16.破滅の音
懇談室。
島谷達は、キャビネットに三方を囲まれて出来たスペースに、椅子とテーブルを窮屈に押し込めホワイトボードで外界への入り口を塞いだその場所を、愛着を込めてそう呼んでいた。
少人数の打ち合わせなどに使用し、大抵は休憩所に使われているこの会議室を、昼は彼女達が占拠するのだ。
キャビネットとホワイトボードが防音効果を生み、声はあまり外に漏れない。
彼女達が昼食を取りながら何を話しているかなど大して気にもしていなかったが、いざ自分がその場に存在してみると、緊張し少し鼓動が速くなった感覚に陥った。下手な発言で、正体がバレてはマズイとの焦りからくるものだと思うが。
『それじゃ頂きましょうか?』島谷が昼食スタートの合図を出すと皆一斉に弁当箱を開けだした。
段々と緊張も溶け始め、落ち着きを取り戻してきた俺も、弁当箱の包みを解き、箱を開ける。
『っ!?』
ガタッ!
『!? どうしたんですか、蓮見さん?』携帯を弄りながら卵焼きを頬張ろうした蒼井渚が顔をしかめながら問い掛ける。
『い、いえ、あはははっ』俺は答えながら、もう一度弁当箱の中身を確かめた。
数秒前に開いた弁当箱の中身に驚いた俺は、皆に悟られる前におもいっきり弁当箱の蓋を閉めたのだ。記憶が確かなら、中身はウインナーや卵焼きやらアスパラガスのベーコン巻きやらで賑わっていたはず。問題は御飯の部分にある。
俺は基本的に白米が好きだ。炊き込みご飯より白米。赤飯より白米。だが海苔弁は好きだ。それを知っている菜々子は、御飯に海苔を乗せてくれた。「ガンバってね」という文字とハートマークの形にして。二度目の確認も結果は同じだった。
……最悪だ。こんなの皆の前じゃ食べられない。
いつもなら「奥さんの愛情感じるお弁当ですね? 瑞希さんは愛妻家で、よっぽど家庭サービスしてるんですね」なんて会話で済ますことが出来るが、今はそうはいかない。どう考えてもこの弁当はおかしい。
マズい、どうする? 旦那が作ってくれた事にするか? ……いや、ダメだ
よく見ると端の方に「妻より」と海苔文字がご丁寧に添えられている。
これじゃ瑞穂に「妻」がいる事になる。
同姓愛で通すか? ……いや、ダメだ!
苦し過ぎる。俺のなりはどう見ても女だ。「実は私旦那なんです」なんて話が通じるワケがない。しかも妊娠しているという矛盾が生じる。焦りで上手く考えが纏まらない。考えれば考える程どうすれば良いかわからなくなる。
『あれ? そのお弁当……?』隣に座る島谷の声。
!?
気付かれた。終わった。行き当たりばったり、成り行きと偶然が交響曲を奏でるかのような計画ではあったが、「男に戻れるまで瑞穂に成り済まして会社でうまくやっていこう計画」は絶望の音を立てて崩れ落ちた。
『蓮見さん、アナタって――』
そうなんです。変態なんです。女子トイレ入ってすみません。
『――おっちょこちょいなんですね?』
そうなんです。おっちょこちょいで、女子トイレに…………へっ?
『えっ? おっちょ……?』
『あ、気に障ったらごめんなさい。敏腕の営業ウーマンって聞いたから、ちょっと以外だなって。それ旦那さんのお弁当持って来ちゃったんでしょ?』
『えっ?……あ』
『でも、蓮見さんの愛情感じるお弁当ですね? 旦那さんは愛妻家で、よっぽど家庭サービスされる方なんですね。羨ましい』
『い、いえ、そんな……。』
そ、そう取りましたか。
よくよく考えればそれが一番自然な取り方だろう。さっきは全く頭が回らず、そんな考えに行き着かなかった。なんて事はない。こんな簡単な答えが石ころのように転がっていたのに、焦りで脳全体が盲目になり、全然気付けずにいたのだ。歴史上の偉人達が解ききれなかった、世の中に存在する超難解な問題も、実はその辺、目と鼻の先に幾つものヒントや答えが転がっているものなのかもしれない。俺はそんな事を考えながら、菜々子の作った弁当を感心しながら眺めている島谷を見つめていた。
毛嫌いしてたけど、良いヤツだな、コイツ。
俺は今後瑞穂として生活していく中で、島谷とうまくやっていけそうな気がしていた――――
『そういえば、蓮見さんて旧姓ですよね? 夫婦別姓なんですか? あ、初対面でちょっと踏み込み過ぎですよね? ……でも気になっちゃう』
――――が、その想いは一瞬にして塵となり消え去った。