第一章 フシギサークル 07
ヘッドフォンを装着して考え事をしていると、まるで夢を見ているかのように思考領域に直接イメージが展開されていく。今の外殻から切り離された感覚を享受していると、地球人の五感など無かった頃に戻ったかのようだ。色も形も臭いも音も、全ての情報が原始から我々に唯一備わっていた触覚へと殺到する。俺は懐かしさを抱きつつも、触覚にのみ洪水のごとく流入する情報に、処理落ちしそうなほどの負荷さえも感じていた。この地球居住用の外殻に思考領域が定着してきた証拠とはいえ、少し寂しい。
「あー……やな事まで思い出しちまった」
独り言。空気を震わせるこの声も、最初の頃は咽を潰したいと思うほどの嫌悪感を伴って発していた。前の体に備わっていた無尽蔵の触覚があれば、動かずとも自分の事も他人の事も簡単にわかるのに。簡単に伝えられるのに。
そして、簡単に殺せるのに、なんて。
今の体は沢山の感覚からばらばらに情報が舞い込んでくるから、誤認や取り漏れが多くて遣り辛い事この上なかった。俺はキャスター付きの椅子に体育座りしてクルクルと回る。たったこれだけの速度で視界がぶれて正確な認識能力を失う俺の贋の身体。
「生き辛いったらありゃしねぇ……」
だが、それさえもどうでも良い事だ。
だって今は、もう俺の余生でしかないのだから。
小石さえも見当たらない平坦な道を、こける心配もせずに歩き続けるような日々。
「あぁ――殺したいなあ……」
だからこそ、二十年も押し殺してきた欲望の溶岩が、丁寧に舗装され慣らされた道を罅入らせ、押し上げていく事に喜びすら感じている自分が居る。
操作していなかったせいで電源の落ちたディスプレイに俺の顔が映った。相変わらずの死人のような目が、俺を見て皮肉げに細まる。
花折に今日関わろうと思ったのは、別に秘匿レベル8保持者を監視する為ではない。そしてあいつの事を、安定生存機構に報告する気もさらさら無い。むしろ、あわよくば手伝ってあの画像の正体に気付かせ、一気に花折を秘匿レベル10――排除容認対象に押し上げようと俺は目論んでいる。
基本的に我々が、地球人に対して害をなす行動を起こす事はその一切が禁止されている。だが唯一、秘匿レベル10の知識を得てしまった地球人に対しては、その存在を排除する行為が認められるのだ。あくまでもそれは、殺しても良い、程度のものだが。推奨行動は知ってしまった地球人に対して、限定的に記憶抹消、記録抹消を施す事とされている。だが、地球人の記憶を操作する事はその任を負った者か安定生存機構にしか許されていない。
「だったらさ……殺しちまってもしょうがないよな」
俺は目元をそっと撫でた。自分が最後に泣いたのは何時だったろう、と征木花折を思い出しながら。
何も知らない羊への、殺意で胸を一杯にしながら。