いつわりの、おうさま
もう大丈夫です
私が貴女をお守ります
この命に替えても
まぼろしだ。
これはまぼろし。
地獄の中で、私を救ってくれた人の、げんえい。
どうして現れるの。
あなたが託した希望を、今も私はちっとも見出せないのに。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「奇獣の大群、王都まで距離500M!」
「慌てるな、時間を稼ぐぞ!!魔術師隊壁城へ!!!」
「準備完了、いつでも展開できます!」
騒がしい声ばかりで、ちょっと気分が悪くなる。
でも必死な動きが、慌てる姿が私を見るなり、輝くような表情になった。
「偽王が来てくださった!これでもう安心だ!!」
「よぉしお前等!偽王が奇獣に接触するまで援護しろ!」
途端に活気が生まれていくその様子を、ただ白けた視線で流す。
私は私のやるべきことをするだけ。
そう歩みを進めると、私の両隣を歩く彼らも不快な顔で周りを見ていた。
「ったく、最近兵達がなまってんな」
「ええ。幾ら奇獣への対抗策が唯一とはいえ…自らの身体を張ることを忘れています」
兄弟の彼らもまた、何か思うことがあるらしい。
でもどうでもいい。
どうせ彼らは私を利用しているだけ。
そして私は彼らを偽らせているだけ。
「準備は宜しいですか」
気を遣うのは、私が気難しいから。
「しっかり援護すっから、周り気にせず思うままやれよ」
独りにしないのは、私を信用していないから。
「うん、ありがとう。いつもかんしゃしてる」
それでも私は前へ進む。
私にできることは、それだけだから。
あの人が私に願ったのは、それだけだから。
私は意味の無い命を続けていく。
「それじゃあ、頼んだぜ。『風よ、壁を作りたまえ』!」
「どうぞお気をつけて。『大地よ、壁を作りたまえ』…!」
「術の展開やめろ!…見ろ、偽王と十貴人の御二人が奇獣と接触するぞ」
「また…ですね。また風と大地による不可視の壁が奇獣ごとあの方達を覆っていく」
「いつか見てみたいもんだな。不死の奇獣が偽王によって消滅していくところってやつを」
どこからか聞こえてくる羨望の声。
この世界で私にしかできないことは、奇獣を消すこと。
でも、彼らが思うような方法じゃない。
くすりと、思わず哂いがもれる。
「おいで」
奇獣は、形を持たない。
ぐずぐずに溶けて、どこまでが個体なのかわからない存在。
けれど無数にある目と口と牙で、命あるものを捉え食らっていく。
彼らが通った後は、命が残らない。そして新たな命も芽生えない。
命は死に絶え、大地も死んでいく。けれど彼らは死なない。
「おいでよ、くらべっこしよう」
奇獣がどうして現れたのか。
それはもうわからない。王都が彼らを把握した頃にはもう、彼らの最初を知る人はいなくなっていた。ただわかっているのは、世界の端からやってきたらしい、ということだけ。
奇獣は命を喰らい、少しずつ数を増やした。
ヒトは命を失い、大地を失って数を減らした。
きっとそれは自然の理。強いものが弱いものを淘汰していく、当たり前のこと。
でもヒトは。
この世界のヒトは。
希望を持ってしまっていた。
「ねぇ。わたしは、おいしそう?」
ベレケ
そうこの世界の人は呼ぶ。
ヒトが苦難の時を迎えた時、尊き血族を贄に齎される救済の光のことだ。
そのベレケを放つのは、この世界の理から脱したもの。
人々の上に立つ、新たな尊きもの。
そのものは、世界を覆し加護を得るもの。
…真王と呼ばれるもの。
「でもね、わたしも」
だから私は呼ばれた。
この世界マルカムラに、光を齎すものとして。
尊き王家全員の命を代償に、人々に切望されながら。
ベレケを開放し、奇獣を消し去り、新たな王として生きることを望まれて。
「きみたちが、おいしそうなんだよ」
でも私はこの世界の希望なんかじゃなかった
「だから、くらべっこしよう」
背中が、熱い。膨れ上がる感覚がする。
まるで一対の翼が生えるように。
そうそれは、私は。
「くいころしあおうか」
ヒトの形をした、奇獣に過ぎない。
「おい、ドクオス。目をそらすんじゃねぇぞ」
「ですが兄さん…あれは」
「俺達の罪だろうが。あいつを奇獣にしたのは俺達全員の行いだ」
「それでも、あんなのを王と呼ぶことは…。この状況はいつまで続くのでしょうか」
「…隠すことが、そろそろ難しくなってきてるのは確かだ」
「ではどうなさるのですか」
咎めるような弟の視線に、セキエスはため息をつく。
「俺が知るかよ。俺達にできるのは、奇獣の侵攻を止めることだけだ。そして今それができるのはあいつだけだってこと」
「奇獣をヒトの王にしておく?…ばかげています」
「バカでもアホでもそうするしかないだろう。あれは陛下の御命で現れた、ただ一つの希望なんだから」
「あれが、希望?」
ドクオスは不快と不信の眼差しでその姿を見て、吐き捨てるように言った。
「あれは偽りの希望ですよ。真じゃない、ただの紛い物だ」
「おなかがすいているの」
背中に生えたのは、奇獣と同じ目と口と牙を持っている。
それらが私を囲んでいた奇獣を食い散らかす。
「あなたたちをみると、おなかがすくの」
奇獣はそれでも私に向かってくる。
少し数が多い。
だからもう一対の翼が、翼の形をした奇獣が背中から生まれる。
「でもね、たべてもたべても」
四つの奇獣が、私の背から生えて、その牙で獲物を食いちぎる。
異臭がするのは、奇獣が喰らわれている証拠。
私の奇獣は無数の口で咀嚼し飲み込むけれど。
「うえが、みたされないの」
ヒトの姿をした奇獣。
「どうすればみたされるか、しらない?」
それが尊き血族を犠牲にして呼ばれた存在。
けれど何もできない、ベレケを開放できない異世界人。
…それでも人が王と崇めるしかなかった。だからヒトは私をこう呼ぶ。
偽りの王、『偽王』と。
それが、見知らぬ世界でヒトじゃ無くなった私に付けられた名だった。
…嗚呼、なんて茶番。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
十二年も前になる。
この世界に救済の光を求め、贄と引き換えに一人の少女が異世界から召還された。
ナガヤと名乗った彼女を、王に仕えていた十貴人は優しく導いた。
そう、導いた。途中まで。
だがナガヤはベレケを開放できなかった。
そしてそれを大勢の民の前で証明してしまい、彼女が真王でないことが広く知れ渡ってしまった。
尊き一族を代償に得たのが、何もわからぬ娘。
それを受け入れるには、世界は荒れすぎていた。
結果、人々は彼女を詰り、怒声を浴びせた。
十貴人もまた落胆と悲嘆と憤怒の感情に駆られた。
負の感情を一身に浴び、そして彼女は王都から追放された。
外には奇獣が大勢いるというのに。
否、大勢いるからだった。
彼らはナガヤの死を願った。
それも奇獣によって無残に食い殺される死に方を。
奇獣を消せぬというのなら、この世界を救えぬというのなら。
そして世界から尊き一族を奪ったというのなら。
己の命をもって償えと
そう少女に言い渡し、王都の外門を閉じた。
たった独り、異世界から来た彼女は、この時十四歳だったという。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それでは本日もお疲れ様でした。どうぞごゆっくりお休みください」
機械的な口調、感情を乗せれば恐怖になるから、かな。
そんなことをぼんやり思いながら見つめていた閉じられた扉は、やけに大きい。それもそのはず、ここは城に設けられた部屋で最上級のものなのだから。
ろうそくの明かりだけを頼りに見える部屋は、不必要に大きなベッドが一つと、質素な椅子と机が一つ。それから別の部屋に繋がる扉が2つ。ここが私の部屋だと言い渡されてから何年も経つのに、まだ慣れない。
それでもベッドに身を投げると、いくらか心が休まる。
そのまま瞳を閉じてしまえば、長い悪夢だったと目が覚める日が来るのだろうか。
いつも思う。いつも思って、願って、でもこの世界は続いてく。
どうして目覚めないんだろうと思い、けれど私の世界こそ夢だったのではないかと誰かが囁く。
その言葉に足元が揺らぎ始め、私がどこに立っているのかわからなくなる。
なんで、いきてるの
私は、永谷凜のはずだ。地球の日本という場所で生まれた、ただの中学生だ。
ナガヤ・リンではない。マルカムラという世界の偽王で、奇獣となったヒトではない。
だというのに、長い時は少しずつ私を蝕んでいく。
まるで永谷凜という幻想に縋りつく私を咎めるように。お前はナガヤ・リンで、その罪を無能さを贖えと言われているようで。
ベレケを開放できない私は、けれど奇獣の力を持って奇獣を制することができる。
皮肉な話じゃないか。奇獣を消すための存在を呼んだのに、奇獣だから彼らを殺せるなんて。
けれど限界がある。私一人しか奇獣を殺せない。奇獣は沢山いて、守るべきヒトは沢山いる。
だから私が止まることは許されない。奇獣の侵攻を止め、これ以上ヒトも大地も奪われないようにしなければならない。
なんで、しねないの
かつて私を見捨て、もう同族とは言えないヒトのために。
独り外を彷徨った果てに奇獣に蹂躙された結果、醜い奇獣を宿した。
それでも犠牲の上に成り立ってこの世界に呼ばれた罪を、購う必要があるらしい。
…ヒトも奇獣も、この世界をも憎んでいる私が?
何で救わなきゃいけないの?
なんで、いきてるの
なんで、しねないの
バケモノダカラ、シネナイノ
「うぁあぁあああぁあ゛あああぁ!!」
暗闇はいつも私を狂わせる。
心地よい休息を与える間もなく、私に現実を突きつけてくる。
このまま狂えたらいいのにと何度も思う。それでも狂えないのは、あの人との約束があるから。
もう大丈夫です
私が貴女をお守ります
この命に替えても
ひとり、奇獣の中で消えかけていた意識を引き上げてくれた人。
私を最期まで守ってくれた人。
私にこの世界を託し、優しい微笑のまま自ら命を絶った人。
私が、私の心がまだ生きようとする理由。
「いやだ、おいていかないで、や、しなないで、そんなの、ちがう、やだ、わらわないで、わたし、のぞまない…!!」
もがいても、もがいても。あのひとは、とおくへいく。
「おうなんて、できない、あなたが、いや、きめないで、そばに、こっちへ、ちがう、そっちじゃない」
げんえいだ。げんえいが、あのひの、あのひとが、まぶたにやきついて、はなれない。
「あなたが、どうして、だめ、そのやいばをおいて、や、ちが、しんじゃう、ちがいっぱい、しんじゃだめ、いきて、おねがい、おねがいだからぁあ!!」
ずっと、ずっと。わすれられない。
「リン、おいリン…!俺を見ろっ」
扉がいつのまにか開いていたことなんて全く気づかなかった。そしてその隙間から闇に溶け込むように入ってきた人のことも、認識できない。
「いやああぁぁああ!!!!」
悲鳴が、口から漏れるだけで。もう何度も何度も見続けているから、声を上げる意味なんてないとわかっていても、勝手に喉が絞られる。
「リンッ!!」
「ぁ…」
何かが、ぎゅっと私を抱きしめる。
…子供の頃に、戻ったみたい
かつて、父さんがぎゅっと抱きしめてくれたことを思い出す。
身体の弱い姉ばかりに構っていた両親だったから、滅多にない機会だった。
幸せな、記憶。
静かになった暗闇の中で視界に入るのは、暗闇の中でも輝く瞳を持つ人影。
「し、うぃー?」
「そうだ、俺だ。すまない、会議が長引いて遅くなった」
言うと、彼はまだ強張っている私の身体を持ち上げ、そのまま抱え込んだ。
「俺が傍にいる。お前を独りにしない」
その言葉が、こんな世界で唯一信じられる。
彼もまた、私を見捨てたりしない。私を見限らない。暗いところへ突き飛ばさない。
「アルタとの約束を果たすまでの辛抱だ」
アルタ
そうだ、あの人の名前だ。
私を一度捨て、けれどその罪悪感から地位を投げてまで私を救ってくれた。
それ以来決して裏切らず、ずっと守ってくれていた。
あの人の下が当時唯一安心して休める場所で。
でも今はもう無い。
「もう今日は眠るぞ」
そうして彼は簡単に私の汗を近くの布で拭うと、一緒にシーツを被る。私を抱えたまま、抱き込むようにしてくれる。
…温かい
もう私は温度を感じることはできないけれど、心があったかくなる。
それもまた、まぼろしだろうけど。
「ねえ、シウィー」
彼の中が、今は安息の場所だった。だから無意識に甘えてしまう。
「何だ」
口数は少ないけれど、嘘はつかない。私と正反対の、私の救い。
「明日も、一緒にいて」
「わかった」
明日なんてこなければいいけれど。でも約束を叶えたい。
だからシウィーがいてくれるなら、なんとか明日を迎えられる。
そうして一日一日、自分の心を騙し騙し繋いで生きていく。
いつ終わるのかわからない異世界を、こうして私は過ごしていく。