17.愛してるんです
懇談室では昼食を取り終えた島谷がホワイトボードに何やら書き出し始めた。
彼女は、先程まで弁当をつつきながら俺に対する質問攻めを繰り返していたが、ある程度気が済むと、「じゃ、始めますか」と蒼井と駿河に合図をし、行動し始めたのだ。
ちなみに島谷からの「何で結婚してるのに蓮見性を名乗っているのか?」という質問に対しては、「戸籍上はちゃんと旦那の姓になっていますが、職場では呼ばれ慣れている旧姓で通してます。まだ結婚して1年しか経っていないので……」という、我ながらファインプレーな返答で事無きを得た。また、年齢はややこしくなるので瑞希と同い年で一卵性の双子とした。双子で通さないと、顔が似過ぎてると言われ兼ねないからだ。
『……よし、準備OKっと。じゃ、まずは明日香ちゃんから報告して』何かの前準備が終わったのか、島谷はホワイトボードから向き直り、駿河を指名し発言を促した。
『はい』駿河は返事をすると何やら紙を取出し発言し始めた。
『まずは営業の西野君と経理の宮川さんですが、この二人は確実に付き合ってますね。今度のGWは沖縄旅行だそうです。情報源は……』淡々と報告する駿河。
島谷は、「フムフム」と相槌を打ちつつ、その報告内容をホワイトボードに描かれた相関図のようなものに反映していく。 ふとホワイトボードの内容に目をやると、そこにはぎっしりと社員名と社員間の関係が傍線と共に関連付けされていた。社員名中に河西部長の名前を見つけた。河西部長の名前にはあちこちの社員名から傍線が繋げられ、「尊敬」という文字を添えられている。また、河西部長の人物説明には「霊感あり」と書かれている。
ふーん、なるほどね。
ここ「懇談室」で毎昼行われていたお食事会は、俺の予想通り社内の噂話の類いだった。ただ、ここまで徹底的にやっていたとは想像以上だ。島谷の表情は生き生きしていて、さながら探偵気分といったところなのだろう。学生時代にあった新聞部の延長みたいなものか。
『じゃ、次は渚ちゃんね……ん? どうしたの?』
ん?
島谷の疑問符につられ、俺は蒼井の方に目を向けた。蒼井は島谷の質問に、携帯を弄りながら無言で対応する。
お、おい、先輩が呼んでるぞ? 返事しなくていいのかい?
俺は少し心配気に蒼井の顔を伺った。
ふと、蒼井と目が合う。彼女は何かの仇を見るかのような睨みを利かせ、俺を見つめている。
お、俺が何かしましたか?
『渚ちゃん、聞いてるの?』明らかに先程とは違う空気を孕んだ声が島谷から発っせられる。若干、威圧気味に呼ばれた蒼井はようやく島谷の方を向いた。
『どうしたの、渚ちゃん? 次は渚ちゃんの番よ。』島谷はホワイトボードを指差して蒼井に報告を促す。
『……なんかつまんないんです』
『ん?』
『……蓮見先輩がいないからつまんないんですぅ!』
『蓮見さんならソコにいるじゃない』ホラっという具合に俺を差して言う島谷。
その通り。
『じゃなくて、瑞希先輩のほうですぅ!』蒼井は言い終わると、こちらを再度睨んだ。
だ、だから何で睨むの?
『(私だってパシリがいなくなって残念だけど)それは仕方がない事でしょ? 蓮見君にも事情があるんだから。ねえ、蓮見さん?』
『え、ええ、まあ。』
何か心の声が聞こえたような気がしましたが?
『すみません、この子私の従妹なんです。今年新入社したんですけど、蓮見君の事好きだったみたいで』
『ええっ、そうなんですか?』
そういえば、コイツ新人歓迎会の時に腕組んで離れなかったな。でも、まさかな……。
俺は既婚者だし、その前に、蒼井とはそんなに接点を持った憶えが無い。新人歓迎会で初めて話をしたくらいだ。
『違います!』
ほーら、やっぱり。
『好きとか、そんなレベルじゃないです!愛してるんですっ!』
ほーら、やっぱ……はあ!? な、何を言いだすんだコイツは? 愛してる? 何を根拠に愛しているなどと。俺には愛する妻子がいるというのに。まったく迷惑な話だ。そうだ、コイツは何か勘違いをしているんだ。そうに決まっている。今のうちに目を覚まさせてあげなければ。
『あのー、何かの間違いじゃ……?』
『はあ!? アンタに何がわかんのよ!?』
なっ!?
『ちょっと渚ちゃん! その人は蓮見君のお姉様よ。マズイでしょ?』
そ、そうだよ、何だよまったく。
『だって、この人の所為で蓮見先輩がいなくなちゃったんじゃないですか!』
……はぁ?
『ち、違うわよ渚ちゃん? 蓮見君は奥さんのご実家の都合で休職したのよ。蓮見……あー何かややこしい、瑞穂さんは蓮見君がいなくなるから助っ人として来たの。わかる?』
『……えっ? ヤダ、そうなんですか!?』
『そうなんです。』
そーゆー事になってます。つーか、なんで知らねえんだよ。
『まあ、しょうがないよね。渚ちゃんは10時に来たんだし。朝礼出てないし』
なんで重役出勤? しかも、しょうがないの?
『蓮見さん、ごめんなさい。誤解してました』蒼井は自身の非を認め頭を下げてきた。
ずっと機嫌が悪く、俺(瑞穂)を睨んでいた理由は、「我が社が、スーパー営業ウーマン蓮見瑞穂を雇う事になったから代わりに瑞希が首にされたんだ」と若い想像力が判断した為らしい。代わりに誰かがリストラに遭うと想像するのはいいが、なんで瑞希だと思ったのかというと、「どうせ同じ顔が入ってくるんだから瑞希の方はいらない」と上層部が決めたのだと思ったんだとか。そんな理由で人ひとりリストラする会社って……。
よくもまあ、そこまで想像できますな?
まあ、蓋を開けて見れば単なる誤解。別段気にする事でもない。今問題なのは、蒼井が瑞希を愛していると勘違いしてしまっている事だ。さっさと目を覚まさせてやらなくては。
『いえ、いいんですよ。そんな事より話の続きを――』
『あのぅ……?』
『『『ん?』』』
島谷と、いつの間にか立ち上がっていた蒼井、そして俺が声のした方へ向くと、駿河が我慢の限界とばかりに声を掛けてきた。
『早く続きやりましょうよ〜!』
おっとりした駿河が毎昼の噂話に顔をだしているのは、「先輩との人間関係を崩さない為仕方なく」ではなく、人一倍率先してという事が分かった。
その一言により、「蒼井の勘違いの目を覚まさせてやろうよ作戦」は、また後日に持ち越しとなった。
その後、人間相関図とにらめっこしてああだこうだと話し合う三人に付き合うことで、昼休みという貴重な時間が儚く消えていった。