を言ってやると決意し、夢にダイブした。

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