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19.産みのお父さん?

『おっせえなぁ畜生! ……あっ……』


 産婦人科の待ち合いロビーに着てから既に二時間が経とうとしているが、一向に呼ばれる気配がない。日頃風邪などを引いても隼人から「試してくれ」と言われて受け取った薬を服用し、それで十分治ってしまっていた俺は病院に通う事など滅多にない為、普通どれくらい待たされるか見当がつかない。

 昨今、確かに産婦人科医も不足しているというが、ココは5人もその医者がいるはず。いくらなんでもこれは待ちすぎじゃないかと、苛々が頂点に達した時に思わず洩らしてしまったのが、先程のセリフだ。勿論、畜生とは茂宮の事を差している。


 イカンな。気が弛みすぎてる……。


 二時間前の混雑が嘘のように引いていた事で周りに人がいなかったのと、声もそんなに大きくなかった事が幸いした。こんな場面を職場の連中に見られたら……。確実に懇談会ホワイトボードの備考に「変態」だとか「痴漢」だとか追記されて白い目で見られるに違いない。考えただけでも悪寒が走る。


『蓮見さん、蓮見菜々子さん。2番にお入り下さい』


 失言直後にようやく入室を促された俺は、疲れた身体を軽く伸ばした後、診察室のドアノブを回した。




『おまたせ〜』


 診察室に入ると、茂宮が若干疲れ気味に手を振って迎えた。


『おまたせ〜っじゃねえよ! 全く何時間待たせやが……ん?』


 待ち時間の長さに鬱憤が溜まり、文句の一つでもと思っていた俺に、サイン(合図)を送る茂宮。人差し指を口元に立てている。


 なんだ?


『(なんだよ、シーッて?)』理由はわからないがとりあえず小声で問い掛ける。

『(ダメでしょ、そんな言葉使いしちゃ? アナタは今日から「菜々子ちゃん」なんだから)』

『(はぁ?)』


 菜々子ちゃん?


『(今日の看護師はこの間のコ達じゃないから、アナタが「菜々子ちゃんじゃない」ってバレるとマズイでしょ?)』


 茂宮は後ろで医療器具棚の整理をしている看護師を意識しながら両手の小指をバツの字を作った。


『(マズイ? なんで? 意味がわからん。もうちょい解りやすく説明出来んものか?)』

『(はぁ、いつからそんなお馬鹿さんになったのかしら? 時の流れは怖いわね。昔はもう少し賢かったと思うけど……)』

『(ほっとけ! ……んで、なんでマズイんだよ?)』

『(アナタ、今日は蓮見菜々子として診察受けてるのよ? 病院からしてみたら、身内とはいえ別の人の保険証で診察受けられたら問題あるでしょ?)』

『はぁ!? だって、それはお前がっモガッモグッ――』

 『(声が大きい!)』茂宮は、音量を上げてしまった俺の口を、咄嗟に両手で塞ぎ話を続ける。


『(今日菜々子ちゃんの保険証で受けてもらったのにも理由があるのよ! いい? 子供産むにも育てるにも手続きってものが必要になるの。今後無事に子供が産まれて、育てる環境を整えるのもアナタの大事な役目なのよ。わかる?)』

『(わかっとるっちゅーの、んな事)』


 子育ての環境を整える。今は身体が女になってしまったが、既に一児の父として家計を支えてきたのだ。金がかかる事なんて百も承知だ。


『(……で、それと、菜々子の健康保険証と、なんの関係があるっつんだよ?)』

『(関係大ありでしょ? じゃあ聞くけど、これからアナタが産む赤ちゃんは誰が産んだ事になるの?)』


 茂宮の言葉が俺の鼓膜を叩いた瞬間、目が点となった。


 『(……お前大丈夫か? 質問に矛盾が生じてるようだが……?)』

『(……いいから答えなさい)』


 なに決まり切った事を聞いてくるのか。だが質問に答えなければ話が進まないと思えたので、俺は一先ず茂宮の要望に応える事にした。


『(俺に決まってんだろ?!)』

『(アナタの名前は?)』更なるクエスチョン。もうなんでも答えてやる。

『(蓮見瑞希。年齢も言うか?)』

『(性別は?)』

『(おと……女か。今はな)』

『(じゃあ、産まれてきた子供のお母さんは蓮見瑞希でいいのね?)』


 いまいち茂宮が何を言いたいのかわからない。今日の茂宮君はネジが数本外れているようだ。


『(だから何言って――)』

『(その子が大きくなって「アナタのお母さんは誰?」って誰かに聞かれたら「蓮見瑞希」と答える。それでいいのね?)』

『…………あ?』

『(アナタが男に戻らない、もしくは戻れないとしたら、それでもいいと思う。でももし戻ったらどうするの? 明らかに男であるアナタを「お母さん」と呼ばせるの? 表向きは隠せても、戸籍上はアナタが母親になるのよ?)』


 考えもしなかった。産む決意がしっかりと固まった訳ではなかったが、薄々は俺が産まなきゃいけないかもしれないとは考えていた。だが、産んだ後は普通に身体が元に戻って親子四人で仲良く暮してメデタシメデタシとしか考えていなかった。まさかそんな落とし穴があるとは……。


『はぁ!? そんなのダメに決まってムグッ――』

『(だから、声が大きい!!!)』茂宮は、再び俺の口を塞いだ。


 何かあったのかと、少し離れた場所にいた看護師が怪訝な顔でこちらを見て問い掛けてきた。それに対し、俺と茂宮は引きつった笑顔を向け、なんでもないと返答し、話を続ける。


『(……ど、どうすんだよ? 俺がお母さんだったら、菜々子はなんだ? お父さんか? まあ、アイツの性格だったらお父さんでも通――いや、通らねえよ! どうすんだよ!? このままじゃ俺、お母さんになっちゃうよ? ねえ? どうすんの!?)』

『(少し落ち着きなさい! まあ、そもそも男であるアナタが子供を産みましたなんて、手続き上に問題が起こるのよ。受諾されっこないわ。その問題を解消する為に菜々子ちゃんの保険証で受診してもらったのよ。とにかく診察しましょう。細かい話はその後ね。大分時間をロスっちゃったわね)』茂宮はそう言うと診察おもむろにに診察を始めた。


 診察はさほど時間が掛からなかった。待ち時間の長さに反比例するかのように、あまりにも早く終わったので、茂宮が手抜きでもしたのでは、と思うほどだった。その事を本人に確認すると驚きの答えてが返ってきた。


『まあ、手抜きって言ったら……手抜きかな』


 驚きのあまり、また大声を上げそうになった俺を制止し小声で話を続ける。


『(今日来てもらったのは理由は診察じゃなくて、アナタが子供を産んだ後で、お母さんじゃなくてお父さんなるのに必要なアイテムを渡す為だからね。それには、菜々子ちゃんの健康保険証で診察を受ける事が前提条件にあったってこと。妊婦って言ったって、前半はそんなに頻繁に診る必要はないのよ)』

『(じゃ、早くそのアイテムってヤツをよこせ)』

『(どーしようかなぁ? キスしてくれたら――やだ、冗談よ。帰りに受付で渡すから)』


 嫌悪で鳥肌が立ち、憎悪で小刻みに震える俺の右拳を見て、茂宮は診察室の受付を差し答えた。

 彼は、女になっちゃった瑞希君には興味ない、と付け足す。


 女の瑞希に興味がない。確かに、それが本音なのだろう。彼は身体は男に産まれたが、心は女なのだ。両方ウェルカムな人間もいるだろうが、茂宮は昔から、男にしか興味がない、とも言っていた。


 今日の診察待ちの時間が長かった理由がようやくわかった。前回は想い人である瑞希が来たと知った途端に待合いの患者を他の医師に任せたが、今回は女となってしまった瑞希が患者なので他の患者と差別しなかったと言うところだろう。


『(お大事にね〜)』


 入室した時と同じ軽い口調で退室を促す茂宮。 なにはともあれ、茂宮の強力な呪縛から解放された事実を知った俺は、軽快な足取りで診察室を後にした。

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