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第三章 レンアイオーパーツ 03

 霞がかって尚、苦味だけが根強く残る過去を噛み締めて呑み込んで、俺は告げる。

「遠里。お前の言いたい事も、やりたい事も理解できる。だけど、もう同意はできねえんだ」

「なぜですか!?」 

「嫌いだった。滅ぼしたかった。憎かった。お前の持つ感情を、俺も確かに内包している」

「ならば……」

「二十年だ。二十年、この世界を呪い続けた」

 遠里の周囲で発生する振動音が不協和音を刻む。彼の心を表すように。

「笑ってくれていい。それが、たったの数週間で、もういいかなって思えちまったんだよ」

 俺の前髪が跳ねた。千切れ飛んで部屋に舞う。

「騙されないでください」

「騙されているとしても良いよ。そう思ってる」

 次は頬に痛みが走る。碧い血液が暑い夏の空気に触れ、粘ついて流れ出す。

「……貴方は、本当の気持ちに気付いた方が良い」

 桜が散るように、儚く笑う遠里。だがその本質は何よりも冷徹で残酷だ。

「何をだ?なんて聞かないでください。自分が一番分かってるんでしょう?」

 俺は震えた。

「貴方という宇宙人が、この子を食い物にして終わりの無い消閑に努めているということを」

 俺は思わず声に出して笑ってしまった。遠里の手が演説する政治家のように空を切る。

「貴方は、死んでいるように生きていたくなくて、この子にしがみ付いているだけなんですよ!」

「それがなんだっていうんだ?」

 暇潰し?確かに俺はそう思って花折の錬金術師探しを手伝った。神隠しに首を突っ込んだ。そして知った。

 トライアンドエラー。

 壊さないで、解き解す(ほぐす)方法を。

 試行錯誤。思考錯綜。

 迷いに迷い込んで、踊りに踊り狂って。

 笑って、呆れて、怒って、苦しんで。 

 そうやって、他愛無い事を喜ぶ事を。

 そうやって、空虚さに心を溶かす事を。

 そうやって地球人の曖昧さにかどわかされることも。

 地球人の優柔不断さに振り回される事も。

「少なくとも」

 壊して潰して全てまっさらにするよりは。

「俺は友達が生きている間は、安穏とした平和を壊す気は起きねえよ」

 例えその世界が、花折にとって死ぬほどつまらない世界でも。

 俺にとって、死ぬ事もできないほど唾棄すべき世界だとしても。

 壊さなければいけない世界より余程良い。

 花折を壊す事より、余程良い。

「……貴方は既に、死んでいたのですね」

 肩が抉れた。地球よりも青い青い血が飛び散った。酸素に触れて、赤く酸化し床へと飛沫が落ちる。

「残念です。そのゴミを殺して、“希望”すり潰して、先輩とあの頃の世界を取り戻したかった」

 遠里が腕を払った。その仕草には見覚えがあった。

 なんだ。遠里、お前は俺の部下の××××か。

 だが、それを敢えて指摘はしなかった。

 その事実は、これから起こる戦いに、破壊において何の因子にもならないだろうから。

 遠里の目には絶望があった。理解してもらえなかったと拗ねる思いも窺えた。そうだ、お前は昔の俺の背中に何時も羨望の眼差しを向けてくれていた。

 そんなお前に、中途半端な事はできない。

「まあ最後だし、いっちょ派手にやらかしましょうか」

 その声がきっかけとして、一ヶ所、二ヶ所、三ヶ所、四ヶ所……俺は自身の思考領域(ソフトウェア)に掛かっていた施錠(ロック)を端から解除していく。

 ギチリ、ガチリ。歪に組み変わっていくのは解放か変質か。

 本来なら許されるはずの無い思考開放、本能の再獲得――そして、身体能力制限解除。

 それが可能となったのはあの二人のおかげ。

「棄て去った側に、貴方もいたのではなかったのですか……?」

 遠里は苦笑いしながらも少し嬉しそうに触覚器官(ライン)を振った。その頃には、俺の意識変化は殆ど完了していた。

「ああ、捨てたよ。好きなだけ大暴れできる身体だけはな!」

 だが思考だけはどうしようもない、その根幹に潜む本能に至っては捨てる事などできない。そしてこの地球人と同じ強度の外殻(ハードウェア)だって――無理をすれば、そう無茶をすれば、そこに篭められた精神(こころ)に相応しい力を、動きを発揮する事ができる。

 だからこそ施錠(ロック)されていた。我々の手によって。不可能だと言われた二重承認を必要とする強固な鍵で以って。

 ブチリっと嫌な音を立てて俺の最後の(たが)が千切れる。その瞬間、遠里の体が背後の窓ガラスを突き破って吹き飛んだ。ガラス片が遠里の周りの触覚器官(ライン)に弾かれて不自然に舞い散り、月の光に煌いて幻想的にすら感じられる。そう感じるくらいの心の余裕が俺にはあった。俺は窓枠に残ったガラスを踏み拉いてグラウンドへと飛び降りる。二階なので膝をクッションにすれば今の外殻(ハードウェア)でも十分に耐えられる高さだ。

「がはっ……!」

 遠里は受身すら取れずにグラウンドに叩きつけられ、反動で鞠のように何度も跳ねて転がった。だが、その勢いが収まるや否や直ぐに立ち上がる。

「くっ……!」

 ぶらぶらとありえない方向に曲がる遠里の左腕。もう完全に破壊されていると一目でわかる。無事な方の手で拭った口元には血の跡が。どうやら体の内部にまで効いてはいるらしい。

「俺も痛いんだ。おあいこだな」

 実際は限界まで興奮した神経が痛みの伝達など二の次にしている。だが体の損傷を知らせる警告(アラーム)はけたたましく機構(システム)に響き、決して俺の外殻(ハードウェア)が無事ではない事は明らかだった。

「確かに……しかし先輩の身体はこの星の仕様に合わせているのでは?」

 対する遠里は明らかにこの星の基準を上回った、違法改造された外殻(ハードウェア)だとわかる。触覚器官(ライン)まで利用可能とあれば、本来なら勝ち目など無い。

「そうだ、俺はこの星に生きている人間の代打としてお前に立ち向かうんだ。宇宙人である征木葉切と、地球人である高岡教員の合意を得てな!」

 そう、俺が二人に打ち明けた秘密。持ちかけた取引。

 加賀未散という、Sクラス危険分子を封じるために施された二つの種族を跨ぐ心理的呪縛。

 我々の一員の合意によってのみ外すことができる精神的施錠(ロック)

 地球人の一員の合意によってのみ外すことができる身体的施錠(ロック)

 要は、二つの種族が窮したときにのみ、同じ脅威に晒されたときにのみ解除できるよう施錠(ロック)は掛けられていた。有事の際の切り札として残されていた。その圧倒的な暴力を解放することができるようにと。

宇宙人と地球人、それぞれの承認を得た状態でのみ、俺の武力行使が許されるようにと。

「今の俺は、あの頃と同じだ。どうだ、不足は無いだろう?」

 実際のところは心理的スペックだけだけどな。俺は内心でそう独りごちた。

 たった一発相手を殴り飛ばしただけで内臓が傷付き、気管からは血が競りあがって来る。本能を解放し、肉体の制限を解除したからといって、元々戦闘用に作られていない外殻(ハードウェア)が耐えられるはずも無い。

 あるいは、それすらも計算して我々はこの外殻(ハードウェア)をあてがったのだろうか。

 まるでシンデレラのように、いつまでも踊り続ける事ができないようにと。

 魔法は、いつか解けるのだと。

「上等だ。それでもこの一回を踊りきれるならな」

 群青色の血塊を吐き捨てると俺は遠里に手招きした。

「来いよ、お前の願い、叶えてやる」

 戦って、最後まで戦って、

 そして破滅したいという純粋すぎる願いを。



 ムーンサイドへようこそ。

 月が見下ろす無音のグラウンドは、こんな言葉が良く似合うほどに荒れ果てていた。

 至る所に大小無数のクレーターが穿たれている。重機でも暴れまわったかのような跡は遠里の周囲を超高速で舞う触角が抉ったものだ。俺の右腕と左足もその弾みに持っていかれてしまった。

 荒い息を吐きながら俺は、アンバランスな姿勢で立っている。 

「ほんと……派手にやったもんだな……」

 バンカーのように緩く抉れた地面の底には、桜色の髪を振り乱して傾斜に凭れ掛る遠里の姿があった。此方が満身創痍なら、そっちは気息奄奄の体と言った所か。俺と違い四肢は残っているが、その部位含めて夥しい裂傷から紺碧の血を垂れ流していてはさして変わり無い。

「やっぱり……先輩には勝てませんね……」

 ぜえぜえと呼気の間から紡ぐ言葉は聞き取るのがやっとだ。

 もう勝負はついた。勝者など、何処にもいない。

 俺は馬鹿らしくなって、仰向けでその場に倒れ込んだ。片足だけでは立っているのも辛い。千切れた腕と足から信じられない量の血液が体外へと流れ出ていく。

「有難う御座いました。もういいです。もう飽きました」

 咽の奥を揺らす音、遠里は笑っているらしい。

「こんな世界、こんな星、もう宇宙の何処にも僕の生きられる場所なんて無い」

 違った。その咽を揺らすのは嗚咽だ。

 殺さないと生きていけなかった我々を体現した、本能の塊。

我々の純粋で透明な魂だけをトリミングした存在。過去を抱き締め続け墜ちてしまった亡霊。

 そんな存在を、どうして今更切り捨てられるというのだろう。

 遠里は、ほんの少し前の俺だった。

 ほんの少し前まで、気が遠くなるほど長い間、この星を呪っていた俺だった。

「遠里。お前は、我々だったものの誇りだ」

 俺は掠れる声で遠里へ最期の言葉を掛ける。 

「なっ…………なにを……」

「俺は、我々の中にお前みたいな奴がいた事を誇りに思う。それこそが、我々だ」

 俺の理性が否定した選択を、俺の本能が讃えている。

 矛盾していると言われても、本能がそう言っているのだ。

「何を……言うん……です……!!」

 岩のように重たく感じる自分の頭を遠里へと向ける。彼は、斜面に後頭部を凭れさせて、瞳だけを俺に向けていた。

「だから今は眠れ。この星が、人間が、お前が殺さなくてもいいと思える程に変遷する日まで」

「……それは上官命令……ですか?」

「そうだ」

「な……ら……しょうが……ない。だって……我々は、自分より……強い者には従わ……なければ…………いけな……いのだから」

 そこまで言って、納得したように微かに口の端を上げると遠里は目を閉じた。

 その瞼が再び開かれる事は無かった。

 遠里の外殻(ハードウェア)が休眠の準備にと、最後のエネルギーを振り絞って再生していく。

 何時とも知れぬ目覚めの日の為に。

「おやすみ」

 そうやって、七尾遠里は舞台を降りる。

 最後まで、我々の生き方を貫いたまま。

「時間がねえ……」

 俺は罅割れながらもまだ電波状態良好を示す携帯端末(タブレット)を取り出して、119をコールする。我々の持つ端末から発信される救難信号は、母船を介して特定の連絡先へと飛ばされる仕組みになっている。すぐに我々の火消し部隊が到着し、グラウンドは何事も無かったように復元され、休眠状態になった遠里も、これから眠りに付く俺も、纏めて人の目に触れる事のない安置所に運ばれていく手筈だ。

 そう、俺の体のエネルギーも既にすっからかんだ。すべて遠里との戦いで使ってしまった。腕と足を再生するだけの余力も無い。

「花折は……大丈夫だよな」

 結局、花折を助ける事しかできなかった。春過に関しては、俺は毛筋一本ほども事態を進展させられなかった。

「高岡教員には、悪い事したな……」

 俺が助けてくれと縋りついた時、ただの一度も高岡教員は春過は助かるのかなどと聞かなかった。助けてくれとも言わなかった。ただ、同意してくれた。

 偽物の春過――遠里に脅されていた時点で、本物の春過がどうなっているのかは察していたのだとしても、その潔さが返って俺に罪悪感を感じさせていた。

 だけどもう、謝る時間も無い。

「あーっ……なんかすげー疲れた……」

 頭上には満天の星空、これだけは昔からずっと変わらない。

 俺たちの星が壊れて消えても。

 この星が壊れて消えても

 そんな些細な事では変わらない。

 きっと、未来永劫変わらない。

「……次に起きたときは花折はもう死んでるんだろーなあ……」

 軋んでろくに動かない腕を持ち上げて、顔の前に交差させる。

 こんな顔を、こんな姿を、この空に見せる訳にはいかない。

「今度は、一人でももう少し上手く生きなきゃな……」

 地球が憎いなんてあるはずがなかったのだ。

 消えてしまえばいいなんて思うはずが無かった。

 だって此処も、俺の生まれた宇宙に違いないのだから。 

「あぁほんとうに――どこまでもどこまでも僕といっしょに行くひとはいないだろうか」

 孤独だった。

 急速に外殻(ハードウェア)を維持する熱量(カロリー)を失いつつある身体が、冷たく硬化していく。背に堅い土が触れているのに、まるで虚空の宇宙を一人で漂うような浮遊感が俺を襲う。

 こんな、頼りない、心もとない気持ちで俺は眠りに付くのか。

 そう僅かな失望感に襲われた時、不意に、俺の心が何かに触れた。

 鉛でも貼り付いたかのように重たくなった瞼を閉じる間に、見えるはずの無い映像が脳裏に流れる。

 月明かりに照らされた教室の中、伏している花折。閉じられた目の、長い睫毛が飛び立つ寸前の蝶のように微かに動く。何度か揺れ動いた後、菫がかった瞳が開かれる。

 そっと芽吹くように、我々と彼等のこれからを祝福するように。

 きっとこれからも、穏やかに全てが流れていくのだと安心させるように。

 その光景が、俺の孤独な心に小さな赤い火を灯した。

 そして俺は、静かに意識を闇へと落とした。



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