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エピローグ シュウエンリピート 01

 怠惰を尽くした夏休みが終わり、だが夏の暑さは収束しないまま、また新学期が始まる。

 俺は汗に張り付く前髪を払いのけながら空を見上げた。何年経とうとこの星の夏は変わらない。窓枠に切り取られた澄み渡った青空は、相変わらず凶器のように全世界の上空に広がっている。遥か上空を漂流する母船さえも捉えられそうな透明度の空を、俺はぼんやりと見つめていた。

「夏休み前に出してた宿題、さっさと後ろから回収しなさいー」

 教師の声を皮切りに座席の最後尾から宿題リレーがスタートする。第一走者の俺は、朝早くにやっつけで仕上げたデータの詰まった小型メモリを前の席へと回した。

「……ちゃんと四十個有るわね。じゃあ始業式があるから体育館に移動するわよー」

 艶やかな長い髪を背中に垂らした教師は、薄くアイシャドウの塗られた涼やかな目元を生徒全員へと向け指示を出す。先頭をきってドアから出て行く際に揺れた薄手の生地のスカートが、逃げいく蛇の背のように音も無く廊下へと消えた。ざわざわと他愛ない話をしながら出て行く生徒達に混じり、俺も体育館へと廊下を進む。サウナのような暑さの体育館で聞く校長の演説は、茹った頭に全く入ってこないだろう事は請け合いだが、燦々と日の光が降り注ぐグラウンドでやられるよりはいくらもマシだ。

「そうだ、今日はコインロッカー・ベイビーズにしよう」

「それ、どんな話?」

 焼け付きそうな校舎の影を見下ろしながら何となく呟くと、後ろから背中を小突かれた。振り向くと、鳶色の旋毛が視界に収まる。

「僕には涼しくなれる話を勧めてほしいな」

 首筋に滲む汗を拭いながら、花折が笑いかけてきた。

「ホラーでも読んどけ。一気に汗も引くだろ」

 そう、時はまだ2055年――残暑。

 俺はのうのうと生き長らえてここにいる。



 まどろみから醒めるように、俺の意識は浮上した。目を開けると見知らぬ人影が見下ろしている。 

「やあ始めまして」

 爽やかを集めて固形にしたかのような風貌の青年が目の前にいた。

「ああ、こちらこそはじめまして」

 朦朧とする頭で返事して俺は身体を起こす。

 どの位長い間眠っていたのだろう。世の中はどの位変わったのだろうか。俺は周りを見渡す。安置所にしては広い。ほかに休眠している仲間が居ないのは、俺が危険人物として隔離されているからだろうか。

「……今は何年だ?」

「2055年だよ」

 それはおかしい。俺が眠りに付いた年と同じじゃないか。

 そこで気付いた、広い広いと思っていた安置所が、室内などではなく満天の空の下だということに。

「さっき回収員と修繕員は帰ったよ。七尾遠里も運ばれた」

「ああ……?」

 蜜を垂らすように、最後に見たのと同じ月が輝いている。俺は自分の外殻(ハードウェア)を確かめた。さんざん地べたを転がりまわったように白かったはずのシャツは破れ、血に汚れ泥に塗れ襤褸と成り下がっている。だが、失われたはずの腕と足はしっかりと再生していた。

「凄まじいモーニングコールだったね。思わず飛び起きちゃったよ」

 柔らかな目元を揺らして笑う青年。

「あんた、もしかして……」

 目の前の青年は懐かしそうに少し離れた場所に建つ校舎を見つめている。

「あの人はまだ、俺を待っていてくれているかな?」

 誰だ、などとは聞くまでもなかった。

「南栄春過……」

 七尾遠里にID(そんざい)を乗っ取られ、休眠状態にまで追い込まれていたはずの春過が、再び稼動し目の前に立っている。俺は驚きで目を見開いた。

「うん。今回はお世話になったね」

「なんで動いてるんだ……?」

 一度エネルギーを使い果たして休眠状態に入れば、ちょっとやそっとで目覚める事は無い。春過が消えたのは一年半前、再起動するには早すぎる。

「未散くん、君の……いや君達のおかげかな」

「どういう……」

「書いてあったでしょ?優秀な助手が現れたら、【私はそなたの前にその姿を見せよう】って」

「その言葉……まさか、お前があの放課後の錬金術師?」

「ピンポーン」

 信じ難い。あんなセンスの欠片もない名前の主がこんな美青年だとは。しかしながら着崩した学校指定シャツの下には残念なほどにダサいTシャツが覗いている。それを見て春過が放課後の錬金術師と同一人物であると何となく信じてしまう。なんで“愛”と毛筆で書いてあるんだ、なんでショッキングピンクなんだ。

「先生が解いてくれるかと思って最後の希望で書き込んだ記事だったんだけど、まさか第三者が興味を持って、しかも解き明かしてくれるとはね」

 あの記事の投稿者名が空白だった意味が理解できた。部活動申請書から花折の名前が消えていたのと同じで、南栄春過の名前も消去されていたということか。

「去年の三月。僕は中庭で一人先生を待っていた。戻ってきたら伝えようと思っていたんだ、晴れて僕は学校を卒業できるんだってね。だけどそこで、七尾遠里に襲われた。何度かIDを貸してって言い寄られてたのを無視してたから、痺れを切らしちゃったんだろうね」

 ほらここ、と春過がシャツの脇腹部分に空いた大きな穴を示す。

「何度も傷付けられてその傷が再生するまで待って……挙句に指までとられてさ。彼が僕のエネルギー切れ、休眠を狙ってるんだってわかって必死で逃げた。だけど流石に普通の外殻(ハードウェア)じゃ勝てないよね。満身創痍でグラウンドまで辿り着いて、僕は地中に潜った。流石にその位の力は残ってたから」

 地面を指差して春過は笑う。

「眠るにしても、せめて安置所じゃなくて先生の近くにいたかった」

「あの掲示板の記事は?」

「土の中から投稿した。遠里に気付かれないように、そして先生に見つけてもらえる事を祈りながら」

 放課後の錬金術師。化学を混ぜた問いかけ。

 それは、化学教師である高岡教員に見つけて欲しいという思いの表れだったのだ。

「それにしてもありがとう。君のおかげで思ったより早く起きられた!」

 錬金術師は空を指差す。

「君があのメッセージを書いてくれたから」

 投稿していた画像――我々の文字の事か。

「ああ、暇潰しにな」

「その暇潰しに救われた。あの走査光と発生した極光のおかげで、俺のエネルギー蓄積が一気に進んだんだ」

 本当だったら五年以上掛かる見込みだったのに、と春過は本当に嬉しそうだ。

「これで、なんとか約束は守れそうだ」

 彼の目に愛情と幸せが交じり合う、溶けるような光が滲んだ。

「まあ、既にお前の任務の事はばらしちまってるけどな」

「えええーそうなの!?先生真面目だから絶対怒ってるよ――!!」

 急に慌てだす春過を他所に俺は立ち上がった、手足を振って確認するが大きな損傷は見当たらない。

「……っていうか足も腕も付いてるし」

 まず遠里との交戦中に吹き飛んだ部位が生えていることが俺には理解不能だ。フル稼働したせいで体中の血管も神経もずたずたに千切れていたはずなのに、痛みもなく感覚はしっかりとしている。

「ああ。それは、俺からの御裾分け」

 悪戯っぽく片目を瞑る錬金術師。なんだなんだ、お前は本当に人体練成すら行える錬金術師だったのか。

 って、そんな訳はない。

「……お前、自分の稼動エネルギーを俺に供給したな」

「御裾分け程度だよ」

 そんなはずがない、自分の体のことは自分が一番分かる。休眠寸前だった俺の外殻(ハードウェア)は復元と共に、ゆうに数十年は稼動可能なエネルギーが俺には残っている。これだけの量を他人に譲渡すれば、供給した側はどうなることか。

 目を細める春過。そして本当に幸せそうに笑う。

「俺はね、もう何世紀も稼動したいと思っていないんだ。生きるのは後一回で十分」

 それに、と付け加える。

「君と君の友人のおかげで、俺は救われた。そんな君達の別離なんて、見過ごせるはずがないじゃないか」


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