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20.妊婦友達

『妊娠届出書……ね』


 診察室を出た俺は、受付で一枚の用紙を受け取った。菜々子が妊娠した時に一度見たことがあったが、コレが茂宮の言っていた「瑞希がお父さんになるのに必要なアイテム」らしい。


 届出者の欄には既に菜々子の名前が印字されている。菜々子の健康保険証で妊婦検診を受け、菜々子の名前で妊娠届けを提出し、菜々子として出産。そしてその子供を菜々子が産んだ子として出生届けを提出する。


『そうすれば菜々子が母親、俺が父親になるって事か』

『はい?』

『い、いえ、なんでもないです』


 目の前に看護師がいる事を忘れていた。

 看護師の怪訝な視線を背中に受け婦人科を後にする。 家では瑞希、会社では瑞穂、病院では菜々子か……なんかこんがらがってきた。気を付けねーと確実にボロ出そうだな。


 一階に戻り、総合受付で支払いを済ませると、背後から呼ぶ声がした。


『菜々子さん』


 振り向くと、診察待ちの時に知り合った佐藤雪が大きなお腹を擦りながら立っていた。


『さ、佐藤さん……』

『随分と検診長かったのね』

『え? ええ、まあ。佐藤さんはまだ病院にいらしたんですね?』

『やめてよ。雪でいいわよ』

『は、はあ。……ところでどうしました?』

『え? ああ、アナタの事待ってたのよ。もし良かったら、おいしいスイーツおいてあるところ知ってるから、行かない? 奢るよ。』


 スイーツ……マズイな。


 一見美人で気の強そうな顔つきをしているが、接してみるととても気さくで話好きな女性。自分の話をする傍ら、相手の話を引き出す能力にも長けているようで、さっきもマシンガントークの合間に何度か質問を投げ掛けられた。気を張っていてボロを出す事はなかったが……。


 今の状況を考えると、出来る事ならご一緒したくない人物だ。さっきの調子で会話をしていたら、正体がバレて大変な事になってしまう。ここは断るべきだ。そうだ、断ろう。


『えーと、………………ちょっとだけなら』


 ダメだ。

 断れない。

 断る事なんて出来ない。

 待合所では気遣ってくれ、とても親切にしてくれた。今だって、お腹も大きく大変な中、先に検診が終わったのにわざわざ待っていて誘ってくれているのだ。ここで断るなんて非人道的ってもんだ。

 おいしいスイーツにも悪いし。


『ホントに? 良かった。じゃあ早速行きましょうか』


 大丈夫。気を付ければいいんだから……。すぐ帰ればいいんだし。スイーツ食べてから……。


 かくして俺は、スイーツの誘惑……もとい、雪の誘いを断る事が出来ず、病院を後にした。






 目的の店は茂宮総合病院から歩いて2、3分の所にあった。


『着いた、ここよ!』


 自宅マンションからも歩いて30分位の位置なのだが、今までその店の存在に気付かなかった。茂宮に遭遇するのを恐れるがあまり、この辺りに近づかなかったのが原因だが。無類のスイーツ好きを自負する俺としては、とんだ誤算だ。

 外観は、光沢のある黒で統一された落ち着きのある雰囲気で、どこにでもありそうなスイーツショップ。だが、名前をみると――


『――……舌鼓?』

『古風でしょ?』

『古風ですね』


 中に入ると一階がテイクアウト用の販売エリアで、二階で飲食出来るようテーブル席が設けられていた。


 二階に上がり空いてる席を探す。人気のある店なのか、飲食エリアは賑わっていて、なかなか空いてるテーブルが見つからない。


『……あっ、あった。ほら、あのテーブル』


 やっと空いてるテーブルを見つけた。黒い籐椅子に腰掛け、早速メニューを確認する。


『どれにする?』

『えーっと……コレかな?』

『コレね? すみませーん!』


 雪は俺の注文内容を聞くと、自分はもう決まってるとばかりにすかさず店員を呼んだ。


『お待たせしましたっ』

『えーっと……コレとコレ下さい。あと、ブレンドコーヒーひとつと……』

『ブレンドをもうひとつ下さい』

『モンブランショコラお一つ、舌鼓ショートお一つ、ブレンドコーヒーをお二つでよろしいですね? かしこまりました。只今お水をお持ちいたしますので、少々お待ちください』


 マニュアルどおりのセリフを歌を唄うように紡ぎ出した店員は、これまたマニュアルどおりの笑顔を崩さぬまま立ち去っていった。

 注文の品はすぐに、それこそ水と同タイミングに運ばれてきた。出来上がっているケーキを皿に乗せる程度のものなので当然と言えば当然だが。


『じゃあ、食べましょうか』


 待ちに待った舌鼓ショートを目の前に我慢も限界点を突破した俺は、雪の号令を合図に、フォークを突き刺し口に運ぶ。


『豪快ね』


 笑みを浮かべ、俺の食べ方に対する感想を述べる雪。内心「しまった」とも思ったが、俺はケーキを前にすると行儀作法に遵する程の冷静さすらなくす。それほど甘いものに目がないのだ。


『すみません。いつ死ぬかもわからないんだから好きな物は脇目も振らず豪快に食べろと、祖父の遺言で』

『あはは、すごいお祖父さんね?』


 勿論、ウソである。




 俺達は、ケーキを食べ終えた後も、しばらく談笑していた。目的は果たしたが、すぐに帰るのはさすがに悪い気がしたからだ。


『えっやだぁ、私ってそんなに若く見られてたの? 嬉しい。』

『私より年下かと思ってましたよ。まさか30過ぎとは……』

『今年、小学校に入学した子供もいるわよ。』


 確かに20代のわりにしっかりしているなとは思っていたが。歳は32歳。旦那とは去年離婚して、小学生の男の子と二人暮らしらしい。


『あの人は元々、子供があまり好きじゃなかった。といっても嫌いじゃなかったらしいけど。基本は仕事命。次は女。ギャンブルはしなかったけど……』


 最終的には浮気相手の女のところへ行ってしまったらしい。子供が成人するまでと、養育費は払われており、自身も元々はキャリアウーマンで、今まで働いていた分の貯金もかなりあるらしく生活はいたって順調だそうだ。今は来月に迫った出産の為に休暇を取っているらしい。


『仕事も勿論大事なんだけど……生活があるからね……だけどやっぱりねぇ。……家族って感じじゃなかった。子供の事、あまり抱っこしてくれなかったし。仕事は朝から深夜まで、休日も仕事、子供と会う時間なんて一週間に一時間あるかないか。ああ、なんか違うなこの人って。家族じゃないなって思ったの』


 その矢先に浮気発覚、離婚だそうだ。

 始めは、なんて身勝手な男だと思って聞いていたが、一歩間違えれば俺達家族もそうなっていたかもしれないと考えてしまった。無論、浮気など興味もないし、そんな事に現つを抜かすほど暇な時間もない。だが、生活の為とはいえ、家族そっちのけで仕事三昧だった事は否めない。

 菜々子の気持ちが少しだけわかった瞬間だった。





 かなりの時間話し込んでいたようだ。気が付くと、店に入った時にいた客が見当たらなかった。


『じゃあそろそろ』

『えっ? あ、もうこんな時間?』


 その時だった。

 俺の背後から声がした。


『あれ? 雪先輩?』

『えっ? あ、真澄ちゃんじゃない。どうしたの?』


 ……真澄ちゃん?


 雪の知り合いが後ろに立っていた。

 振り返り確認する。

 その人物は、俺の知り合いにも瓜二つだった。


 ……ソックリだなぁ。


 その人物は会社の同僚である、島谷真澄に良く似ていた。

 そう良く似ているのだ。

 決して本人ではない。

 本人であってはいけないのだ。


 『あれ? 瑞穂さん?』


 俺は、彼女の発した言葉により、逃避先の精神世界から現実世界に引きずり戻された。

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